本を借りよう(後編)


図書館に来て10分程が経っただろうか。光の持ってきたぐりとぐらを巡って未だ話し合いを続けている3人を他所に、私はパラパラと話題の本に目を通していた。

「いいじゃん、ぐりとぐら面白いし」
「な、ええよな」
「お前らは他人事やからって!」
「え、謙也が選ばないなら私が借りようかなって思うくらいだよ」
「ええっ」

パタン。本を閉じ、私は謙也に告げる。驚いた声を上げた謙也は、私を見て目をまん丸にしていた。


「みいこも思う?俺も借りようかなって思ってんけど、財前がアカンって」
「……うん、私も白石はちゃんとしたのにした方がいいと思うよ」


「みいこまで」、そう呟いた白石がしょぼんと眉をひそめる。
いや、たぶん白石なら絵本でも見事に資料として上手く使ってくれると思うけど。ただその能力を生かすのが、何も絵本で無くてもいいという財前の気持ちはよくわかる。

「つーかそもそも財前は、ちゃんとしてないのわかってて持ってきたっちゅー事やろ?」
「や、謙也さん自分の言うた条件覚えてます?」
「読みやすい、すぐ内容がわかる、おもろい」
「ぐりとぐらじゃん」
「ぐりとぐらやな」
「ほら」
「……」

完全に3対1の状態に、流石に何も言えなくなった謙也。でもこれは別に謙也の事を責めるわけで無く、謙也の要望に叶う本は恐らくこれに違いないと思うから。

「しかも日曜日、銀の寺で祭りあるって言われたから俺と謙也と顔出しに行く言うとったやん」
「あ、せやった」
「じゃあ尚更時間無くない?」
「……ま、確かにそれもそうかぁ」

呟きながら大きく頷いた謙也は、私の手から本を持っていく。そしてもう一度中を確認するように本を開く。

「えー、でもウケ狙いとか個性出してきたとか思われたら俺嫌やねんけど」
「金髪でイグアナ飼っとる人間が何言っとんすか、ウケしかないやん」
「ウケしかないてゴラ」
「そうだよ、原色カラーのパーカー着て走り込みしてたくせに…」
「もう笑てるやん思い出して」
「それに謙也さんのクラスメイトなら、消しゴムすら変なの使うてるの見とるから、色々と今更やと思いますよ」
「あはは、そうそう」
「……おい白石お前んとこの部員どないなっとんねん!人の過去漁って笑てくるで!?」

「はは、せやねん。息ピッタリで、ホンマ仲良しやねんなぁ」


そう言って嬉しそうに白石が笑うのを見て、愕然とした表情で言葉を失った謙也。それもそのはずだ。抗議という名の文句をはなったつもりが、全く持って違う形になって返ってきたのだから。

……しかし。


「ち、違うよ!私達、全然仲良しじゃないから!」


私と光に対して『息ピッタリ』と表した白石の言葉が、何故だか私の胸に強く留まってしまった。そしてそれは胸の中に留まったばかりか、勝手に言葉を紡いで身体の外へと放ってしまったのだ。


「……」


またも大きな声で、しかも突然の否定の言葉を発した私に3人は一斉に目を向けた。


「……あ、や、そうじゃなくて!こうしてみんなと一緒に話したりする分にはもちろん普通に仲はいいんだけど、でも光は好きな人がいるのに、変に私と仲良しとか息ピッタリとかって言われるのは嫌かなって…」


…ああもう。話しながらも、心臓が気持ち悪いくらいドクドクと早く脈打つのがわかる。

私のあの言葉は、光のことを考えて言ったんじゃない。私は私の為に白石の言葉を否定したんだ。

私と光は、先輩と後輩だ。それに加えて今は、好きな人がいる後輩を応援する先輩と、先輩に協力して貰っている後輩という立場だというのに。


「……」


私が言ったんだもん。光の恋を手伝うからって。光が頼ってくれたのが嬉しくて、白石と謙也にも協力して貰って。可愛い後輩の恋を成就させてあげようって頑張ってきたはずだったのに。

