(高校2年生の冬のお話です)

天気はあまり良くない、日曜日の午後。


「ハァ、ハァ…」


俺は家に向かって走っていた。




「日曜日って午後も練習?」


そう心結から連絡が来たのは、2日前の話だ。そもそも連絡をあまり取り合わないし、それに加えてこっちに来ることを心結が連絡してくるのは珍しかった。

そうして迎えた今日はというと、午後の練習は無い予定だった。心結にもそう返事をした。
しかし蓋を開けてみれば、今日になって普段は大学でやってるOBが訪問してきたことにより、急遽練習試合が組まれてしまった。寄りにもよって、なんで今日。試合形式となっては全体の休憩など無くなってしまい、遅くなると連絡することも出来なかった。そして練習が終わったのは、家に着くだろうと予測した時間を過ぎていた。


次の信号が赤になるのが見えて、俺は急ぐ足を緩める。……まだ、変わらん。歩いている内に変わることは無く、俺は結局信号で歩みを止めた。いつもは気にならない赤信号の時間が、どうしようも無く長く感じる。たった数十秒しかない待ち時間。それすらも今の俺には暇を持て余し、おもむろに携帯を見る。

『お疲れ様!私は大丈夫だから、ゆっくり帰ってきてねー!』

学校を出る前に見たままだった心結からの返事が画面に写り、もう一度読み返す。『じゃあ、待ってまーす!』。…こんなにも短くて、ありふれたメッセージなのに。他の誰でもない心結が待っていると思うと嬉しくなるのだから、我ながら簡単な男だと思わざるを得ない。
ふと、横に立っていた男子学生の足が動いて、俺は顔を上げる。いつの間にか信号は青に変わっていた。


早く、心結に会いたい。









家が見えてきて、歩きながら携帯を取り出す。着きそうと一言打ち込んで、でも、結局電話を掛けることにした。

プルルル…。聞き慣れた呼び出し音が聞こえてき……。


「えっ」


今電話を掛けているはずの心結が、家の辺りから突然ひょっこりと顔を出した。そして俺を見つけると、こちらに向けて右手を大きく振りながら歩いてくる。俺も自然に大幅になりながら、足を進めて。


「まさ!お疲れ様!」
「おお。…遅くなってすまんかった」
「ううん、全然!」


「練習長引くのは仕方ないよねぇ」。そう付け加えて笑った心結の鼻は、少し赤くなっていた。


「……もしかして、外で待っとった?」
「え、あ、うん!」


勢いよく頷いた心結。しかしその返事を予想していなかった俺は、心臓が大きく飛び跳ねる。


「でも少しだけね!まさが来るの、思ったよりも早かったから全然待ってないよ!」
「……」


……ああ。そうよなあ。

待っていた。きっとこの一言ですら、俺と心結の間では、大きな違いがある。俺を待っていたことに、変わりはないのに。


「まさこそ、約束してたからってわざわざ急いで帰ってきてくれたりした?」


申し訳なさそうに、俺の顔を覗き込む心結。

確かにめちゃくちゃ急いで帰っては来た。でもそれは、約束の時間よりも遅くなったからだけじゃない。心結だから……心結が待ってると思うからだ。
急いで帰って来いと言われたって、走るほど急ぐ様な人間じゃない。でも待っているのが心結なら、身体が勝手に動いてしまうのだから仕方がない。…だから、急いで帰ってきたのは約束した心結のせいでも無ければ、長引いた練習のせいでも無い。

心結を好きな、俺の為だ。


「ん、まあ。でも俺も少しだけ急いだくらいじゃき」
「本当に?それならいいんだけど…」


でもそれを伝えられない俺は、こうしてしょうもない嘘をついてしまう。心結に早く会いたくて、走ってきたぜよ。そう本心を伝えたら、心結はどうするやろう。どう、思うやろうか。


