(中学3年生のお話です)
今日は、なんてことの無い休日になるはずだった。……昨日の夜までは。

「中学生2枚で」

入ってすぐの入口のお姉さんに景吾は声を掛ける。

「えっ、あっ」

慌ててカバンから財布を取り出そうとするも、彼が既にお金を出してしまっていた。お金がヒョイと持ち去られるのを眺めるしか出来ない私は彼の横顔を見上げるけれど、彼は小さく首を横に振って答えて。そうして代わりに、2枚の入場チケットが返ってきた。

「ごゆっくりお楽しみ下さいませ」

お姉さんからチケットを受け取り、掛けられた声に頭を下げてからその場を離れる。

「景吾ごめん、今お金渡すね」

後ろの人の邪魔にならない様に確認してから、カバンの中へしまわずに持っていた財布を開ける。流れる様な動きに、呆気に取られて財布を開ける暇すら無かったのだ。

「別にいい」
「駄目だよ」
「俺が誘ったんだから、それくらいは払わせろ」

……それは、そうだけど。景吾にこうしてお願いされる事なんて殆ど無いし、こういう言い方は狡いと思う。


新しく出来た水族館。噂は聞いてて、行きたいなと思ってたんだけど友達と行くには少し遠くて。
前に言ってた水族館には行ったのか?そう彼に聞かれたのは先週の話で、水族館がオープンして3ヶ月は経っていた。
「ううん、まだ」
距離的に中々行こうにも行けなくて、と付け足して彼に伝えた。長期休みになれば誰かを誘おう、と想っているのはまだ私の心の中に収めておく。これで長期休みが終わってからもまだ行っていなかったら、実行力がない、なんて思われてしまうかもしれないし。
「そうか」
そう頷いた景吾が何を思ったのかはわからなかった。でも私が水族館に行きたいなんて言ってたの、よく覚えてたなぁ。そんな事を思いながらその時は終わったのだけど。

昨日の夜、景吾から電話が掛かってきたのだ。そして再びされた質問。そしてそして、私の答えも勿論同じだ。だって長期休みはまだ来ていないのだから。
「それなら、明日俺と行かないか?」
思わぬ提案だった。それでも断わる理由も無くて、二つ返事でOKした。待ち合わせ時間を聞くと、13時に、という言葉と共に「家に行く」と付け足される。正直1人で念願の水族館に向かうのは不安だったからお礼を伝えて、電話を切った。


「…わかりました」

ありがとうございます、と言って頭を下げる。

「……小春のはアザラシだな」
「え?」
「俺のはイルカだ」

そう言って彼が見せてきたのは、入場チケット。どうやらそれぞれに海の生き物が描かれている様で、景吾の言う様に私のチケットはアザラシが描かれていた。

「本当だ!可愛いね」
「イルカショーもあるんだろ?」
「うん、そう!確か時間が決まってて」

パンフレットを開く。見ると、午後の部は14時からだった。

「中見ながらだったら丁度いいかな」
「間に合わなかったら途中飛ばせばいいんじゃねえか」
「あー、うん…」

案内図を見れば、確かにイルカショーのある会場までは比較的距離がある。でもそうなると戻らなきゃいけなくなるし…。

「ショーが終わってから戻って見ればいいだろ?」
「え」
「時間は沢山ある」

そう言って口端を上げた景吾は、先に歩き始めた。

……言わなくてもわかられちゃうのはどうしてなんだろう。
もわんと頭に浮かんだ疑問。しかし振り返ってこちらを見た景吾を見て走り出した頃には、消えてしまっていた。





「この子も可愛い!」

入ってすぐに見える大きな水槽。沢山の魚が泳いでいて、あっという間に私の目は奪われた。暫くそこで優雅に泳ぐ魚達を眺めただけで水族館に来た甲斐があると思ってしまい、でもせっかく連れて来てくれた景吾には流石に言えなくて。私は言葉を飲み込んだ。

そうして次にやってきたのは、幾つもの小さな水槽が並んだ小部屋だった。熱帯魚や海底に住む生き物などが展示されているこの場所は、個性的で陸の動物とはまた違った愛嬌のある彼らを見る事が出来る。

「さっきからそればっかりだな」

小さな水槽を覗いては同じ言葉を発してしまう私に、ついに彼が声を上げた。

「えー、でも本当にみんな可愛いから」
「可愛い…?」

そう呟いて、目の前にいる水槽に目を向ける。砂の中からひょろりと細長い身体を出す無数の生き物を目の前にし、言葉を失う彼の横顔に吹き出してしまう。

「可愛くない?」
「……俺の中にあるその基準に、コイツは当てはまらねえな」
「うーん、そっか」

確かに可愛いという基準は人によって違うのは間違いない。私だって、女友達が可愛いというキャラクターを見てもさほど響かない事もある。それが男子なら尚更そうなのかもしれない、けど。

