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雨は嫌いじゃない。彼は確かにそう言ったのだけど、正直なことを言えば、私はあまり好きではなかった。じめじめするし、べたべたするし、髪もうねるし。嫌な所を上げればきりがないのに、雨が降ると知っても前よりも嫌に思わなくなったのは、想い人である仁王のその一言が全てだった。しかしそんな思いを抱えていたのもまだ夏色が濃い時期まで。完全に片足を秋へ突っ込んだ今、私の中にその時の思いはなくなっていた。変な形の雲を見た。四つ葉のクローバーを探した。カルピスを分け合った。彼と一緒に過ごした記憶は沢山ある。それらは私にとって幸せな時間で、そして仁王にとっても同じ時間だったらいいなと願う……というより、本気でそう信じようと思っていた時間であった。こんな風に彼が一緒にいる女子は他に居ないという自負があったし、誰よりも彼の笑顔を見ている自信が私にはあったから。……でも、現実はそうではなかった。仁王が女の子と二人で歩いていたのを見た人が出てきたのだ。手を引っ張って歩いていたらしいその女の子と、呆れた表情ながらも歩いていったという話を聞いて思い出す彼の表情があった。いつもならキュンと甘くなるはずなのに、その時は胸が軋んだのを私はまだ覚えている。


「え……」

私達三年生は全員が部活を引退していたけれど、今日は恐らく、屋内の部活以外は無いことだろう。午後から降り始めた雨により空は暗く曇り、気温はぐっと冷え込んでいた。
委員会が終わり、友人が待つであろう教室へと向かっていた時の事だった。外の雨の具合を見ようと中庭を覗き込むと、その隅にしゃがんでいる人影を見つけた。……こんな雨の中?そしてギョッとして凝視した私は、更に驚く事になる。

「……え?」

見覚えのある後ろ姿なのに、丸められた背中には、いつもはひょろりと伸びる尻尾は見つけられなかった。何してるの?捜し物?そんなことを思いながらも、彼だと知った瞬間に音を立て始めた心臓には無視をする。だってこれは彼だから、じゃない。誰でも、土砂降りの雨の中であんな所に居たら心配になるに決まってる。

「に、仁王」

久しぶりに彼を呼んだ声は、驚く程に小さいものだった。当然の様に雨音に掻き消されてしまったそれは、あの日から必死に押さえつけられている私の心のようで。……私には、とても届かない。そんなことはわかっていたのに、口から零れたその声の大きさで、彼と私との距離を漠然と感じてしまった。そしてそれによって胸が痛むように感じるのは、きっと勘違いでは無い。

「……」

帰ろう。私がここにいて彼にできる事は、何も無い。土砂降りの中で彼が何を探しているのかはわからないけれど、私にはもう関係のない事だ。何度か彼と一緒に訪れた中庭も、すっかり当時までとの景色を変えた。季節も景色も彼も変わっていくのに、私だけがまだ動けていない。何時までたってもこの気持ちをぎゅうぎゅうと押さえつけることしかできないのだ。
彼から目を逸らし、私は再び教室へ向かって足を進めた。廊下には雨特有の匂いが充満している。その匂いは今日一日中嗅いでいたはずなのに、今更、酷く胸を締め付けた。

教室の前に着くと、友人達が話している笑い声が外まで聞こえてきていた。待たせちゃったな。そう思いながら教室に入り、幾つか会話を交わしながらカバンに手をかける。その中から出てきたのは、体育で使うかもと持ってきていたけらど結局使うことのなかったタオルだった。そしてその瞬間に思い出される、雨の中で丸まった背中。……きっと彼は、タオルなんかは持っていないだろう。夏の体育ですら汗を流しているところを見た事は無かったから。
私と彼は、もう関係ない。それはわかっているのだけど、でも、このタオルを渡すくらいなら。時折見かける猫がずぶ濡れなのを見てタオルで包んであげるような、何も特別な事ではなく、人として当然な事になるのでは無いだろうか。

「ごめん、もうちょっと待っててくれる?」

聞くと友人達は頷いてくれたから、私はタオルを持って飛び出した。走り始めてすぐにドキドキと鼓動音が聞こえてきたのは、走っているからだ。決して彼に声を掛ける事に対するものではない。そんなことを思いながら階段を降りて、中庭に繋がるドアの所へ向かう。

