○●○



「ねえ!」

それは、あまりに突然だった。真っ青な空に響き渡る、大きな声。何かあったのかと声の方へ顔を向けようとすると、ぐんっと手を引かれて。


「…へ?」


ぽかぽかとお日様が心地の良いお昼休み。友達と教室棟の屋上へとご飯を食べに来た私は、固まって食べている男子テニス部の横を通り過ぎようとしたその瞬間、それは起きた。


「あのさ、俺、君とどっかで会ったこと無い?」


手が引かれて、そのまま身体諸共後ろを振り返る。眩しい太陽が反射して、きらきらと光る金色の髪の毛。氷帝の眠り王子と呼ばれる彼のことを知らない人は、きっと学園内にはいないだろう。
でもその通り名の通り、いつどこに居ても基本的には眠っている芥川くん。一方的に何度も見たことがあるけれど、こんなに大きく開かれた目も、思わず肩が揺れるような大きな声も、私はどれも知らなかった。


「えっ…と」


座ってご飯を食べていただろうに、どうやらわざわざ立ち上がって私の手を引いたらしい。普段はあまり顔を向けないテニス部の皆さんの方に目を向けると、他の皆さんも目を丸くして私達を見ていた。
……確かに会った時はある。でも、そりゃあ2年も同じ学校にいれば、会ったことくらいあるに決まってる。

「おっ、おいジローやめろよ!困ってんだろ!」
「ええ、でも俺…」

座ったままの向日くんから声が掛けられて一度そちらへ振り返った芥川くんだけど、やっぱり私の方に向き直って再び私の目を見つめる。


「あの、たぶん会ったことはあるとは思うよ?私も2年だし」
「ううん、そういうのじゃ無くてさ!なんか、こう…」

そこまで言うと、芥川くんは黙ってしまった。でも、眉をひそめた複雑そうな顔で私を見つめられても、私にはわからないのだ。学校以外で会ったことも、それどころか校内ですら話したことはない。今、この瞬間、初めて芥川くんと言葉を交わし、そして目が合った。どれだけ私の頭をフル回転させて、記憶を掘り返してもその事実は変わらない。


「その、えっと、人違いじゃないかな」


髪の毛に負けないくらいのきらきらした芥川くんの瞳から目を逸らしながら、やっとのことで言葉を口にする。今この屋上にいる人のほとんどが、私達を見ているのがわかって。
氷帝テニス部のナンバー2とまで言われる程のテニスの腕前の芥川くんとなれば、学年問わずで人気者。そんな芥川くんが珍しく大きな声を出して、それに腕を掴んでいる相手は女の子。…私だったら見る。なんだなんだ、と。


「…そう、かな」


小さくそう呟いた芥川くんは、ゆっくりと私の手を離して。私は今の私と芥川くんの関係を考えて、一番可能性のある答えを出したはずだ。……だけど、そんな顔を見てしまったら。

「あ、でも、私ももう一回考えてみるね」
「え…」
「今は少しいきなりだったから私もびっくりしてるし、ご飯食べながらゆっくり考えてみる」
「マジ?嬉C!ありがとう!」
「ううん、頑張ってみるね」

それじゃあ、と私は頭を下げてその場を離れようとする。すると再び「あっ」と大きな声と共に、離されたはずの左手が掴まれた。

「俺、芥川慈郎ってーんだけどさ、名前教えてよ」
「あ…鈴原ひなこです」
「……ひなこちゃん?」
「えっ、あ、うん」
「へへ、わかったC!」

そうにっこりと笑った芥川くんがまさか私の名前を呼ぶなんて…そんなこと、ついさっきまでは考えられなかった。突然始まった芥川くんとの初めての会話は、不思議で、突拍子も無くて、そしてあまりに短くて。それはまるで、夢のようだった。







夢のよう、と思った私だったけれど、それが夢で無かったと確信したのは案外早かった。
芥川くんから声をかけられた次の日、廊下を歩いていた私は、あたかも今までしてきたかのように芥川くんから挨拶をされて。それはその次の日も、そのまた次の日も続き、いつの間にか芥川くんと私は、顔を合わせたらお互いに話しかけるようになっていた。

そして、初めて手を引かれたあの日から、一年。



「ひなこ、早くご飯食べてよー」
「も、もうちょっと待って」
「はあーい」

今にも消え入りそうなジローの返事を聞いて、デザートのオレンジを口に入れる。

あれから毎日話すようになったジローから告白されたのは、3ヶ月前のこと。それまで怒涛のように毎日話しかけられ、ついには見に来て欲しいと誘われてテニスの試合も見に行くようになり。明るくて気さくなジローと話すのは楽しくて、それなのにテニスの試合を見ればかっこよくて。私がジローを好きになるのに、そう時間はかからなかった。
でも、仲良くなればなるほど、やっぱり私の中のジローとの出会いはあの屋上のときだったとしか思えなかった。友達からは、そのときの話は嘘だったんじゃないか、初めから私を狙っていたんじゃないかと付き合った時に言われたのだけれど。