「ああじゃあ、まさも早く家に帰りたいだろうし、本題を……」


心結はそう言いながら、肩に掛けたカバンをゴソゴソと探り始めた。別に、早く家に帰りたい訳やないんじゃけど。そんなことを考えながら、心結の動きを眺める。
そしてすぐにピタリと動きを止めた心結は、カバンに手を突っ込んだままで一度俺の顔を見た。口元がキュッと閉じられているのは、何となく、笑うのを堪えているように見える。


「なんじゃ」


心結がどういう感情で俺を見ているのか、わからない。特に笑われるようなことも……ああ、待て。走ってきたから髪が変になっとるとか?心結の視線の先からそう思った俺は、さり気なく髪を直す。でも鏡が無いから、果たして直ったのかもわからない。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、再び目線が合うと、にっこりと笑った。


「ジャジャーン!」


お決まりとも言える効果音と共に、心結がカバンから取り出したもの。それは、ピンク色にハートが散りばめられた、ラッピング袋だった。


「まだちょっと早いけど、まさ、ハッピーバレンタイン!」
「……」


目の前に差し出されたそれを見て、受け取るのも忘れて思わず見つめてしまう。
バレンタイン……それは言うならば、私の想いという名のチョコレートをひたすら受け取るだけのイベントだ。ハートが学校中に溢れるという、興味の無い俺からしたら厄介に他ならないイベントだった。

しかしそれを差し出す相手が心結なら、話は別だ。それにしてもバレンタインに渡すと言うことは、それは……。


「あ、でも中身はチョコレートじゃないからびっくりしないでね」
「…え?」
「ほら、みんな当たり前だけどチョコレートくれるでしょ?だから私は今年はクッキーにしようと思って」


「まあ明日の分は、今日帰ってから作る予定なんだけどね」。そう説明をする心結の言葉は、明日の月曜日に訪れる14日のことを言っているのだろう。しかしそれを聞きながら、自分で恥ずかしくなるくらいに気分が落ち込んでいく。

当たり前だ。本命な訳が無い。そんなのは、絶対に有り得ないのに。

それでも、期待してしまう俺がいる。お礼を言いながら受け取った袋に描かれたハートを見て、気づかれないように小さく息を吐いた。

「ねえまさ、食べてみて!」
「え、今?」
「うん!」

好奇心でキラキラと輝く心結に見つめられ、袋を開ける。香ばしいバターの香りが鼻を擽った。「見た目は不格好なの、気にしないで!」、中を覗き込んだ俺を見て慌てて心結がそんなことを言うから、自然と笑いが零れた。
心結に見つめられながら、俺はクッキーを口に含む。

「……」
「……」
「……美味い」
「えっ!本当?本当に美味しい?」
「ん」

お世辞ではなく、本当に美味い。別に見た目も変じゃないし。…正直、今年のバレンタインはこれで終わって欲しい。俺からすれば、他からの上書きは要らないのだ。義理だとしても、心結からの義理チョコで、終わりでいい。

「本当に美味いぜよ」
「えー、嬉しい!良かったあ!」
「……」
「あのね、本当は今日の夜作るし昨日は作らない予定だったんだけどね、まさがいるって言ったから作ってきたの」

「え……」


あんまり心結が喜ぶものだから、もう一枚食べるかと袋に入れた手が止まる。


「まさにバレンタイン渡したこと無いなあって思って…だから、お世辞でも嬉しい」


えへへと笑う心結を見ながら、胸が熱くなった。そしてそのまま、予定通りにもう一枚食べる。



「……これ、今までで一番美味い」
「ええ?」
「だから、このクッキーが今まで食ったクッキーの中で一番美味い」



驚いて、目をぱちくりさせた心結。でも次の瞬間、顔を綻ばせる。



「ちょっともう!まさ、それは大袈裟過ぎ!」



恥ずかしそうに笑う心結が、少しだけ頬を赤らめた。でもこれは、大袈裟でも何でもない。俺にとって、砂糖よりもチョコレートよりも甘いのは、心結の言葉じゃき。


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