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「この間、学校の裏庭の方にある花壇に水を上げてたら猫がいたんだよね」


委員会活動の時のことを乾くんに話したのは、先週のことである。

そうして私は今日も当番である水やりに行ったのだけれど。そこで見覚えのある男の子が、周りをキョロキョロと見渡しているのを見つけた。……確かこの子、乾くんの後輩の。名前までは思い出せなくて、でも目付きが鋭かったから顔はちゃんと覚えていた。なんだろう……誰か呼び出して殴るとか……いやいや、乾くんと仲がいい(よく話を聞くから勝手にそう思ってるだけ)後輩くんに限ってそんなことあるわけないし、人を見た目で判断しちゃだめだ!などと考えていた私の足音が聞こえたのか、彼は勢いよく振り返った。

「……」

そして私と目が合うなり、走ってどこかへ行ってしまったのだった。


***


それから一週間後。毎日ではなく、曜日で割り当てられている水やりの為に裏庭に向かうと、またもや同じ男の子……海堂くんが、周りを見渡していた。

『もし良ければ、この間見たという猫の写真を海堂に見せてあげて欲しいんだ』と、乾くんに言われたのは、先週の休み時間に彼と話していて彼の名前が出た時だった。裏庭で何かキョロキョロしていたのを見た、と伝えると、ノートに何か書き込んでから、乾くんは確かにそう言ったのだ。それから、海堂は見た目は少し怖いけど優しいから、と付け足された。まるで私の脳内を読んだのかと思ったけど、それは敢えて言わないでおいた。


「……あの」


私が声を掛けると、やはり勢い良く彼は振り返った。そして、なんだコイツ?とでも言いたげに私を見る。……こ、怖い。でも乾くんには見せてって言われたし。「乾くんから言われたんだけどね」と切り出し、携帯のアルバムから先日撮った猫の写真を選ぶ。


「猫、こんな感じの茶トラなんだけど、晴れの日は暑いからかあんまりいないみたい」


そう言って、晴天とも呼べるくらいに青く染まった空に視線を移す。海堂くんはというと、なんというか、固まってしまっていた。


「も、もしかして違いました?」


ピクリともしなくなってしまい、恐る恐る聞いてみる。これで違ったとしたら乾くんに文句を言う。怖かったのに頑張って話しかけたのに!しっかりデータ取ってよ!って。

「……いや、えっと、乾先輩が?」
「あ、うん。乾くんとは隣の席で、乾くんに猫を見たって話したのもたぶん私なんだけど」
「そ、なんすか」

頷きながら呟き、目を逸らす。……あれ、なんだか全然怖くない。声はとても低いけれど、凄みというよりは話し方を聞く限りでは穏やかな雰囲気すら感じる。

「猫、好きなの?」
「えっ、あ、まあ」
「そうなんだ!……あ、先週いたのももしかして猫を探して?」
「……」

やっぱり気まずそうに目を逸らした彼は、小さく頷いた。なんだろう。何がそんなに気になるのだろうか。それから少し話していたら、猫が好きなのだけれど家では飼っていないから、校内に猫がいたと聞いて一度見てみたくなったのだという。
しかし毎日とは言わないが何日か来ていたのに会うことがなく、それにこうして水やり当番の人も来る為、そろそろ諦めようとしていたらしい。

「そっか……でもいつか来ると思う、私以外の子も見たって言ってたし」
「そうなんすか?」
「うん!それにすごく可愛い子だったから、ぜひ海堂くんにも見て欲しいなあ」

とはいえ、海堂くんだって毎日来るわけにいかないし。何か良い案は無いものか。……と、私が腕を組んだ時、青空に昼休みの終わりを知らせる予鈴が響いた。

「……あっ!水やり!」
「あ、すみません、俺の話に付き合ってもらったばっかりに」
「それは全然!猫は可愛いから仕方ないよ」

いや、どんなフォローの仕方なのそれ。後々に心底思うのだが、とりあえず焦っていた私にはそう言うしかなかった。しかも海堂くんは海堂くんで「ありがとうございます」とお礼を言ったのだから、きっと私と同じだったに違いないのだが。

「と、とりあえず今は帰ろう!」
「でも水やりは、」
「私、放課後やりに来るから大丈夫!」

花壇と私を交互に見ながら眉を顰める彼は、私が言ってもやはり同じく表情を変えない。でも私が、戻ろうと声を掛けると、ようやく歩き出した。名残惜しそうに、水やりのホースを見ながら。

それから放課後になり、掃除を終えてから忘れないようにとすぐに裏庭へ向かった。やはり外は暑く、最低でも一日に二度は水やりをしなければ、花壇の花達はその水分を奪われ続けることだろう。