「ってか、私、景吾が可愛いっていう言葉使ったの殆ど聞いた事無いかも」

そう。そもそも景吾の口から、可愛いという言葉を聞いた事が殆ど無いのだ。パッと考えてもすぐにそのシーンを浮かぶ事すら出来なくて。

「景吾は、何だったら可愛いと思う?」
「……」

水槽を見る為に私と同じ目線になっていた彼の顔を覗き込む。

「別に、そう思ったらちゃんと言ってる」
「そりゃあそうだろうけど、それが何なのかなって聞いてるの」

ここに来て既に沢山の可愛い生き物を見た。なのに彼は何も言わずに眺めているだけで、私が言う事に頷くだけで。景吾が来たいって言った、筈なのにな。

「あ、じゃあ水族館よりは動物園の方が可愛いの居る?」
「何でそうなるんだよ」
「こう、毛があった方が好きなのかなって」

水族館では可愛いと思うのもあるけれど、綺麗だと思う事も多い。それは私達が生きていけない水中で生活する彼等が、陸上で生活する生き物には表現出来ない優雅さを持ち合わせているからだろう。

「ハッ」

モコモコをイメージして手を動かして毛がある生き物を表現すると、景吾が吹き出した。

「毛がある方が好き、なんて風には考えた時は無いな」
「そうなの?」
「小春はそういう訳じゃ無さそうだな」
「うん、私は何でも可愛いよ!」

私がそう言うと、そうだろうな、と景吾は頷いて屈んでいた腰を伸ばす。

「ま、今日可愛いものがあったらちゃんと言うからそれでいいか?」
「……うん!絶対教えてね!」

私もその水槽から離れ、次の水槽へと向かった。…でも私には、景吾が可笑しそうに笑った顔も可愛いなって思うっていうのは秘密にしよう。





それからイルカショーも見終えて、急いだお陰で見れなかった部分もちゃんと見て。最後にやってきたのは、お土産コーナーだった。

「かっわいい!」

今日、景吾には耳にタコが出来るほど聞いたであろうその言葉を、私はもう一度力強く発する。そこには、ぬいぐるみやキーホルダー、Tシャツなどの海の生物が描かれたグッズが所狭しと並べられていた。

「凄い、全部可愛い…」

目に映る物が全て可愛くて、とりあえず一番近くにあったイルカのぬいぐるみを手に取る。

「何か買っていくのか?」
「うん!せっかく来たから、思い出にね」

さて、何を買おうか。私は一旦そのぬいぐるみを置いて、中を回ってみる事にした。
しかし見れば見る程、欲しくなるのがお土産だ。それに、全部可愛いのだ。欲しくなるしか道はない。

「うーん…」

家族にはクッキーを買うとして、友達とはもしかしたら長期休みになったら来るかもしれないし。そうやって考えながら歩いていたら、再び店頭のぬいぐるみ置き場にやってきて。そうして私は、思い出した。

「あ、景吾!」
「ん?」
「景吾から結局、可愛いって聞いてない!」

ハッとして私は振り返る。私の声に驚いたのか、彼も目を見開いて私を見ていた。
周りを見渡し、私は今度は小さなアザラシのキーホルダーに手を伸ばす。

「ほら、この子は?すっごい幸せそうにふにゃって笑ってる、柔らかいし」

彼の目の前に差し出す。これはきっと、男の子でも可愛いと思うはずだ。癒されるはずだ。少しの間アザラシを見ていた彼の視線が動き、目が合う。
彼が優しく、ふ、と笑った。

「ああ、可愛いな」

そう言って私に手を伸ばした彼は、頬に掛かった髪を撫でて払ってくれた。今日、漸く聞けたその言葉は嬉しいはずなのに、どうしてか恥ずかしく思うのは何故だろう。

「……私、これにする」
「アーン?」
「このアザラシちゃん、私と景吾の意見が初めて一致したのだから!」

ぎゅっと握って会計に向かう。本当はお礼に景吾にも買いたいけれど、きっと貰っても困らせてしまうだろうし。
どうしようかと一日考えたお礼。景吾は男の子だから、下手なものを上げては迷惑になってしまうかもと思うと結局決まらず、ズルズルとここまで来てしまった。
何も出来ないのは嫌だな。ありがとうと伝える事は勿論何度もしているけど、それ以外に何か……。周りを見ていたら、先頭の会計の人に店員が何か渡しているのが目に入った。……これだ!



「お待たせ」
「ああ……」

お土産コーナーの外で待っていた彼に声を掛ける。顔を上げた景吾は、私の手にある物を見て目を丸くした。

「はい、景吾。今日は楽しい一日をありがとう」

私はそう言いながら、手に持ったソフトクリームを差し出した。

「お土産だと景吾にとっては邪魔かなと思って、でもこれなら食べれるでしょ?」

私が見つけたのは、水族館限定と書かれた塩味のソフトクリームだった。甘い物が苦手だと聞いた事も無かったし、毎年貰うチョコレートは食べている事は食べていると言うのを聞いていたから。

「ありがとう」

驚いた表情をしていた彼だったけど、ソフトを受け取ると笑ってくれた。二人で並んでソフトクリームを食べるのは初めてだったけれど、私が話す可愛い物の話に付き合ってくれる景吾は、今日もやっぱり優しかった。
可愛いくて、楽しくて、美味しくて。沢山の幸せな気持ちをありがとうね!



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