それなのに今は、心が動いてしまいそうなのだ。私が2人に頼んで進もうとした道とは逆の方向へと足を踏み出そうとしている。
私が自分から進んで恋の手伝いを始めたはずの、光のことを……。


「みいこ、何言うてんねん」


沈黙を破ったのは、白石だった。そして突然、両隣りに立っている謙也と財前の肩に腕を回す。


「好きな人がおっても、仲良しは仲良しやろ」


「な?」。2人の顔を見た白石はそう笑って問いかけ、そして最後に私の事を見て、私に笑いかけてくれた。

「やって俺、別にみいこと仲良しとか息ピッタリって言われても嫌やないで。謙也もやろ?」
「俺らは好きな人おれへんけどな」
「あ、それはそうやった」
「…ま、でも『仲良し』で人に迷惑かけることも無いやろ」
「な、そうやんな!せやから、仲良しは仲良し」

肩を組んだまま、白石が光の頭をわしゃっと撫でる。如何に先輩と言えど他の人にされたら文句のひとつも言いそうなのに、黙って撫でられている光を見て、やっぱり白石に対しては素直だと思った。

「あー、ほんなら俺は仲良しの財前が選んでくれた、ぐりとぐら借りていくことにするわ」
「お、ホンマ?」
「流石にこれはその流れやと思うで」
「……別にそういうつもりや無かってんけど」

はは、と少し困った様に笑った白石が私を見てきたから、私も笑い返す。
……助かった。まだまだ胸がザワついている。私が微妙な空気にしてしまったあの場を、なんとか収めてくれた白石には本当に感謝しかない。ごめんね、そしてありがとう白石。心の中でお礼と謝罪を呟いた。

「ほんなら、本も決まったし帰るか」
「せやな、日曜日に向けてさっさと読まなな」
「…いやこれやったら普通に月曜でもいけるやろ」
「あ、それもそうか」


そうしてホッとしたのも束の間、2人はそう話すと改めて私の方に顔を向けた。


「じゃあ俺と白石は先帰るから、みいこは頑張ってちゃんとした本探せよ」
「こら、ぐりとぐらもちゃんとした絵本やろ」
「そうだよ、日本の小さい子はみんな読んでるちゃんとした絵本だよ」
「この図書館の中ではかなりちゃんとした絵本っすわ」
「……そのちゃんとした絵本って言葉なんなん?」








「中々いいの無いなぁ」


本棚を見ながらポツリと呟いた私の言葉は、先程よりも幾らか静かになった気がする図書館へと溶けていく。

2人が帰ることとなり、本を借りたことが無いという謙也が「仲良しの仲やろ、俺ら!」と言って面倒だと渋る光を無理やり連れていった。


「はあ」


思わず大きな溜息が漏れた。人前では出せないような大きさだったけど、今は近くに誰もいないのだからこれくらいはいいだろう。

光に、嫌な思いをさせてしまっただろうか。さっきの光の顔を思い出す。でも感情の動きが表情には出ない光だから、あの時の表情からはどんな風に受け止めたのかまではわからなかった。

程よい厚さの本を手に取り、とりあえず開いてみる。
光は基本、無表情だ。だから私の中の光の顔も、何事にも特に興味が無さそうにした顔をしているか、ラブルスや謙也達に絡まれてうんざりした顔をしているか、試合に真剣に取り組んでいる横顔か、あとは……。

『ほら、にこーって。にこーっ』
『……ふはっ』


「……っ!」


どきん!心臓が、思いっきり飛び跳ねた。

焼き芋を買いに行った白石と謙也を、光と一緒に待っていた時。謙也のことを話していたら光が笑って、それを見て嬉しくてなって笑ってよって私が無理を言ったら、光は吹き出して笑って。

