衣替え / 財前
今日は久しぶりの曇り空。毎日毎日よくも飽きずに晴れるもんやと思っていたら、ようやく飽きたらしい。昨日に比べて気温はぐっと下がり、週間天気予報では明日からは雨マークが並んでいた。
今日からうちの学校は衣替えだ。そのお陰で登校する俺の視界に映る景色は、昨日と比べて大きく変わっている。
「光!」
俺の後ろから、からからと車輪がゆっくり回る聞こえてきた。声を掛けられて振り返れば、夏服に身を包んだなおこ先輩が……は?
「おはよ、光」
待って、え?
「…おはようございます」
平静を装いそう答えながらも、俺の目は自然と先輩が着てる夏服のワンピースの裾へと向かう。せやけど俺が今見たのは、目の錯覚の可能性がある。やからもう一回だけ。そう、確認する為や。決して先輩のそこを見たいからやない。
そんなしょうもないイイワケを頭の中でしながら先輩にバレないようにと再び見たその場所は、やはり周りの女子よりもずっと短かった。それはもはや、白い太ももが見えてしまいそうなくらいで。
…嘘やろ。意味がわからへん。なんなん、なんでそんな足出てんねん。は?……スカート短すぎるやろ?
「私も一緒に歩こっと」。そう言ってなおこ先輩は、自転車から下りて手で押しながら俺の隣りを歩き始めた。
「光はまだ学ランなんだね」
「あー、まあ」
「でも今日寒いし、明日からは雨だって言ってたから光が正解かもねぇ」
どんよりと曇った空を見上げてから、俺の方を見て先輩は笑顔になる。
「そっすね」
からから。いつもなら気にならない自転車の音が気になって、タイヤに目を落とせばまた目に入るなおこ先輩の足。視界の端でチラチラと動く足を見たい俺の本能と、人として最低やからやめろという理性が戦う。
ホンマ、なんでこんな短いねん。気づいてへんの?アホちゃう?
「でもこう、夏服になるとワクワクしない?夏来るー!って感じで!」
「……」
からから。先輩の方を見てたら色々としんどいから、もはやそっちを向くのを止める事にした。
ああ、煩い。朝から蝉は鳴きまくっている。通学路は並木道になっていて、まるで空を覆うようにして濃い緑色の葉で埋め尽くされていた。
「今年はみんなで花火出来たらいいなぁ。絶対楽しいよね!」
からから。なおこ先輩の言葉が横から聞こえてくるけど、視界に入るのは先輩じゃない。そのくせその辺の木を眺めていても、それらは全くと言っていい程俺の脳内に刻まれる事は無かった。
「ちょっと、光聞いてるー?」
「聞いてますよ。花火みんなでしたいんすよね」
「そうそう!」
やっとなおこ先輩の方を向いて、でも意地でも下を向かんとするせいで首の動きが絶対に可笑しい。ロボットなんか俺は。そう思うくらい、恐らく俺の首の動きは固い。
そして会話を終えたら俺はまた木を見る。……アホか、先輩と居るのに木見てどないすんねん。
ざわざわと、葉が擦れる音がした。
「でもみんなで、わっ」
不意に葉が擦れる音が大きくなり、それと同時になおこ先輩が小さく声を上げた。声がして俺が見た時には、先輩は立ち止まってハンドルから片手だけを外し、スカートを抑えていた。
「……」
待って、え、スカート抑えてるの可愛過ぎ…。
「…見た?」
頬を染めて、恥ずかしそうに眉を顰めたなおこ先輩と目が合う。
見てないです、とは、咄嗟には声が出なかった。とにかく首を横に振って答え、それからハッとして後ろを振り向いて。でも奇跡的に、近くには男子生徒は居なかった。
「あ、だ、んしは居らんっすけど」
アカン。めっちゃ噛むやん。はっず。
バックンバックン鳴りまくる心臓を抑えながら、チャリは俺が押そうかと提案すると、目を逸らした先輩は申し訳無さそうな顔で頷いた。
「あのさ、この夏服」
からから。歩き始めれば今度は俺の目の前から聞こえてくる音を聞いていると、なおこ先輩が話し出した。
「短いと思う?」
「え?」
短いと思う?って今、言うた?
