○●○



「真田くん」


そろりと三年A組の後ろのドアを開けて教室に入った私は、次の授業の準備でもしていたであろう一番後ろの席の真田くんに声を掛けた。そして私が彼にとっては、恐らく思いもよらぬ人物だったのだろう。真田くんは私を見るなり目を瞬かせた。


「お前は確か柳生と……」


私の顔を認識した真田くんがそう呟いて教室の前の方を見る。その先には、一番前の窓際に座る柳生くんの後ろ姿があった。


「あ、違うの。今日は真田くんに聞きたい事があって」
「……俺に?」


真田くんと言えば、テニス部の元副部長であり風紀委員も務めるそれはそれは怖い人だ。一緒にいる人からすればきっと優しい面もあるかもしれない。でもあまり関わり合う事もない私からすれば朝違反した生徒を取り締まる所や、部員に喝を入れる様な怖いイメージから動く事もなくて。
しかし、今日の私にとって真田くんのそんなイメージは関係無かった。


「うん」


彼の目を見て私は力強くと頷く。真田くんが怖い人にだろうが話し掛けずらい人だろうが、恋する乙女である私にはそんな事どうって事ない。真田くんという人物がどうなのか、というのはもはや問題では無いのだ。


「……」


柳生くんの隣にいるからと顔は知っていただろうけど、でも彼にとって私はたったそれだけの相手。突然話し掛けられて真っ直ぐ目を見て頷かれれば、流石の真田くんも思う所はあるらしい。私を見る彼の眉がピクリと動いた。


「そうか。……それで、どうしたというんだ?」


不思議そうに首を傾げる真田くん。あ、こんな表情もするんだ。いつも厳ついイメージだっただけに、それだけで親近感が湧いてしまう。


「あの、その、真田くんには、風紀委員として聞きたい事があって」


私が初めて真田くんに話し掛けた理由。それは風紀委員としての彼にどうしても聞きたい事があったからだ。私の言葉に一度左へ傾けた頭を今度は右に傾ける彼には、言葉にしなくては私の真意なんぞは伝わらないだろう。


「今年のバレンタインは、チョコを持ってきてもいいのでしょうか!」


思い出される昨日の記憶。同じクラスの風紀委員の子に同じ質問をした所「真田くんに聞いた方がいいと思うよ」という答えが返ってきた。何故真田くんなのか。それはやはり風紀委員の中でも人一倍厳しく取り締まる事と、もしそれを先生に聞いてダメだった場合は私が先生に目をつけられてしまうかもしれないからだった。


「バレンタイン…」
「うん、バレンタイン!」


私は、柳生くんの事が好きだ。この質問だって、バレンタインのチョコを柳生くんに渡す為なのだ。悪いのを知ってて持ってきたチョコレートを柳生くんが喜んで受け取ってくれる訳が無い。
かと言って真田くんが怖いから代わりに柳生くんに聞くのでは、全てがバレてしまうから。


「……」


私を見て腕を組んだ真田くんの威圧感は流石のものがある。怖い。私が柳生くんに恋をしていなければ即座に謝って逃げ出している所だ。


「おや、今日は真田くんに用事ですか?」
「あっ」


聞き慣れた声と共に私の視界に入ってきたのは、まさしく想い人である柳生くんだった。柳生か、と真田くんも顔を上げる。


「今丁度、バレンタインのチョコレートを持ってきていいものなのかというのを聞かれていた所だ」
「バレンタインの……」


ああ、ああ、ああ。知り合いである柳生くんの事を見ながら全てを話してしまった真田くんの横顔を、私は見つめる事しかできなかった。何でもない!と止める事も出来ず、かと言って上手くはぐらかす事も出来なくて。
真田くんの言葉を復唱しながら、柳生くんが私を見る。真田くん!私がなんの為に!真田くんに聞いたと思ってるの!そう心の中で叫ぶ私には、一体柳生くんがなにを思っているのかなんて知る由もなかった。


***


次の日。柳生くんから昨日の夜『明日の放課後に真田くんと聞きに行く予定になったので、わかったら教えます』と連絡があった。
結局あの後私の目の前で柳生くんと真田くんの話し合いは行われ、やはり先生に聞いてみるという事に落ち着いた。私が直接聞くとなれば目をつけられる可能性はあるけれど、真田くんと柳生くんが聞くのには何の問題も無いだろう。


「柳生くん」


放課後になってA組に向かうと柳生くんは自分の席で日誌を書いていた。私の声に反応して顔を上げた彼は、私と目が合うと笑いを零した。


「チョコレートの件ですが、真田くんとは昼休みの時に聞きに行ってきました」


空いていた前の席に腰を下ろした私を見るなり、柳生くんは話し始めた。先生達も毎年悩んでいるのだが、止めた所で持ってくる人達はどうせ持ってきてしまう。なので余程の量や大きさのものでない限り目を瞑る事になった、と。


