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(高校生設定です)

今日は、3年生の登校最終日。友達の多い丸井先輩は、1人になる機会がほとんどない。そのため待ち伏せしては諦め待ち伏せしては諦めを繰り返していたこの一週間。


「……」


そして本日最終日。ついに、丸井先輩が1人で登校して来たのだ!私は心底待ちに待っていたはずだ。毎日早く登校して、カバンを置いては校門で時間を潰す日々。それもこれも、全ては卒業式前に丸井先輩への声を掛ける為。

そのはずなのに、いざ、丸井先輩が1人で登校して来てしまった途端、嘘!どうしよう!やばい!話しかけなきゃ!緊張で心臓はどきどきを超えてばくばくと脈打ち、もはや声すら出せそうに無い。たぶん人生で一番緊張してる!吐きそう!どうしよう吐きそう!
しかしそんなことを思っている内に、丸井先輩は私の横を通り過ぎようとしている。真っ赤な髪。スッとした鼻。大きなくりくりとした目。入学してから何度も何度も目で追った丸井先輩が、私の横を!1人で!……今しか!


「あっ、あの、丸井先輩!」
「うおっ」


出ないと思っていた声を無理矢理出した結果、自分が考えていたよりも倍くらいの大きな声となって口から出てしまった。声を掛けた私ですら驚くくらいの声なのだから、まさか声を掛けられるなどと思っていない丸井先輩は相当驚いたことだろう。ただでさえ大きな目を更に大きくして、それはそれは驚いた顔の丸井先輩と目が合った。


「い、いきなり声掛けてしまってごめんなさい!あの、私……卒業式の日、丸井先輩のボタンが欲しいです!」


い、言ったー!言えたー!でも死にそう!吐きそう超えて死にそう!


「……おお、別にいいけど」


未だ驚いた表情のまま、でも、丸井先輩はちゃんと頷いてくれた。


「あ、ありがとうございます!…えっと、それじゃあ!学校頑張って下さい!」


そう言って勢いよく頭を下げた私は、丸井先輩の反応なんて見る余裕も無く。まさに弾けたかのようにその場から走り去った。


「……」


わあああどうしよう!丸井先輩に声掛けちゃった!しかも初めて丸井先輩と会話しちゃった!

教室へと向かって走る私の手はぶるぶると震えていて、心臓はもうばっくばく。でも今は私のことなんてどうでもいい。丸井先輩と話せたことが、そしていいよと言って貰えたことが本当に本当に嬉しくて。やっぱり丸井先輩かっこいい!きっと世界で一番かっこいい!ああ、私このまま嬉し過ぎて死んじゃうんじゃ……いやいや、私は生きる!だって丸井先輩からボタン貰えるんだもん!

「ねー!やったよー!」。教室へ行く前に見つけた友達に、大きく声を掛けた。その友達もまた丸井先輩と同様、まさか声を掛けられるなんて思わないから肩を思い切りビクつかせて。でも毎日私が校門に行っていたことを知っているから、丸井先輩のことを話すと一緒に喜んでくれた。










そしてやってきた、卒業式当日。式が終わり、私達も卒業生ももう帰るだけとなった。ああ…緊張してきた……。
本当に私は丸井先輩のボタンを貰えるのだろうか。丸井先輩は果たして、私との約束を覚えているのだろうか。式が終わるに連れてどんどん緊張してきた私の心臓は、今日も爆音だ。…退場の時に見えた丸井先輩の横顔、かっこよかったなあ。

そんなことを思いながら始まったホームルームは、思いの外長引いた。廊下から聞こえてくる足音に、私はそわそわし始める。こんなの、別に明日でいいじゃん。私には今日しかないのに。私にとってこの一年間で、今日が一番大切なのに!

それから10分近くが経過して、ようやくホームルームが終わった。終わりと共に私は勢い良く立ち上がる。でもそれは、私だけではない。男子は男子で、部活に入っている人は先輩のお祝いに向かわなければならないし、女子に至っては他にもお目当ての先輩がいる子は沢山いるのだ。幸い後ろの席だった私は、教室から一番に出ることが出来た。
きっと、先輩方に用がある子達は既に行ってしまったのだろう。特に興味のない人からしたら、あの場所は言うならば戦場だ。ほとんど誰も歩いていない閑散とした廊下を、私は走った。もう!担任のおばか!丸井先輩のボタンが無くなったらどうしてくれるのー!