「…先輩、気づいてたんすか?」
「えっ」
そう言って、目を丸くするなおこ先輩。光も短いって思ってたの?、なんて。いやいや思うやろ。思ってなかったらもっと先輩の方見てますわ。…とは、流石に言わへんけど。
「なんも言わへんで普通にしとるから、全然気づいてへんねやろなと思ってましたわ」
かと言って、そう言われると尚更見づらくなるやん。こうなるんやったら、もっと見とけば良かった。
「私も今日着て気づいてね、たぶん中学入って凄い身長伸びたから短くなっちゃったんだと思うんだけど」。自分でスカートの裾を掴んで、先輩はギュッと伸ばしてみせる。
「そないに伸びたんすか?」
「うん!特に去年から、結構伸びたと思う」
「…俺には全然わからへんけど」
「ああ、それはきっと光も大きくなったからだよ」
んふふー、と嬉しそうに笑って俺を見上げるなおこ先輩。……なんやねん、全部可愛すぎるやろ。これホンマに朝?朝からこんな可愛くてこの後大丈夫なん?
「でもこのままじゃ困るから、お母さんが明日までに誰かのお古で無いか探してくれるって言ってるんだけどね」
「……」
そう言われて残念なような、一安心なような。ほんなら今日のこれ、プレミアやん。写真撮りたいわ。なんとかして撮られへんかな。
「見つかるとええっすね」
「いや、見つからないと流石に困る気がする…」
先輩に言われて、脳内に先程の映像がフラッシュバックする。
……あー、ほんま、黙ってなおこ先輩の方見とけば良かった。なんやねん。もう絶対目離さんわ。
「でもなんでこんな寒いし短いのわかってて、わざわざ夏服で来たんすか?」
からから。もう学校は目の前だ。学校に入れば、違う学年の先輩とは別れてしまう。そして次に会う時の先輩は、部活のジャージに着替えている事だろう。
「衣替えの初日、部活帰りにプリクラ撮ろうって友達と約束してたから、行っちゃえ!って」
「……なるほど」
確かに先輩らは、今年でこの制服を着るのは最後やしなぁ。
男子の学ランならまだしも、他ではあまり見ないタイプの女子の制服を思うと、なおこ先輩の話は素直に頷けた。
「ほんならなおこ先輩」
「ん?」
「俺とも写真撮ってくれません?」
からから。敷地内に入り、周りに生徒がぐっと増えてきた。何度か一緒に先輩と登校した事があるから、俺はそのまま先輩のチャリ置き場まで足を進める。
「えっ、いいの?」
目を丸くして俺を見つめる先輩。……え、いいの?って、
「あ、んと……うん、撮ろう!せっかくだしね」
そう頷いて笑顔になり、なおこ先輩は携帯を取り出そうとカバンの中を漁り始める。……なんや、今の、え?
「あった!」と声を上げた先輩に、俺は自転車を押す手を止めた。
「……でもその前に、自転車停めてくる!」
もうすぐそこまで来ていた自転車置き場を見て、俺から自転車のハンドルを受け取り先輩は走り出す。
その時、ひらりとスカートの裾が舞った。
それを見た瞬間、気付いたら走り出していた。
「なおこ先輩!」
思いの外大きい声が出た。びっくりしたのか肩を揺らした先輩は、止まってこっちに振り返る。
「……」
先輩の目の前に立った俺だったけど、何も言えなかった。先輩にとってただの後輩の俺には、なんにも。
……でも、嫌なもんは嫌や。
「なおこ先輩、今日は長袖のジャージないんすか」
「あー、教室にならあるけど」
一度カバンに目を落とし、先輩は不思議そうに俺を見た。そしてそれを聞いた俺はカバンから黄緑色のジャージを取り出し、先輩に向ける。
「ならとりあえず、教室に行くまではこれ腰に巻いてって下さい」
え?と戸惑う先輩に、自分のジャージを半ば無理矢理持たせる。
「俺が代わりにチャリ置いて来るんで、それまでに巻いといて下さいね」
そして結局は自転車のハンドルを奪い返す形になり、俺は自転車置き場へと足を進めて。
はぁ、迷惑だとか思われてたらどないしよ。消えるか。消滅するしかないわ。先輩顔にすぐ出るし、チャリ置いて先輩の顔見てから決めたろ。
自転車を置き、意を決して顔を上げる。
「……うわ」
俺のジャージを腰に巻いている先輩は、ほんのり赤く頬を染めながら俺を見ている。
これが何を意味するのか。さっき、写真を撮って欲しいと伝えた瞬間の先輩の顔を思い出す。
思わず緩みそうになる口元をキツく結び、俺は先輩の元へと駆け寄った。
夏企画の時に上げた財前くんのお話の、部活の後輩バージョンです。八割出来てて、でも納得行かなくてボツにして向こうを書いたんですが、読み返したら意外と好きだったので加筆修正して上げました。皆さんはどちらの財前光がお好きですか?(1109)