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(ハピエンです)

「丸井くんに彼女が出来たって」


それは、週始めの月曜日の朝。初夏の陽射しとは思えぬ程に鋭く、肌が焼き付けられる感覚を味わいながら、学校にたどり着いた後の事だった。

「え……」

教室に着く前の私に友達が放った言葉は、あの熱い陽射しの中を歩いてきた私の汗を、文字通り一瞬にして止めた。それだけに留まらず、私から溢れそうになっていた熱は何処かに消え、指先は瞬く間に冷たくなっていくのがわかる。すれ違う人の笑い声も、廊下中で行われている様々な会話も、既に私の中には届いていない。ただ目の前の友人が心配そうに私の顔を覗いているのはわかった。

私にとって丸井くんは、誰よりも大好きな人だった。顔を見るのも、話をするのも、走っている後ろ姿ですら、それが彼であれば私はそれだけで元気にもなるし、胸がキュンと高鳴った。「丸井くんは今日もかっこいいね」。毎日のように思うがまま気持ちを口に出す私にも、サンキュ、と笑ってくれる彼がどうしようもなく好きだった。いつもきらきらして眩しいくらいなのに、すぐに私の隣にきて笑ってくれる、そんな彼が。

嘘であれと、心の底から願った。毎日の様に、誰と誰が付き合っただの、別れただのの噂を聞く。そして私達学生の中でそんな事は日常茶飯事で、その中には時として真実ではない時も確かにあるのだ。誰かが間違えただけの嘘なんじゃないか。誰から聞いたのかはわからないけれど、それは嘘な可能性だって、と。
しかしそんな私の願いは叶う事なく、それは紛れもない真実だった。相手はI組の色白で可愛い女の子。私は彼の全てを知っている訳ではないけれど、それでも彼女と仲良くしている所は見た事も聞いた事も無くて。そして私にとってはそれがまた辛かった。あの丸井くんが誰にも言わずにそっと仲を深めていたのだと思うと、彼女の事が堪らなく羨ましく思えた。

話す事もない。近づく事もない。私が今まで彼にしていた事を、彼女がいると知ってできる訳がなかった。彼女からしたら私のような存在は邪魔でしかないというのはわかっているからだ。しかしこうなってしまうと、同じクラスなのは厄介でしかなかった。毎日眺めていた前から二番目の赤髪も、友人と話す聞きなれた声も。心も身体も、彼の存在に反応してしまう。それが前まではあんなにも幸せに思えていたのに、今は彼の存在を感じさせる全てが辛く思えた。
好きだから辛い。そんな事はわかっているのに、この気持ちを捨てられないのだ。だって私は、丸井くんが大好きなんだから。毎日の様に口に出していた言葉が、吐き出される事無く少しずつ私の中で積み重なっていく。ああ、私、こんなに丸井くんの事が好きだったんだなぁ。知っていたけれど、改めて思うと、それだけで涙が出た。


「あれ…」


水曜日。いつも通りに登校してくると、机の上にチョコレートが置かれていた。周りを見渡すけれどそれらしい人居なくて、友達が私を元気づけようと置いてくれたのかなと思って聞いてみるも、それは彼女達では無かった。よくわからなかったので、私はそれを食べる事はせず、カバンにしまった。
しかしそれは次の日、また次の日の金曜日にも置かれていた。……一体、誰がこんな事を。でも、私を丸井くんのファンだと思っていた人が、哀れに思って置いていてくれているのかもしれない。正直何かを深く考えるのが嫌で、深みにハマる前に溜め息として吐き出した。カサ。両端の絞りを緩める。金曜日の朝、私はそのチョコレートを初めて口にした。泣きたくなる程、甘かった。


週が明けて、月曜日。やっぱり私の机の上にはチョコレートが置かれている。なんなんだろう、本当に。顔を上げると、丸井くんの横顔が目に入ってしまった。たったそれだけなのに、胸がズキンと痛む。
……これが痛まなくなる日がいつか来るのだろうか。にわかには信じられなかった。だってどこにあるのかわからない私の胸の中が、あまりにも痛むものだから。


「いただきます」


やっぱり友達の誰かなのかな。それかみんなで私には内緒にして、元気づけようとしてくれているのかも。そんな事を思いながら口に含んだチョコレートは今日も甘く、先程酷く痛んだ胸に、優しく染み渡った気がした。


それからまた一週間以上が経ち、私の胸は相変わらず丸井くんを見る度に大きく脈を打ち、痛む。けれど心配してくれている友人の為、そしてこのチョコレートを毎日置いてくれている人の為。元気にならねば、と気合いを入れて教室に足を踏み入れた。


「お、」


しかし私の机の前に立っていた人を見て、私はその決意が如何に脆いものだったのかを知った。教室から入ってきた私を見るなり腰を上げたのは丸井くんだった。それを見ただけなのに、思わず足が止まり汗が引き、指先が冷たくなっていく。それでもこちらへ歩いてくる彼に、私は目を離せずにいた。

「おはよ」
「……」

二週間ぶりに声を掛けらたのに、以前なら喜びで反射行動で声を発していた私の身体は、大きく変わっていた。声も出せずに彼を見つめる。「……おはよ」その後漸く出た声は、蚊の鳴くような小さな声だった。

「悪いんだけど、ちょっと付き合ってくんない?」
「えっ」

思いもよらぬ言葉を放ち、彼は私を見つめた。何処に、と恐る恐る聞くと、着いてきてと廊下に出ていく彼に着いていく羽目に。
あ。そう呟いて、私の少し前を歩いていた彼が振り返った。肩を思い切りビクつかせながら返事のような声を漏らした私の目の前で、彼がポケットから取り出したもの。