玄関から出ると、既にものすごい盛り上がりだった。あっちでは野球部が先輩達の胴上げを、こっちでは柔道部の美人マネージャーが最後にハグをしてくれるということで、下級生は喜びを叫んでいた。

そしてもちろん、人気のある3年生の先輩達の周りは女子で埋め尽くされていた。野球部の絶対的エースだった先輩や、サッカー部のイケメンゴールキーパーの先輩。テニス部でも絶大な人気を誇っていた部長だった人もいた。
そんな中で2年間見続けた真っ赤な髪を探す私は、内心とても焦っていた。女子に囲まれている先輩達は、みんなもはや色んなものが無いのだ。ネクタイ、校章、ボタン……。見た感じでは、完全にボロボロになっている。女子の方を見ると、カーディガンや体育着を持った子達が輪の中から離れていく。そ、それすらも、貰うんだ……。これは私、完全に出遅れた感じなのでは!大人気の丸井先輩なんて尚更何にも残ってないんじゃ……。


「あ!」


わいわいがやがやきゃーきゃーと色んな声の中。何故なのか私の耳に、1つの声が届いた。


「おーい!」


私のことかはわからないのに、私は声の方に振り返る。そこには、探し求めた丸井先輩が立っていた。ひ、ひええっ!石段の上に乗っていた丸井先輩の周りには沢山の女子がいて、その全員が私の方を見ていた。そんなことはお構い無しの丸井先輩は、私と目が合うとこいこいと手を振ってくれた。周りの女子の目を考えて一瞬悩んだけれど、気がついたら私は元気に駆け寄っていた。だって丸井先輩に呼んでもらえるなんて、絶対に今日しかないから!


「……あれ?」


近づくにつれて、丸井先輩の顔も服も鮮明に見えてくる。でも、丸井先輩のネクタイが無いこと以外は、校章もボタンも、卒業式中のままだった。


「やーっと来たな」


石段の上に立ってそう言った丸井先輩は、何故だか疲れ切った顔をしていた。しかしそれよりも何よりも、まさに突き刺さるというくらいの女子達の視線に思わず冷や汗が流れる。そして私が目の前に来ると、石段から降りて私の横に。


「名前は?」
「えっ」


丸井先輩が首を傾げる。えっ、な、何?名前?誰の?


「わ、たしの名前…ですか?」
「おお、わたしの名前」
「鈴原ひなこ…ト、モウシマス」
「ぶは!なんでカタコトだよ」


吹き出すように笑った丸井先輩が、口元を手の甲で隠す。ええ……待って待って何これ夢?丸井先輩が私のこと見て笑ってるなんて、こんなのむしろ夢の方が信じられるんだけど……。


「まあ、次もし何か予約するんだったら、ちゃんと名前は言わねーとだめだぞ。誰かもわかんねーと、待ってる方も困るかんな」
「は、はい…」


頭の中が、真っ白だ。丸井先輩だけが私の目に映り、丸井先輩の話している言葉だけが私の耳を通っていく。


「……で、鈴原はボタンでいいの?」
「え?」
「せっかく予約してくれたんだし、どこでもなんでも好きなもんやるよ」


そう言うと両手を広げて、どこでもなんでもをアピールする丸井先輩。どこでも、なんでも……ってか今鈴原って…。


「え、えっと…」


脳内がパニックになり、言葉が上手く出てこない。どこでもなんて、なんでもなんて言われても!


「あ、ぼ、ボタンで、お願いします……」


だめだ。何にも出てこない。せっかく丸井先輩が気を使ってくれたのに。お願いの意味を込めて頭を下げると「じゃあどこのがいい?」と再び聞かれてしまった。どこが!そうだそれも聞かれてた!そう思って慌てて顔を上げると、目に入ったものが。


「あっ」
「ん?」
「や、やっぱり変えてもいいですか?」
「んあ?変える?」
「はい、…やっぱり、丸井先輩の校章がいいです」


丸井先輩の胸元に光る、立海大附属高校の校章。丸井先輩は一度そこを見て、再び私のことを見る。


「ああ、オーケー」


そう言って丸井先輩は自身の校章に手を掛ける。ポロッと取れたそれを手で受けとめる丸井先輩。


「はい、校章」
「あ、ありがとうございます!!」
「おう」


丸井先輩が差し出した校章を、私は両手をおわんのように丸めて受け取る。ほ、本物だ。本物の丸井先輩の、校章だ……!