「そっか。でも、それもそうだよねぇ」


ダメだと言っても絶対に持ってくる人はいるだろうし、それに持ってきた人を注意していたら時間が掛かりすぎるのは確かに目が見えている。


「……はい」


私が先生達の意見に同意すると、そう返事をした柳生くんは手元の日誌へと目を戻した。


「今日日直だったんだね」
「ええ」


変わらず綺麗な文字を紡ぐ柳生くんの手は、去年同じクラスだった時を思い出させる。隣の席で忘れ物が多い私を嫌な顔一つせずいつも助けてくれた彼に対する気持ちを、その頃の私は恋だと気づく事が出来なくて。


「今日はこの後、何か用事はありますか?」
「ううん、無いけど」
「それでしたら、私に少々付き合って頂けないでしょうか?」






「最近はよく冷えますね」


本当は柳生くんに渡すチョコレートの材料を買いに行こうと思っていたけど、柳生くん本人からの誘いとあれば断る選択肢は無かった。

寒空の下、駅へと足を進める私達。柳生くんの用事はどうやら駅にあるらしい。他愛ない会話が続く、けれど私にとっては何物にも変え難い柳生くんとの帰り道だ。

「本当、マフラーはもう絶対手放せないよね」
「しかし先日、マフラーを忘れた日がありませんでしたか?」
「わ、見てた?」

それは先週の話だった。朝に急いで家を出たお陰でマフラーを忘れてしまい、もう二度と忘れるもんかと私は誓ったのだ。
しかし私がそう問うと、何故か彼は少し眉を顰めた。そしていつもの様に頷いて返事をしたかと思えば私から目を逸らして前を向いた。


「……チョコレートの件、なのですが」


前を向いたままの彼がポツリ、ポツリと話し始めた。


「いえ、すみません。それよりも先に謝っておかなければならない事があります」


そう言って振り返った彼は、先程よりも悲しそうな表情に思える。


「駅前で用事があると言いましたが、あれは実は嘘なんです」
「……え?」


う、嘘?柳生くんの口から出てきた予想外の言葉に私の思考は急停止。吸い込んだ空気がやけに冷たく感じた。


「昨日貴方が真田君と話していたのは、私にチョコレートの件を聞かなかったのは」


思考が止まっていてもわかる。やばい。まずい。これは、完全に。
反射で息を止めてしまう。ドクドクと心臓が大きく脈を打ちながらも、私はただ彼の次の言葉を待つ事しか出来ない。


「鈴原さんが私の気持ちを知っているからだと言うのは、私にもわかっています」


……は?


「そして貴方に想っている方がいて、その方に渡すチョコレートの事だから私に気をつかって下さったのだと言うもわかっているんです」


……ですが、そうわかっていても。
一度私から逸らし、そう続けて再び私を見つめてきた彼の目はあまりにも寂しげで。しかし私の頭は彼の言葉についていけなくて、黙ってただその目を見つめ返す事しか出来ない。


「私が鈴原さんを好きだと言う事は、変えようがありません」


思わず耳を疑った。だって今、柳生くんが私を…?何も言えずに自分を見つめる私を見て、眉を下げて柳生くんは笑う。


「……すみません、明後日はバレンタインだと言うのにこんな事を言ってしまって」


切なげに笑ってみせる彼の表情に胸が苦しい程に締め付けられる。


「この様な事を言われれば優しい鈴原さんの心が揺らぐとわかっていたのに、私は本当に」
「ち、ちょっと!」


そんな彼を見ていたくなくて、口から言葉が飛び出した。


「ちょっと待って下さい!」


そう叫んで私は立ち止まった。驚いた顔で私を見る彼もそれは同じだ。


「……柳生くん」


どう聞いたらいい?何から聞いたらいいの?頭の中はまるで真っ白で、唇は震えているのが自分でもわかる。

一つだけ浮かぶ言葉がある。それはあまりにも強烈な光を放っていて、でもこれを言うのは今じゃないのだ。明後日のバレンタインに言おうと何日も前からチョコレートを色々見たりして準備をしてきたじゃないか。
……でも、やっぱりだめだ。私にはどれだけ考えてもこの言葉以外浮かんでこない。ああ、さよなら私のバレンタイン告白大作戦。


「私は、柳生くんの事が…」


そしてその二日後。学校中が甘い香りで包まれる中、初めての彼氏と過ごすバレンタインデーがやってきたのだった。


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