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バレンタイン。それは女の子にとっても男の子にとっても特別な日。女の子も男の子も何日も前からソワソワしていたり、覚悟を決めた様な顔をしていたり。好きな人にチョコレートを渡すと意気込んでいた友達の背中を押したのは、つい先週の話だ。
「はい、ハッピーバレンタイン!」
そしてもちろん、私もその一人だった。大好きなブン太の為に一昨日から準備をしてきたものが、いよいよここでお披露目になる。
「え、デカ!」
目を丸くした彼はそう叫んで私を見た。ティッシュ箱ほどの大きさはあると思われるその箱を受け取り、やはり驚いた表情のままで。
ドキドキと胸が高鳴る。練習も入れれば自分でも中々頑張ったと思う。味見もしたし、美味しいはずだ。早く見て欲しい、と気持ちが逸る。
「何、このリボンもひなこやったの?」
なんと。ラッピングなんかどうせ見ないだろうと思っていたのに、意外とちゃんと眺めていたと思ったら意外な質問が飛んできた。頷いて答えたら「可愛いじゃん」なんて言って笑ってくれたのには驚いたけれど、それ以上に嬉しくてそれだけで好きが溢れてしまいそうになる。
「じゃ、有難く」
そう言って端を引っ張った彼の手によってスルスルと解かれていくリボン。自信はある。だけど、やっぱり緊張はする。
「自信の程は?」
「結構あるかなぁ」
強気だな、と彼に笑われたけれど、自信の無いものをブン太に渡す訳がない。それを伝えると嬉しそうに笑ってお礼を言ってくれた。
「開けるぞ〜」
「イエーイ!」
何だこのノリは。そんな事を思いながら、ブン太と共に彼の手元のピンク色の箱を見つめる。
「……え、いっぱいある」
彼が開けた箱の中には、私がブン太の事が九割と友達の事を一割考えて作った、クッキーとマフィンと生チョコが入っていた。
しかし箱の中なんてもはや私にはどうでもよかった。ブン太が喜んでいるのか、否か。彼の顔を覗き込む。
「……すげえ」
私に覗きこまれたのを察した彼が顔を上げた。自分を見つめる私と目が合うと、そう呟いて口元を緩める。
「本当?」
「ん、全部めちゃくちゃ美味そう」
「やったぁ!」
まだ食べてもないのに、ブン太に褒められて思わず出たガッツポーズ。
「きっと美味しいから、早く食べて!」
ここまでくれば、もう後は食べてもらうだけ。ブン太の事ばっかり考えて作ったんだから。もはや原材料に『ブン太への愛』という言葉が入っても可笑しくないとすら思うほどに。
「わかったわかった」
前のめりになる私の頭を優しく撫でた彼は、何故だか箱を私に向けてきた。
「え?」
どういう意味なのかわからなくて聞き返すと、いいからと言われて訳の分からないまま受け取る。なんなんだろう。要らない、なんて…。
「……そこ?」
一瞬過ぎった不安。しかしそれはすぐに解かれる事になる。その後彼は自分の膝の上を二度叩き、私を呼ぶ様に来い来いと手を振って。
それを見ただけでどきんと大きく脈打つ私の心臓は本当に単純というかなんというか。初めてな訳でもないのに、何度も経験しているのにも関わらずドキドキしながら立ち上がり、彼の膝の上に腰を下ろす。すると後ろから回ってきた腕が私の腰をギュッと抱き締めた。腰を引き寄せる彼の腕の強さに思わず胸がキュンと疼く。好きって言わなくても、そう言ってくれてるみたいで。
「なーに」
箱が傾かないように注意をはらい、後ろを振り返る。
「なんだと思う?」
「んー…」
ブン太に聞かれて、おおよそ予想はついているけど一応悩んでみたり。それでもきっと、私の予想は合っているだろう。
「……食べさせて欲しい?」
私がクッキーの袋を持ってアピールすると何も言わずに頷いて見せる彼は、普段はあんなにもかっこいいのにこういう時はとびきり可愛く見えるのだからずるい。どれだけ一緒にいたらこの胸のときめきは留まることを覚えるのだろう。
そんな途方もない事を思いながらも、私は言われた通りに袋を開けてクッキーを摘み出す。私の愛が原材料の作品第一号だ。あまり大きくないそれを私の後ろで待っている彼の口へと入れると、サクッとした軽快な音が聞こえてきた。
「……」
モグモグと口を動かすブン太を見つめる。飲み込んだ彼は、なんとムスッとした顔で私を睨んで。な、なんだなんだ?
「……お前これ買ったやつ入れただろ?」
「……違うしー!」
横に箱を置いてそう叫んだ私は、そのまま彼の胸に飛び込んだ。
「マジで?今なら買ったって言っても許すけど」
「本当に買ってないよ」
「……いや、めっちゃ美味い」
既に自分で取って二つ目を食べている彼を見て更に嬉しさが増す。嬉しそうな顔、と私のほっぺを摘む彼の顔も嬉しそうで。
「次は何食べる?生チョコ?」
「じゃ生チョコ」
今度は自ら進んで箱を手に取って、ピンク色のハートのピックで生チョコを取る。
「はい、あー…」
私の声に合わせて口を開けていた彼。しかし私は彼の口に入れると見せかけて、生チョコを自分の口へと放りこんだ。
唖然とした顔で私を見つめるブン太。そんな私の口の中では、ほろ苦いココアと共に生チョコが少しずつ溶けていく。
「うん、我ながら美味しい!」
「……」
「ごめんごめん。わかってるってば、ブン太にもすぐに」
「いらねえ」
そう言った彼から突然両頬を掴まれたと思うとあっという間に口付けられる。そのまま私の唇を割って入ってきた彼の舌は私の口の中にあった生チョコを上手い具合に持ち去ると、ちゅ、とリップ音を立てて離れていった。
「油断も隙もねーな」
ペロりと舌を舐めって口角を上げる。チョコの甘さと彼の舌の感触が残っていて、顔が熱くなるのがわかる。
「全部俺のだっつーの」
もう一度キスをしてきた彼の舌は、私のそれよりもずっと甘く感じるのは何故だろうか。好きで好きで堪らないよ、ブン太。クッキーにも生チョコにもマフィンにも沢山入れた私の思いは、彼にどれくらい伝わるかなぁ。
やっと解放され、彼の胸に落ちていく様に優しく抱き締められる。ふとまだ食べていないマフィンが目に入った。
「ブン太、マフィンはどうする?」
そう言って私は顔を上げたけれど、んー、と思案の声を漏らしたブン太は変わらず私を見つめている。
「まだいいわ、マフィンは」
私の頭を優しく撫でているその手が止まったかと思うと、再び近付いてくる紫の瞳。しかしそれは、鼻がつきそうな距離で止まって。
「マフィン食べる前に、もっと甘いもの食っていい?」
彼からの本日三度目のキスは、これから訪れる甘い時間を予感させた。