「あとこれは、予約特典な」



手の中にある校章を見つめていると、丸井先輩がそう言って。何だと考える前に、私の頭に何かが乗った。ぽんぽん、それは私の頭を優しく叩いた。少しだけ暗くなったのを感じた私は、目だけ動かして上を見る。私の頭に手を伸ばしている丸井先輩と、目が合った。



「……」



一体何が起きたのか、初め私には全く分からなくて。でも、「えっ!」と周りから息を飲む声が聞こえて、そして丸井先輩の離れていく手が見えて、やっと理解した。理解した瞬間、顔が一気に熱くなる。嘘だ、こんなの、……。



「……あ、ありがとう、ございます」



どうしよう、言葉が何も見つからない。頭なんてちょっとも動かない。私が今一番、何が起きているのかわからないのだと思う。奇跡のような空間。奇跡が、幾つも起きてるこの空間を、全く把握出来ていなかった。

でも、私に返すように頷いて笑った丸井先輩を見た瞬間。咄嗟に息を吸った私の口が、自然と動いた。



「あ、あの、丸井先輩!今日は本当に、卒業おめでとうございます!……丸井先輩はっ」



思わず喉から出てきそうになった言葉を、私はぐっと堪える。



「……いえ!大学へ行っても、元気に頑張って下さいね!」
「おう、サンキュ。鈴原も、高校生活楽しめよ」
「……はい!」


思いっきり笑う。笑えてるのかはわからない。でも、いつかもし、こんなこともあったな、こんな奴もいたなあって丸井先輩が思い出すようなことがあった時に、笑顔の私を思い出して貰いたいから。



「それじゃあ、丸井先輩!本当にありがとうございました!」



もう一度頭を下げて、私は友達の待つ教室へと向かって走り始めた。絶対に無くさないように、と、右手で校章を握り締めて。





玄関から校内に入る。開けっ放しのドアの向こうからは今も色々な声が聞こえていたけれど、それでも、今の私にとってはそれは遠くの声に聞こえた。
誰もいない玄関で立ち止まった私は、とりあえず、自分のほっぺたをつねった。


「痛い!」


自分でつねったとはいえ、夢でない保証は無かったから思い切り力を入れてしまった。「いった…」。もう一度1人でそう呟くと、今度は全身の力が抜けて、そこにへたりこんでしまった。

夢じゃ、なかったんだ。足に触れる廊下の冷たさなんて、少しも気にならなかった。右手を開けば、きらきらと光る校章がそこにはあった。……本当に、私、丸井先輩から校章を貰ったんだ。夢じゃない。現実だった。さっきまでの出来事は、全て、本当にあったんだ。

ぽた。そう思ったら、目の前が一気に潤んで、手のひらに涙が落ちた。ああ、丸井先輩、本当に卒業しちゃったんだ。明日からは丸井先輩はいないんだ。もう、丸井先輩を見ることは出来ないんだ。

誰よりもかっこよくて、なのに笑った顔は可愛くて、みんなの輪の中心で笑っている丸井先輩はいつもきらきらしていた。そんな丸井先輩は、私の憧れの存在だった。朝に丸井先輩を見れた時は1日ハッピーで、外で体育をしているクラスがあれば赤い髪をいつも探してた。丸井先輩に彼女が出来た時は少しだけ寂しかったけれど、それでも私には丸井先輩が憧れであることは変わらなかった。丸井先輩がいたから、私の学校生活は毎日カラフルだったんだ。自信を持ってそう言えるくらい、私の学校生活には丸井先輩が沢山いるんだ。

でも、好きとは違う、恋では無いこの気持ちを、丸井先輩に伝えることは出来なかった。そしてそれは、この先も誰かに告げることは無いだろう。だって、こんなことは誰にも言わなくたっていいんだ。私だけが知っていれば、いいんだから。涙で潤んだ視界でも、手の中にある校章はきらりと光る。


丸井先輩は、きっと、私の青春でした。


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