「え……」

そこには、濡れた前髪を避けている仁王がドアのところに立っていた。そしておそらく、走ってきた私の足音が聞こえたのだろう。顔をあげた彼がこちらへ向いて、目が合った。

「……」

いつぶりだろう。あれから私は、ずっと彼を見ないようにしていた。仁王への気持ちを忘れるには、あの時の私にはそれくらいしか思いつかなかったから。しかし久しぶりに彼と目が合って、それだけで途端に煩くなる心臓はあまりにも素直だと思った。

ひなこ、」

少しの間見つめ合っていた私達だったけれど、彼が私の名前を呼んだことによって時は動き始める。どうした?そう首を傾げた彼の髪から、ぽたりと雫が落ちた。

「あ、タオル……」
「え?」
「雨の中で捜し物してたから、タオル、持ってきた」


一歩、また一歩と彼へと進める足は震えていて、目の前の彼にタオルを差し出した手も同じく震えていた。でも彼はそれをすぐに受け取ることなく、タオルと私とを見比べる。……あ、やばい。やっぱりダメだったんだ。そう察して「ごめん、」と呟きながら引っ込めようとした手だったど、それは彼によって止められ、そしてそのまま手を引っ張られた私の身体を受け止めたのは彼の冷たい胸だった。

「……」

ほっぺに押し付けられた制服は冷たくて、私を覆うそれもまた同じ。けれどそんなのは気にしていられなかった。な、なんで。なにこれ。意味がわからない。

「好きじゃ」

彼の声が、降ってきた。

「おまんのこと、ずっと好きじゃった」

ぎゅっと強くなる腕の力が、これが現実だと思い知らせるようで。しかしながらそれはすぐに離れていってしまい、それによって濡れた頬はひやりと冷たく感じた。

「すまん、俺めちゃくちゃ濡れとった」

そう言って私の頭を撫でようとした彼の手は恐らく無意識で、でも私に触れる前に止まった。彼を見上げるとそれは申し訳無さそうで、私は持っていたタオルをそのまま彼の頭に被せた。ビクリと肩を揺らした彼だったけど、私が手を動かすとされるがままに頭をもたげてきた。わしゃわしゃと手を動かしながら、考える。……今、私の事好きって言ったよね?耳が可笑しくなったとかそんなんじゃない、よね?そうは思うものの、彼は確かに私の手で髪を乾かされているし、私の頬は確実に冷たく感じている。

「……」

恐る恐る動かす手を止めると、彼はそっとこちらを見てきた。もういいよ、と告げれば、頭にピンクのタオルを乗せたままで顔を上げる。

「ありがとう」
「ああいや、それは全然。……てか、何してたの」

どれだけ現実だということを押し付けられても、まるで現実ではないみたいで。逆に冷静ともいえる脳内が言葉を紡ぐ。あー…と唸った彼が私の目の前に出してきたのは、ふにゃふにゃの小さな四つ葉のクローバーだった。

「おまんと捜したのふと思い出して、これでもし見つかったら告白しようと決めて、ずっと捜しとった」
「……あ、あの土砂降りの中?」
「うん、まあ」

今日見つけられない方が俺には問題だったけえの。そう話す彼はまさに真顔だった。本当にそうだと思っているのが表情からも読み取れてしまい、こうなるともう、私にはどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

「でも、だって仁王には彼女がいるんでしょ?」
「……は?」
「夏くらいに仁王に彼女がいるって噂が流れたの、知らないの?」

本人にそれを聞くのもおかしな話だとは思うけど。でも、は?と返されればそう聞いてみるしかない。

「何じゃそら。俺は知らない」
「えっ、じゃあ仁王って彼女いないの?」
「いない、っていうか……え?俺今告白したよな?」
「そ、そうだよね」

なんて事だ。どうやら私は、とんでもない勘違いをしていたらしい。不思議そうに私を見る彼から目を逸らし、そして彼の言葉を噛み締める。……聞けばよかった。でも本人から言われたら耐えられないと思って彼の事を避けてしまった、私が悪かったんだ。

「……ごめん」

四つ葉のクローバーを摘む彼の手を握る。今日までの私の努力は、もしかしたら全て無駄だったのかもしれない。けれどそんなのはこれから取り返していけばいい。

「仁王、私も仁王の事がずっと大好きでした」



これからきっと、雨の日になると私は思い出す事になるだろう。丸まった背中も、ピンクのタオル被った彼も、そしてふにゃふにゃの四つ葉のクローバーも。


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