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「いいじゃ〜ん、そこを何とか」

自身の顔の前で両手を併せ、私へと深々と下げる彼は随分と昔から見知った顔だ。

今日は彼氏である赤也の応援の為に、友人何人かと一緒に試合を見に来ていた。しかし数分前にその輪から離れて一人、自販機に来た私を掴まえたのは、私の同い年の従兄弟だった。
従兄弟はどうやら私の友人に一人、気になる女の子を見つけたらしい。それ自体は私も全面的に理解するし、共感もする。けれど、その子の連絡先を教えて欲しい、と言われれば話は変わってくる。即座にその願いを却下し、自分で聞けばいいと言って帰ろうとしたら縋りつかれ、現在に至るのだ。

「やだよ。そこまで言うなら本人呼んでくるから自分で聞けばいいじゃん」
「ムリ!あんな可愛い子と面と向かって断られたら立ち直れない!」
「……たぶんあの子優しいから断らないと思うよ」

だから今呼んでくる、と全て言い終わる前に従兄弟に背を向けて応援席へと向おうとするも、制止を求める声と共に腕が掴まれて引き止められてしまう。

「え、今?今来るの?」
「そうだよ、今しかないでしょ」
「待ってまだ心の準」


「ハイハイハーイ」

軽く弾むような声が聞こえて来たかと思うと、腕を掴んでいた従兄弟の手が強制的に離される。そして気付いた頃には。私の目の前はカラシ色でいっぱいになっていた。

「オニーサン何?もしかしなくてもナンパ?」
「……え」
「つーか先輩の腕掴むとかさぁ、アンタ何様なの?」

顔を見なくてもわかる。自分よりも幾分か背の高い従兄弟に向かい、思いっきりガン垂れる彼氏の顔が思い浮かぶ。

「ちょ、赤也」
「先輩カワイーから声掛けたくなっちゃうのはわかるけど残念でした、この超絶可愛い先輩は俺のだから」
「……」

呆気に取られた様に赤也を見ていた従兄弟が、チラリと私の方を見る。その瞬間、彼の腕が私を自分の背中に隠した。私を背中から出さない、と意志を感じるくらいにその腕は力強くて。そして「だから、アンタに見せる先輩なんてこれっぽっちもねーんだよ」と、さっきよりも明らかにドスの効いた声が聞こえてくる。

「ま、待て。俺だってそいつにはこれっぽっちも興味は無い」
「……」
「俺はただ、そいつの友達に興味があっただけで」
「……は」
「赤也ストップ!」

そう叫んで、私を自分の背中に隠していた彼の両手を掴む。ピタリ。一瞬前へと進みかけた身体は止まった。

「前に一回言ったでしょ?その人、私の従兄弟だから」
「……え?」

振り返ってこちらを見てきた赤也と漸く目が合った。どんな顔で従兄弟を見ていたかは分からないけど、私の目と合った彼のそれは既にいつもの物に戻っていた。

「だからただ、今一緒に来てる私の友達を紹介して欲しいって頼んできてただけなの」
「……」


っす。顔を前に戻した赤也は、首を少しだけ前に動かしてそう呟いた。


「いや、ってか、へぇ」
「何よ」
「お二人は付き合ってるんだね、へぇ」

あからさまにニヤニヤし始めた従兄弟に僅かながらも怒りを覚える。何なんだこいつ。赤也にあれだけ凄まれても全然ビビってないくせに、なんで私の友達と話すのはあんなに怖がるんだ。そして私がイラついてるんだから赤也は尚更……。


「そうなんす、俺ら付き合ってるんすよ」


赤也は尚更イラついてるのかと思って彼の顔を覗き込んだらびっくり、嬉しそうにニコニコしていた。こっちはこっちで何なんだ。

「そっちこそ、先輩の従兄弟だったんすね」
「そうそう」
「なるほど、わかりました。先輩に興味ねえって言うから、この人目ん玉に視力入ってねーのかなって思いましたけど、それなら納得っす」
「……」
「……割りとこれがデフォルトな子なの」




それから少し話し、この後試合があるらしい従兄弟は去っていった。結局友達には私から聞いてみる事になってしまい、何だかんだ赤也が割り込んできて従兄弟はラッキーだったと思う。

「ひなこ先輩…」


従兄弟が去り、赤也と二人になった。


「……いや、私の事ナンパする人なんていないって」


私を見ながら両手を突っ込まれている彼のジャージのポケットは、ギュッと下に伸びている。前に私が『人前で抱きつくのはダメ。我慢する時はポケットに手突っ込んで、そうしたら抱きつけないから』と言った教えを守っているのだろう。考えてみれば、さっきの割り込んできた時もそうだった気がする。……しかし、その前にポケットに穴が空かないか不安になる。

「いますよ、いるに決まってるでしょ!」
「今まで一人も出会った時ないから」
「それはたまたま運が良かっただけで…」
「じゃあこれからもずっと運はいいから、安心して」

彼の頭へ手を伸ばす。わしゃわしゃと撫でるけれど、尖った彼の唇は変わらなくて。

「……先輩、ちょっとついてきて」
「えっ、赤也試合は?」
「まだ大丈夫です」

そう言いながら手を繋いだ彼に、着いていく事しか出来ない。前を向く顔を覗き込むと、ちらりと目が合う。ぎゅっと眉を寄せた彼はやっぱり前を向いてしまった。

「ひなこ先輩」
「はい」
「…ここは、人前ですか」

そうして辿り着いたのは、今日は使われていない他競技の会場へと続く道だった。人前か、と言われるとそんな事は無い。使われていないのだから、誰もこの道を使わないという事だ。
ううん、と首を横に振る。するとそれを見た赤也の両手が私の身体を抱き締めたのだ。

「ちょっ」
「人前じゃないからいいでしょ」


力無く呟き、私のこめかみへと自分の頬を擦り寄せる。


「マジで頭に血のぼったっす」
「うん」
「先輩いたから我慢しましたけど」
「……ん、ありがとう」

腕が緩んだかと思うと、彼が顔を覗き込んでくる。尖っていた唇はもうその影は潜めたけれど、その眉にはまだ少し皺が寄ったままだ。

「怒ってる?」
「少し」
「じゃあ後は?」
「……先輩可愛いから、このままチューしようかなって思ってるっす」
「……」

真剣に、それはもう真剣にそんな事を言うもんだから思わず噴き出してしまった。ああもう、本当に。さっきまではテニス部のエースとして試合をしている彼は、凄くかっこよかったのになぁ。

どうしてこんなにかっこよくて素直で可愛い彼は、私の事をこんなにも好きでいてくれるんだろう。不思議だけど、でも、込み上げる嬉しさと愛しさで彼の胸に額を付けながら笑ってしまう。

「先輩笑ってる?」
「ちょっと」
「笑ってる先輩見たいっす」
「……何それ」
「この後試合だから、やる気下さい」

私なんかいなくても、どうせ赤也はやる気でいっぱいなんだって分かってる。
しかしそう言われてしまっては。顔を上げると目が合って口許を緩める彼に、私もつられてしまう。


「もう一個、やる気下さい」


俺、欲張りっすから。一瞬だけ触れた柔らかさが遠ざかれば、ニヤリ、と欲張りの君が笑った。


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