裏庭が近づいてくると、何やら水音がしている。それはそう、まさにいつも私が水やりをしている時のような。
どういうこと?
疑問に思って、私は小走りでその場に向かった。もしかして、蛇口を閉め忘れたとか?……いやそもそも開けてない、そこまですらいかなかったんだ。海堂くんが居たから。

水音が聞こえるくらいすぐ側だったから、その現場にはすぐに着いた。そこには昼休みと同じく海堂くんが、今度はホースを持って立っていた。私を見て「お疲れ様です」とぺこりと頭を下げる。それに対しては私も、お疲れ様ですと言って頭を下げるのだが。


「え、あれ、海堂くん……なんで?」


花壇を見ると、もう既に充分な程に水が与えられ、きらきらと雫と共に花までも煌めいている。それはまあ、絶対に、花達にとっては良かったことなのだろうけれど。


「あ、さっきは俺のせいで水やり出来なかったので」


このくらいでいいすか、と、彼は手元のホースを止めて問う。とても良いです、と答えれば「っす」と体育系男子特有の返事の後、彼は蛇口を捻った。

「このホースは……」
「それは私にやらせて下さい!」

当たり前のようにホースをまとめ始めた彼から慌てて受け取る。なんだ、本当に全然怖くないじゃない。むしろしっかりしてて礼儀正しいし、それにこんなところに何度も足を運ぶくらいに猫が好きだなんて、そんなの悪い人なわけがないもん。

「ごめんね、部活もあるだろうにわざわざやってもらっちゃって」
「いや、俺の方こそ邪魔してすみませんでした」
「全然、全くすみませんじゃないよ」

そう言うけれど、やっぱり申し訳なさそうにする彼の表情は変わらない。本当に、全くそんなことないのにな。「じゃあ、俺行きます」そう言って再び頭を下げた。……このまま、来なくなっちゃいそう。海堂くんはただ、猫が見たかっただけなのに。そう思うと言いようもない寂しいさが胸の中に募った。せっかく優しいってことも知れたのになあ。遠ざかる背中を見ながら、彼の表情が頭から離れなくて。


「……あ」


海堂くん!と私が叫ぶと、彼は思い切り肩を震わせて振り返った。……これ、昼も見た気がする。そんなことを思いつつ、私は彼の元に駆け寄る。

「あのね、わかったよ」
「……なにがっすか?」
「私がこうして水やりに来たときににゃんこがいたら、海堂くんに連絡することにするってのはどうかなと、思うんだけども……」
「え、」

驚いたように彼は目を見開いた。そうしてから、私も、考えた。

「…………アッ、違うの、別に連絡先を交換しようってことじゃなくて!」

自分の発言の図々しさに気づき、慌てて否定をする。こんな、こんな図々しい連絡先の聞き方があろうか。猫がいたら連絡するから連絡先を教えろなんて、そんな馬鹿な。私がされたらきっとドン引きする。いや、でも、それが目的ではないというのは本当なのだが。

「ごめん、めちゃくちゃごめん。どうか、今のは聞かなかったことにして欲しいです」
「…………はい、わかりました」

そう頷かれ、それはそれでちょっと傷つく。あ、やっぱり迷惑だったよね。でもそりゃあそうだよね、私達、ほぼ初めて今日会ったみたいなものだし。
彼はもう一度頭を下げると、再び背を向けて歩いて行く。それを確認してから私も同じく彼に背を向けて歩き始める。あああ。私の馬鹿。これじゃあ海堂くんはもう絶対に猫を見に来れなくなってしまったじゃないか。申し訳がない。彼が一体何をしたというのだ。ただ、猫が見たかっただけなのに。

「あの、」

突然後ろから聞こえてきた低い声に、びっくりを通り越して少し飛び跳ねてしまった。振り向くと海堂くんが目を丸くして、すぐに謝罪の言葉を告げた。

「すみません、連絡先なんすけど、俺今携帯持ってなくて」
「……うん」
「乾先輩に聞いてもいいですか」
「…………うん、それは、もちろん」

私が頷いたのを見て、本日何度目かのあの返事が寄越される。その際、ほんの少しだけ彼の口元が緩んだように見えたのは、私の見間違えだろうか。


夜、海堂くんからメッセージが届いた。

『海堂薫です。よろしくお願いします』

薫くんって言うんだ。なるほど。よろしくって、なんか可愛いなあ。

それからの水やりに、にゃんこがいますように、と願うようになるのはもう少し先のことなのです。


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