○●○



一ヶ月ほど前に起きた、私の人生史上最も大きな出来事。それは彼氏が出来たことである。その人は私が前から好きだった人であり、人生で初めて告白された相手であり、そして同じく初めての彼氏であり。どうして彼を好きになったのかは自分自身でもよくわからないのだけれど、好きなところは幾つもあって。だから彼から告白されてとても嬉しかったし、私と同じ気持ちでいてくれたんだと思い、その日の夜は中々寝付けなかったほどだった。
しかし元々仲が良かったこともあってか、私と亮の今の関係は恋人なのか友達なのかよくわからない。好きだと言われたし、好きだとも言った。けれど本当にそれだけだ。付き合ってから何度か帰ることがあっても、それ自体付き合う前から何度かしていたし、話すことだって大して変わりない。−−あ、でも、おやすみのメッセージを毎日言い合うようになったから、それは少し変わったことかもしれない。


「亮、見て見て」

今日は一際寒い朝を迎えたこともあってか、夕方になってもそれはもう寒かった。校内は暖房があるから暖かいものの、外に出ればスカートから出る足に冷気が突き刺さるような感覚になってしまうくらい、なのだが。
私の声に彼が目を向けてきたので、はあと息を吐く。すると私の口から出た息は、白く染まって消えた。

「白いの見えた?」
「見えた見えた」

そう頷きながら彼が笑う。それを見てもう一度同じくやると、「怪獣みたいだな」と今度は吹き出した。

「ギャース!」
「……たぶんだけど、世界一弱い怪獣」
「煩いな!」

ポコッと彼の腕にパンチをする。悪い悪い、とやっぱり笑っている亮の口からも同じく白い息が吐き出されていて、私はそれがなんだか嬉しかった。


いつもと同じ帰り道。そのいつもと少し違っていたのは、一ヶ月前のあの日だけだ。『ずっと好きだった。俺と付き合ってくれないか』その日もいつもと変わらない帰り道だったはずなのに、帰り際に彼は突然そう言ったのだ。驚いて、言葉を失うというのはあの時の私のことを言うのだと思う。これは夢なのではと思うくらいで、眠れないほどの嬉しさが込み上げたのも、彼と分かれて一人になってからだった。

でもその次の日に初めて一緒に帰る時にはドキドキしていたものの、やって来たのはいつもの帰り道だったのだ。楽しいし、一緒に帰るのも嬉しい。前までは週一、二くらいの頻度だったのがもう少し増えたのも嬉しい。けれども、これって前と変わらなくない……?とふと思ってしまってからは、逆の意味でドキドキしている。
亮が思う好きと私の思っている好きとは違うんじゃないか。友達としての距離が近すぎたのか。そんなことを考えるようになってしまった。しかしそんな風に思っても本人に聞くことも出来ないし、実際には現状とても楽しいし。そんなことを思いながら今日も、ジローくんの寝言の話をしている彼の横顔を眺める。


信号が赤に変わり、私達は足を止めた。この信号を渡れば、彼と今日はお別れだ。

車がひっきりなしに通り、その風によって冷たくなっていた指先が更に悴む。「寒いのか?」会話の途中だったのに突然彼が聞いてきて、そこで初めて自分が無意識に両手を擦っていたのを知った。


「うん、寒い。だって、はあ……ほら」
「……」


先ほどして見せたように、もう一度白い息を吐いて見せた。その後にすぐ、亮は寒くないの、と聞こうとした私の右手が、いきなり温かいもので包まれる。
驚いて手を見ればそこには私の手を掴む彼の左手があって、そのまま顔を上げれば彼は前を向いていた。あれ、ともう一度手を見るとやっぱり繋がれている。


「寒ければ、言ってくれればこんくらいなら俺にも出来るからよ」


ぎゅっと力の籠められた指先が甘く痺れる。


「う、うん。ありがとう」
「おう」


つーかいつでも言ってくれ。俺、こういうの、タイミングよくわかんねえし。そう続けられてしまえば、恥ずかしいやら嬉しいやらでドキドキして、顔が熱くて堪らない。

「え、なんて言ったらいいの」
「……寒いなとか」
「寒いって言ったらいい?」
「……まあ、俺がわかればなんでもいいぜ」

わかった、と私が頷いたのとほぼ同時に信号が変わり、私達は歩き始めた。でもそこはいつもと同じ景色なはずなのに。なんだか身体はふわふわして、キラキラして見えて、指先はたぶん何処よりも温かくて。

「あ、あのさ」
「ん?」
「それ、寒くなくても言ってもいい?」


思わず口から滑り出た言葉が、白くなって私と彼の間を昇る。


「…………いいけど」


言い終わって、チラリとこちらを見た亮と視線がぶつかる。それだけで驚くほどに大きく鳴る心臓の音は、周りの雑踏なんか聞こえないくらいだ。


しかし、残念ながらすぐに訪れてしまった別れの場所。「じゃあまた明日」そう言って彼は意図も簡単にその手を離す。

「……亮」
「ん?」
「手が寒いです!」

そう言って両手を差し出せば、目を見開いた彼が、一瞬にして困ったような笑顔になる。ほらよ、と再び握ってくれた彼の両手はやっぱり温かくて、でもそれ以上に私はたぶん、幸せだ。

それからの寒い期間、私はこの魔法の言葉をずっと使い続けていたのだけど。春が舞い降りる頃には、その言葉を言わなくてもよくなるほどに私の手は彼の手の定位置になっているのである。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -