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「あ!光!」
光との待ち合わせ場所に先に着いていた私は、寒そうに向こうから歩いてくる光へと手を振りながら近づく。
「あけおめ!」
「おめでとうございます」
「今年もよろしくね!」
「はい」
ふわりと光の口から白い息が漏れる。そう、今日はとても寒い。きっと今年の中で一番寒い。待っていたと言ってもほんの5分くらいなのに、こんなにも手が冷たくなってしまった。間違いなく今日が今年で一番寒いに決まっている。……まだ、今年が始まって2日目だけど。
「人やばいっすね」
「ねー」
待ち合わせの場所と言っても、そこだけでもかなりの人の数だ。普段は光が私を見つけてくれるのを待っているんだけど、今日は光を先に見つけたこともあり、自ら進んで見つかりにいってしまった。いやでもむしろ、あの駅から出てきた大勢の人の中から光を見つけた私、すごい。
今日は光と初詣。テニス部の練習は4日から始まるらしく、今日と明日、光と遊ぶ約束をしていた。
同じように周りでも待ち合わせをしていた人と合流した人達が沢山いて、そしてその人達もみんな、恐らく私達と同じところを目指しているのだろう。歩き始めた私達と、同じ方向にみんな歩き始めている。
「しかもめちゃくちゃ寒いよね」
「ほんまそれ、ありえへん」
「光、寒すぎて電車から降りないんじゃないかって少し心配したよ」
「…………その考えは無かったっすわ」
「でもそれ、次はありやな」。ぼそっと光がそう呟いたのが聞こえてきて、私は「えっ!」と大きく声を上げてしまう。
「ウソ!」
「ウソ」
「……えっ、ウソ?」
「うん」
「……」
え、何?ウソなの?ウソだとして、何がウソ?ウソと言う言葉を1人で考えすぎてよくわからなくなってきてしまった。
光の発言のトーンはいつも、本気なのかそうでないのかが分かりずらい。歩きながらもじいっと横顔を見ていると、チラリとこっちを見た光から「ウソですよ」とダメ押しの一言。
「…何がウソ?」
「電車から降りへんやつ」
「……」
「せやから、電車からはちゃんと降りるってこと」
「……ああ!なんだ!それがウソね!」
うん、それならばいい!光がちゃんと来てくれるなら、私はそれでいいのだ!
「年またいでもやっぱひなこ先輩はアホっすわ」
ふっと笑って、目を細める光。「なっ!」。失礼な、光がマジなトーンで言うからだよ!そう続けて言おうと口を開けた瞬間、ぴゅう!といきなり風が吹いた。
「さっ、寒い!」
その風は、それはそれは冷たかった。お陰で光へと向けようとした言葉は、どこかへ飛んで行ってしまったようだ。周りでも私と同じように声を上げている人達の声を聞きながら、私は思わず両手を擦る。しかし冷え切った手ではあまり意味が無くて。とはいえコートのポケットの中も冷たいし、私に残された方法はやはり『手を擦る』、これしかなかった。
「…ひなこ先輩」
「うん?」
「ええもの貸したりますわ」
そう言って光がポケットから出してきたのは、なんと、光の手だった。
「え、手?」
「はい」
「……い、いい」
せっかく差し出してくれた光には申し訳無いのだけれど、私は首を横に振ってから再び胸の前で手を擦り合わせた。何故かと言うと、何を隠そう光の手はめちゃくちゃ冷たいのである。体温がそもそも低いのもあるけど、よく私のほっぺに自分の手を当てては冷たさに驚く私を笑っているのだ。
そんな光の、しかもこの寒い寒い外で歩いている光の手。冷たいに決まっている。私の手ですら、こんなに冷たいんだから。
「ええ、普通に傷付くんすけど」
「いや、だってほら、今日めちゃくちゃ寒いし、だから今の私の手も冷たいし、という訳で、光にあげる体温は」
ぐいっ。しどろもどろになりながら説明をする私の手を、光は掴んだ。
「……えっ?」
私は驚いて光の顔を見る。私の手を掴んだ光の手は、何故か、とても暖かかったのだ。
「ほら、ええものやろ」
私の驚く顔を見て、満足そうに笑みを浮かべる光。
「えっ、ちょっと待って、なんでこんな暖かいの?」
「なんでやと思います?」
「……」
楽しそうにしている光だけど、私はちんぷんかんぷんだった。だって、いつもは本当に冷たい光の手。それは夏でも冷たいときがあるくらいで。しかし実際のところ今の光の手は、未だかつて無いくらいにぽかぽかなのだ。
「んー、わかんない。どうして?」
「全然考えてへんし」
「だってわかんないんだもん」
「……ほんま、問題の出しがいが無いっすわ」
はあ。一気に沢山の白い息が光から吐き出されて、私の手から光のそれは離れていく。そしてそのまま左のポケットから取り出したのは、ホッカイロだった。
「あ、ホッカイロー!うっわ光、頭いい!」
「はい、これ貸したります」
「……ええ!?」
私へと向けられたホッカイロと光の顔を見比べて、もう一度「え!?」と思わず叫んでしまう。
「ああ、もう一個こっちにもあるんで」
そう言うと光のコートの右のポケットから、全く同じホッカイロがもう一つ出てきた。ま、まさかの二個持ち!寒がりとは言え光さん、準備が良すぎませんか?
「やって初詣ってそもそも外やし、しかもめちゃくちゃ混みそうやから時間かかるやろし。絶対寒いやろ思て、オカンのホッカイロ貰てきましたわ」
言葉に出してはいないけど、私の顔を見て察した光がわざわざ説明してくれた。ありがとう。そしてやはり、凄いよ光!頭いいよ光!流石だよ、光!
「せやから」。光はそう付け足して、私の手にホッカイロを当てる。
「ありがとう!嬉しい!光、ほんとありがとう!」
ああ、暖かい!光から受け取ったホッカイロを持って、胸の前で再び手を合わせる。さっきの倍、いや、5倍は暖かいよ!光!心の中でそう叫ぶくらい、もはやそれは、冷え切っていた指先には痛いくらいで。
「…で」
「うん?」
「それは、左手専用」
「……左手?」
「うん」
「はい、ポッケに入れて」。そう言われるがまま、私はホッカイロを持ったままで左手をポケットに入れる。……うわあ、暖かい。冷たかったコートのポケットの中が一気に暖かくなるのがわかる。しかしその間も、熱源を失った右手は急速に、そして確実に冷えていく。
「ほんなら、右手はこっち」
再び私の手を握った光は、そのまま自分のコートのポケットへと誘った。中は先程までホッカイロがあったからか、ぽかぽかと暖かかった。そして光の手もやっぱり温かくて、ポケットに入れてくれたことも嬉しくて、私は胸がどきどきしてきてしまう。
「……ひ、光、私の手冷たくない?」
「めっちゃ冷たい、しかもひなこ先輩に俺の手の熱が吸われてくのめちゃくちゃわかるし」
「えっ、ご、ごめん!いいよ、せっかく光が温かいのに!」
私はそう話しながら引き抜こうとするけど、より一層強く握られた手はビクともしなかった。
「ううん、別にええっすよ。いつも俺がひなこ先輩から貰てる代わりに、今日は俺が先輩温めますわ」
ぎゅうぎゅう強く握られる手が、どんどん温かくなっていく。見ると前を真っ直ぐ見たままの光の鼻の頭は少し赤くて。だけど私の手も、そして心も、光のお陰でとても温かい。年始早々、光が優しいのが嬉しくて堪らないよ。そんな気持ちを込めて「ありがとう」と伝えると、こっちを向いた光が「先輩、顔めっちゃ赤いっすよ」と言って、嬉しそうに笑った。