「ほら、これやるよ」

そう言って向けられたのは、二週間前から毎日私の机の上に乗っていたチョコレートと同じものだった。えっ、えっ、えっ。頭の中が『えっ』で埋め尽くされる。素直に差し出した私の掌にチョコレートを乗せた丸井くんは、再び前を向いた。……えっ?どういう事?丸井くんがいつもくれてたの?目の前にある大好きな後ろ姿に、その質問を投げかけることは無かった。

彼に着いてやってきたのは、使われていない教室だった。彼の手によって開けられたドアの向こうには、彼女が立っていた。本日二度目の、血の気が引いていく感覚に襲われる。いや、それよりももっと酷い。胸の鼓動はドクンドクンと大きな音を立て、もはや気持ち悪く感じる程だった。

「……」

彼女は私を真っ直ぐに見ていた。その目が何を考えているのかは分からなかったけれど、あまりの恐怖に私からすぐに目を逸らした。

「あのな」

彼女と私の間から位置をずらし、三角形になるような位置につけた丸井くんは、そう言ってから私の名前を呼ぶ。怒られる。瞬時に悟った。私が丸井くんを好きだと思っている事が、彼女にも丸井くんにも迷惑だったんだ。あの日からは一度も言っていないけれど、それまでの間、私が彼に投げかけていた言葉を何処かで耳にして不快に思わせていたのかもしれない。でも、そんな事言ったって、私だって丸井くんの事が

「山田と付き合ってるっていうやつ、あれ嘘だから」

親指を彼女に向けた丸井くんが、確かにそう言った。

「…………は?」

思わず変な声が口から漏れた。未だに心臓は気持ちの悪い鼓動を刻んでいるし、彼女の目も怖いけれど。だから、山田と俺は付き合ってなくて、ただそのフリしてただけなの。私を見ながらもう一度説明してくれる彼が、な?と彼女を見る。

「うん、そう。そもそも私が好きなのはジャッカルだから」
「…………はい?」

ジャッカルくんが好き?それならなんで丸井くんと、ってか、フリだったの?一気に頭に流れこんできた情報は、この場面という事もあり全く処理が追いつかない。でも、これだけはわかる。

「丸井くんは、山田さんを好きじゃない…?」
「んー、まぁ、好きじゃないっつーと語弊があるけど、そういう対象に考えた時は無かった」
「……」

その後、二人が教えてくれた事によると、山田さんはジャッカルくんが好きで連絡を取っていたのだけど、ある日「丸井の連絡先だろ?」と突然言われて勝手に教えられたらしい。お互いジャッカルくんを介して話した事はあったものの、彼女は彼については何とも思っておらず、しかし紹介されたのでと連絡を取った。そこで彼女の気持ちを知った彼が、一肌脱ぐという事になったようだった。

「もう先にジャッカルには嘘だったって言ったんだよ。で、こいつらは晴れてカップル」
「……本当にごめんね?」
「え、」

彼女がそう言って私の顔を覗き込む。なんて綺麗な肌だろう。こんなに可愛い人をそういう対象で見ないなんて、丸井くんは少しおかしいんじゃ。本気でそう思ってしまいそうになる。

「鈴原さんが丸井くんのファンだって知ってたのに、こんな嘘ついちゃって」
「えっ、ファン?」
「ひなこ、何処でもカッコイー!って言うからみんな知ってんだと」

あまりの衝撃で言葉が出なかった。その代わり、自分の口を手で覆う。まるで、これまで自分の口から出してきた言葉を隠すかのように。今更すぎる、のだけど。

「丸井くんとは手も繋いでないどころか、二人きりで会ったことすらないから」
「……」
「神様とジャッカルに誓って」

さっきまであんなに怖かった私を見る彼女の目も、恐らく彼女自身の気持ちも、きっと何にも変わっていないはずなのに。ちっとも怖くない。それどころか、三分前の彼女よりも百倍は可愛く見えている気がしてくる。…そっか、この子、ジャッカルくんの事が好きだったんだ。彼女の目を見つめ返して頷くと、嬉しそうに目を細めた。

「……わかった?」
「う、うん。わかった」
「ん、良かった」

丸井くんはそう言って私を見て、安堵した様に息をついて笑った。そしてそんな彼に、先程までとは違うドキドキが舞い戻って来るのを感じる。

「じゃあ山田はとっとと帰ってI組でイチャイチャしろぃ」
「はーい」

そう返事をした彼女は、最後に私を見てもう一度笑みを零した。可愛いという事は知っていたけれど、こんなにも可愛い人だったなんて。釣られるように私も笑いかけると、それを見て彼女は教室を出ていった。

「……」
「……」

……じゃ、俺達も戻るか。彼女が居なくなった教室に、丸井くんの声だけが響く。私の心臓は相変わらず煩くて、でもこれは正直、私には懐かしく思えるもので。私が頷いたのを見て丸井くんは先に教室を出る。さっきは立てなかった隣りに、思い切って並んでみる。

「……丸井くん」

横を見ると、どうしようも無く眩しい彼がいる。私の視線に気付いて振り返った彼が、ん?と首を傾げて。

「丸井くんは、今日もかっこいいね」

私の言葉に、ハッと歯を見せた彼が「久しぶりに聞いたわ」と言ってくれる。それだけでこんなにも嬉しいと感じる私は、やっぱりどうしようもなく彼が大好きなんだ。

「また毎日言うね」
「おー」

ま、たまには違う言葉でもいいけど。そう呟いた彼の言葉は、チャイムによって掻き消される。しかし走って教室に駆け込み席に着いた私のポケットに入っていたのは、毎日この机の上に乗っていたものと同じで。もしかして、いや、もしかしなくても。かっこいい以外の言葉を彼に伝えられる日が、やって来るのかもしれない。


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