ドキドキと鼓動の音で頭がいっぱいになる。静かな図書室だから、私の心臓の音が漏れて聴こえてしまうんじゃないかと思って思わず胸の前を抑えた。
あの時は光が笑ってくれて、ただ嬉しかったはずだった。可愛い後輩が笑ってくれたのが嬉しかったから、もっと笑った顔が見てみたくなって。

それなのに今は、こんなにも胸がドキドキしてる。中を確認しようと開いたはずの本の内容は、面白い程入ってこない。それくらいドキドキして、でも、胸が苦しくて。


「借りるの、その本に決まったんすか?」
「!?」


隣りに誰かが立っていたのに気づかず、声を出すことすら出来ずに反射的に振り返る。そこには、私の手元を覗き込む光が立っていた。


「……すみません」
「う、ううん!」


私の動きと顔を見て頭を下げた光。私はそう言って慌てて首を横に振り、手元の本へと視線を落とした。


「……」


どうしよう。こんなにすぐ近くにいたら、この心臓の音が漏れて聴こえてしまうんじゃないだろうか。しかしそう思ったところで止むのかと言えば、そんなことはなく。


「みいこ先輩」


再び声を掛けられ、私は顔を上げた。返却された本を戻しに来たのだろうか。光は幾つかの本を手に抱えたままで、私のことを見ていた。


「……」


しかし、光は何も言わなかった。いつもの様な無表情で、ずっと私の目を見ているだけ。
何を考えているんだろう。…もしかして光、私の心臓の音聴こえてるんじゃ!そう思ったら恥ずかしく思えてしまい、私にはもはや声を出すことすらもままならなくて。


「先輩は」


そう呟いた口が動きを止めると、光自身の眉間に皺が寄ったのが見えた。しかし次の瞬間、私のことを見ていた瞳は目の前の本棚へと移る。


「もしかして、部長の事が好きなんすか?」


持っていた本の中で1番上の物を棚へと戻す光の目は、私を映してはいなかった。それはまるで、私へと問い掛けてはいるけれど、答えを求めていない様に思えた。
……けど。


「…いや?」


そんな光の横顔を見ながら、私は質問への答えを口に出す。思いもよらぬ質問に、もはや私の中にあった先程までのドキドキは収まりつつあった。

次に戻す本を見ていた光は、本を手に持ったまま勢い良く振り返った。


「えっ、白石だよね?」


びっくりした光の顔に、私もびっくりしてしまう。思わず私が聞き返すと、光は頷いて答えてくれた。
だって、え、私が白石を好き?……私が?


「いや全然、ちょっとも好きじゃないけど……」


白石……なんで白石?どうして突然、一体何処から白石が出てきたの?さっぱり意味がわからなかった。
頭の中には白石がもこもこと浮かんでくるけれど、それによって私の胸が高鳴ることは、ない。


「…ホン」
「あ!待ってごめん、そういう意味じゃない!」


しかし、自分が話したことを思い返して一気に血の気が引く思いがした私は、光が何かを言おうとしたけど、それを遮って声を上げてしまった。「……は」。遮られたことに驚いたのか、小さく漏れた光の声に被さるようにして私は話を続ける。

「さっきの言い方は違う!白石の事、嫌いなんじゃないよ!白石の事はね、その」
「……」
「……ああ、そうだ仲良し!ほら白石がさっき言ってた、仲良しな人!好きだけど、好きな人じゃないよ」

語弊が無いように、一生懸命言葉を選ぶ。思うよりも先に言葉が出てしまうのは、どうしてなのだろうか。

「謙也とか、小春ちゃんとかユウジとか、テニス部のみんなと同じだよ。光だって白石のこと好きでしょ?」
「……」
「……」
「……別に、そういうんであの人らのこと見た時無いっすわ」
「あーまあ、確かに光はそんな気がするかも」

光の言う通り、そんな感情を表に出している光は想像し難い。でも、なんだかんだ言って光がみんなのことを好きでいるのはわかるから。

「ってかいきなりなんで、私、白石のこと好きそうに見えた?」
「……」
「友達の誰にも言われたこと無いんだけどなあ」
「……いや、俺の見間違いでした。全然ちょっとも好きそうやなかったですわ」
「あ、もー!またそういう誤解を生むような言い方する!」
「でも言ったのはみいこ先輩っすよ」

