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転校してきたばかりの橘くんは、よく外を見ていた。サボってるとか授業がつまらないとかそんな感じではなく、ふと気づけば青空を眺めている。熊本にいた頃のことを思い出しているのだろうか、などと考えながら私はその後ろ姿を眺めていた。
それから月日は流れ、私達は三年生になった。そして再び同じクラスになった私と橘くんは、よく話す仲のクラスメイトになっていた。

「ねぇねぇ橘くん」
「ん、どうした?」

後ろから声を掛け、前髪を切ったら思いの外短くなってしまった、そのような事を彼に伝えて最終的にどうかと問う。

「…いいんじゃないか?」
「……その間、絶対思ってないじゃん」

がくんと項垂れれば、はは、という笑い声と一緒に「似合ってない事は無いとは思うけど、そうだな…」と呟いて、私の前髪を撫でる。そして、少し幼くは見えるかもしれないな、と言われてしまえば肩を落とすしかない。

「何、前髪くらいすぐに伸びるだろう」
「そうかなぁ」
「ああ」

しかしそうやって私をあやす様に頷いてくれる橘くんを、私はいつの間にか好きになっていたのだ。そしてこの頃になると彼が授業中に空を見る事は減っていて、彼をずっと見ていた私も、そんな事があったのすら忘れていたのだけれど。


……あ、橘くん。
夏が終わり、秋が顔を覗かせる季節になった。放課後に廊下を歩いていたら、橘くんが窓の近くに立っているのを見つけた。その横顔だけでも胸がキュンと音を立てるのを感じがら、私も釣られて外に目を向ける。外は雨が降っていて、なんとなく、彼はまた空を見ていたのだと思った。窓に打ちつける雨ではなく、酷く淀んだ空を。でもそう思ったら何故だか突然、二年生の頃に彼が外を見ていたことを思い出した。
「橘くん」
「ああ、お前か」
「外、凄い雨だね」
そうしてふと、思ったのだ。彼は熊本に好きな人が居たのではないか、熊本のことを思い出していたのではなくその人のことを思い出していたのではないか、と。近づいてみて初めて、彼の横顔に何処か物寂しさを感じた。きっとあれは特定の誰かを想っているような、そんな風に思った。
私の言葉に頷いた彼は、やはり空を見る。思い返せば、綺麗に晴れ渡る空を見ていた彼も同じような表情をしていた気がした。


「……橘くんってさ、彼女はいないって言ってたけど、もしかして好きな人はいるの?」


私は外を見た。雨粒が沢山付いたこの窓の外を見ても私には、雨が降っている、としか思えない。でもそれは当たり前だ。空を見て想いを馳せるような場所は、私にはまだ無いのだから。


「ああ」


だが、それがどうしたんだ?ゆったりとして、いつもなら私に安心や喜びを与える彼の声が耳に届く。けれど今、それは少しだけ悲しいものだった。少しだけなのはたぶん、私がまだこの事実を受け止めきれていないからだ。

「ううん。なんか、橘くんって二年生の時によく空を見てたからね、熊本のことを思い出してるんだと思ってたんだ」
「そうだったか?」
「うん」

でもそれはきっと、好きな人のことを思い浮かべていたんだね。そう言葉にすると、じわりと胸が痛む。失恋は決まってしまった。けれど、故郷の人には敵いっこない。むしろ今で良かったんだ。深く傷がつくほど好きになる前で。


「……ん?」


疑問を表すような声が聞こえてきて、窓から彼へと視線を戻す。彼は珍しく目を丸くしていた。

「俺は、熊本に好きな人はいないぞ」
「え?」
「……確かに、思い出す人は沢山いる。まあその中でも一人、特に思い出すというか、心残りのある奴もいた」

ぽつ、ぽつと彼が話しだしたのは、橘くんが目に怪我をさせてしまったという友達の話だった。自分のせいでテニスが出来なくなり、転校もしてしまった友人が何をしているのか。空を見ていたつもりは無かったが、ここに来たばかりの頃はよくそんなことを考えていた、と。

「だが、全国大会で千歳と試合をして、俺もあいつももうお互い吹っ切れたんだ」
「そうなの?」
「ああ。今もふと、雨の時には痛まないのだろうかと考えて、連絡してみようかと思っていたところだ。最も返事がくるのがいつになるのかはわからないが」

いつものように笑って、そしてやっぱり空を見る。しかしそれはほんの一瞬で、彼はすぐに此方に目を寄越した。


「心配してくれていたのか?」


穏やかで、優しい声。何処か嬉しさの滲んだその音色に、胸が高鳴り始める。


「うん、少し。でも最近は気にならなかったから、たぶんあんまり橘くんも空見てなかったと思うけど」
「それがバロメーターか」
「そのひとつね、私の中では」
「……そうか」

そう言って橘くんは、ふっと笑いを零した。雨で肌寒く感じる廊下にいても、それだけで心が温かくなるような気持ちになるのだから、私はやっぱり彼が好きだ。

「ちなみになんだが」
「うん」
「鈴原は好きな人はいるのか」
「……えっ?」

思いもよらぬ展開に、声が裏返る。そんな私を見て、今度は目尻に濃く皺を寄せた彼が「俺も答えたんだから、聞く権利はあるだろう?」なんて言ってさらに笑うのだ。


「あ、えーっと」


しどろもどろになりながら、横目で見ながら。小さく頷く私の気持ちを伝えられるまでは、もう少しかかりそう、だなあ。


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