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外を歩いている時にポツポツと降り始めた雨は、どうやら私が電車に乗っている間に本降りになってしまったらしい。電車の窓には、ひとつ、またひとつと打ち付けられた雨が次々と重なっていく。

「……」

傘、どうしようかなぁ。窓から目線を落とすけれと、やはりそこには鞄だけが目に入る。そうしてまた、窓を見る。……傘、どうしようかなぁ。

『仕事終わったら連絡して!』とジローから連絡が入っていたのを思い出す。彼には終わって直ぐに職場から連絡をしたけれど、雨に濡れない様にと急ぎ足で歩いていた私にはその後の返信を見る事も無く、湿気の充満したこの人混みの中では携帯を開く気にもなれず。ただチラリと確認した画面上には、特に代わり映えのない待ち受けが表示されている。恐らく、寝ているのだろう。この雨の音はきっと、彼の眠りのお手伝いには最適だろうから。


電車から降りても、駅のホームは変わらず湿気が篭っている。ほんの少しの水分を含んだ服が、じっとりと張り付く様なこの感覚はあまり好きではない。

──やっぱり傘、買った方がいいかな。でも今日はもう帰るだけだしなぁ。
人波に促されながら、ぽつぽつと歩みを進める。頭の中では走っても帰れるんじゃない?という私と、傘くらい買った方がいいよ、という私が終わらぬ討論を続けている。

……そうだ、一度外を見に行ってみよう。思っているほど強い雨じゃないかもしれないし。大体、私が電車に乗ったくらいの時間で本降りになるような雨なのだから、弱まっている可能性だって無きにしも非ずだ。
頭の中の私の討論に一応終止符が打たれた。弱まっていますように。そうささやかな願いを持ちながらいつもの出口に向かう私だったけれど、入ってくる人達の手にある傘や服の濡れ具合を見る度にその期待はどんどん薄まっていく。


出口に近付くにつれて音が、すれ違う人達から発せられる言葉が、鼻をつんと刺激する特有の匂いが。もはや見ずとも、私の願いの先を教えていた。

「あー…」

出口が見えてくる。残念ながら──しかしここは、やはりという言葉を使うべきか。ああ、これは流石に……。諦めて進めていた足を緩めた時、人混みの中でもよく目立つオレンジ色の傘が動いた。
そして何処からか私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「ひなこちゃんー!」


どんよりとした空の下、弾ける様な笑顔と共に水玉の傘が揺れる。気が付けば私は走り出していた。


「え、ジロー?」


どうしたの、なんでここにいるの?と続ける私を見る彼は、雨を避ける様に急ぎ足で駅内へ入っていく人達とは正反対に晴れ渡って笑っている。


「雨降ってきたなーって見てたらひなこちゃんの傘があったから、迎えに来たよ!」
「……」


みるみるうちに消えていく。雨で俯いていた気持ちが私の中から無くなっていく。


「ありがとう、ジロー」


ジローは魔法使いみたいだなぁ。
どんよりとしていた雲は彼の持つオレンジの傘で見えなくなり、うんざりしていた気持ちは彼の笑顔の前に消えてしまった。

「ううん、着いたって連絡しても返事無かったから会えて良かったC」
「え、あ、ごめん!」


慌ててカバンを漁ろうとすると、見なくていいよ、と声が掛かる。


「ちゃんと会えたからさ、だからそれは家に帰ってからで大丈夫!」
「……ありがとう」

私のお礼に笑顔で頷くと、家の方を向いた彼が帰ろうと促してきた。もう一度肩にカバンを掛け直した私を見たジローと二人一緒に歩き始める。

「そうだ、今日の夜ご飯何にする?」
「んー、ジローは何食べたい?」


雨が足元の地面を叩き、彼の持つ傘の表面も叩いていく。


「あ、それなら帰り道にあるスーパー見ていかない?」


質問に答えようと悩んでいた彼が、閃いた!とでもいうようにその目を大きく開ける。


「私はいいよ、ジローがいいならそうしよう」
「ん!じゃあそれまでに食べたいもの考える!」

嬉しそうにそう言って前を向いた彼の頭の中に今、何の料理が浮かんでいるのかはわからない。でも雨の中でもこんなに楽しくて幸せな気持ちにしてくれるのだから、今日は彼が好きな物を沢山作ってあげよう。


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