そう言って光は目を細めて笑った。先程思い出していたまんまの笑顔が目の前にある。胸が、再び煩くなる。


「それは光が変な質問するからでしょ!」


光から目を逸らし、私は再び本に目を戻した。


「……全然変やないすわ」


カタン。本棚からは本を戻す音が聞こえてくる。


「変だよ」
「変やないです」
「絶対変」
「なんで変やって決めつけるんすか」
「そういう風に考える人いないのに」
「別に考えるのは俺の自由でしょ」

「…じゃあもし、私が白石を好きだったら協力してくれるの?」


私の横で動いていた、光の腕が止まった。

顔を向けると、本棚を見ていた光が、今度はちらりとこちらを見た。でもそれは直ぐに逸らされて、そして。


「それは、絶対に無理です」


溜息を漏らした光が、もう一度私の目を見てきっぱりと断った。


「な、なんで」


……ああ、煩い。何を持ってこんなに心臓が煩くなったんだろう。光と目が合っているからなのか、光の言葉のせいなのか。理由もわからないのに、とにかくバクバクと心臓が煩くて。


「しゃーないっすやろ、嫌なものは嫌なんすもん」


そう言った光は、止まっていた手を動かして最後の本を棚に戻す。ずいっと差し込まれる本を見ながら、私は心臓の音で埋め尽くされている頭の中で、光の言葉を繰り返した。

「……そんなに嫌なの?」
「はい」
「なんでよう!」
「みんながみんな、みいこ先輩みたいに他人の恋を応援しようとなんて思わないっすよ」


全ての本を戻し終えた光が、私の方へ身体を向けた。


「俺みたいに大勢いる後輩の中の一人のやつの為に、休みの日も昼休みも使てくれて」

「ホンマに先輩はお人好しやから、そこん所は少し心配ですわ」


あんまりにも光がきっぱりと「嫌です」と言うものだから、自分でもムスッとした顔で見ていたのだと思う。
しかしそんな私を見た光は、何故か口元を緩めた。私を見つめる光の瞳が優しくて、まるで吸い込まれてしまいそうで。


「……でも私、誰にでもそういうことする訳じゃないよ」


光から目を逸らせずにいた私の口が、勝手に動く。


「光だから、だよ。光のこと、大勢いる後輩の一人だなんて思ってないから」


少しだけ目を大きくした光が、ゆっくりと右手を伸ばしてきて私の頬に触れた。体温の低い彼の冷たい手に覆われたはずなのに、自分の頬が一気に熱が持つのがわかった。


「……それは、俺がみいこ先輩にとって、『仲良し』やからですか?」

「それとも、他の意味が少しでも含まれてたりしますか?」


切なそうに私を見つめる目に、またもや口が勝手に動こうとする。小さく口を開いた、瞬間。


「みいこー?いるー?」


静かな図書室の中で響いた、私を呼ぶ声。ハッとして携帯を見ると、友達からメッセージが届いていた。







それから光に本の貸し出しをしてもらい、無事本を借りることが出来た。
「本、今日家に帰ったらすぐ読んで下さいね」。渡される際に、何故か光はそう言って手渡してきたのを思いだして、家に着いてから表紙を開く。


「……ん?」


表紙を開くと、タイトルよりも先に目に入ったもの。それは、四つに折りたたまれたメモ用紙だった。

『みいこ先輩へ
土曜日の13時に、この間行ったパフェがある所の駅で待ってます
財前』

「…………え!?」


その後、その本の内容はやはり私の頭の中に入ることが無かったのは言うまでもない。




「……先輩、本読んでなかったらどないしよ」

「良いか悪いかだけでも連絡して貰うようにしとけば…いや、これで断られたら流石にしんどいやろ」


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