「ご馳走様でした」


そう言って私はお弁当を片付け、代わりにカバンからフェイスタオルを取り出す。そしてそれを、太ももの辺りに広げた。

付き合ってから、毎週水曜日は一緒にご飯を食べている私達。今日は屋上に比べて人の少ない、中庭で食べていた。…実は、先週ジローからあることをお願いされていた、から。

「いい?」
「どうぞ」

私の答えに、驚く程なんの躊躇も無く、ジローはタオルの広げられた私の太ももへ頭を乗せた。
そう、お願いされたのは、膝枕だった。とは言え、さすがにスカートの上に頭を乗せられるのは恥ずかしいから、タオルを持ってきたらいいよと先週頼まれたときにジローに伝えていて。


「……」


いやいや、確かにタオルとスカートは挟んでいるけど!でもジローが私の膝の上で寝てるって!私膝枕なんて初めてだし!緊張するよ、もう…。
……なんていうわたしの気持ちなんて知らないジローは、私の膝の上に寝転がって早くも寝たのか何にも言わなくなってしまった。そして自分の膝の上にあるジローの頭を見ながら、よくわからない緊張感に包まれて微動だに出来ない私。

それでも、少ししたら慣れてくるもので。横に置いていた右手で、ジローのきらきらした金髪を撫でる。

「ん…」
「あっ、ごめん起こしちゃった?」

横に向けていた顔を上に向け、ゆっくりと目を開けるジロー。


「……あれ」


まだまだ寝足りなそうなジローを真上から覗き込んだ私と目が合ったジローは、そう呟いてからいきなり目を見開いた。

「ひなこ!」
「うん?」
「俺、わかった!」

そしてがばっと起き上がったかと思うと、一瞬前まで寝ていたなんて思えないテンションでそう叫んだのだ。

「俺前にさ、どっかで会った時ないか聞いたじゃん?」
「う、うん」
「それ、夢だった!」
「……は?」

すっきり爽快!とそれはそれは嬉しそうなジローには申し訳無いけれど、話にさっぱりついていけない。私に会ったのが夢?それともそれを聞いたのが、夢?……いやいや、それを聞いたのは夢じゃない。あの日があるから、私は今こうしてジローといるんだから。

「そっか、だからひなこ知らなかったんだー」
「や、ちょっと待ってジロー」
「ん?」
「……夢の中で私に会ったってこと?」
「うん、そう!」
「い、いつ?」
「ええー、いつだったかなあ」

そう言って首を捻り、考え始めるジロー。でも、もしそれが本当だとしたら。…うわ、なんかどきどきしてきちゃった。だってそれってなんだか、運命の人、みたいだもん。

「うーん、わかんないC」
「……」
「でも俺、絶対、ひなこと初めて話す前にひなこのこと夢で見てた!」

にししと目を細めて笑うジローは可愛くて、私はもっともっとどきどきしてきてしまう。

「…本当に?」
「うん!ほら、こうやってね」

再び私の膝の上に寝転んだジローは、先程と同じように私を見上げる。私も、同じように真上から見下ろして。

「……」
「……」
「……」
「…あれ、やっぱり違った?」

私を見上げたままのジローが、何も言わなくなってしまった。……やっぱり、違ったのだろうか。ジローのあの話を嘘だと思った訳では無かったけど、まだ出会う前のジローの夢の中に私が出てきたなんて、それこそ夢のような話だと思ってしまうのも事実だ。それでもジローのことが大好きな私は少し…ううん、すごく嬉しかったんだけど。

そんなことを考えながら何にも言わないジローと目を合わせていると、お腹の上にあったジローの右手がゆっくり動いて…そのまま、私の左頬を優しく包んだ。


「ひなこ…」


さっきまでの笑顔ではない真剣な顔のジローが、しかもこんな至近距離で名前を呼ぶもんだから、顔が一気に熱くなる。こういう時のジローはいつもの可愛いジローじゃなくて、かっこいいジローになっちゃうからずるい。ずるいずるい!

赤くなった顔が恥ずかしくなった私は、顔を離そうと頭を上げる。でもそれに気づいたジローが、頬に添えていた手をずらして私の頭の後ろを押さえつけて。髪がかきあげられて外に出た首筋に少しだけ風が当たった。
そのまま私の頭を自分の方へぐっと寄せたジローは、身体を浮かせて私にちゅっとキスをした。一瞬だけ触れた唇が離れると私の膝にぽすんと頭を置いて、今度は更に私の頭を押さえて何度も優しくキスをする。


「…まだ」


一度身体を起こして私の顔を見たジローが、そう呟いて。今度は両頬に手を当てられたと思うと、顔が近づいてきてまた唇が重なった。それから少しでも離れる度にジローの舌が追いかけてきて、何度も何度もキスをする。ジローのしてくれるキスはいつも優しくて、私は大好き。私にとってこの時間は、ジローの好きが沢山伝わってくるからすごーく幸せな時間なんだ……けど。でも今は学校で、万が一誰かに見られてしまっては大変!思ったよりも中々終わらないことに困って目を開くと、思いもよらずジローと目が合って心臓が大きく飛び跳ねた。

私と目が合って少し目を大きくしたジローは、やっと口を離してくれた。


「……」
「……」


長くて、少し恥ずかしくて、でも幸せなキスが終わっても、やっぱりジローは何にも言わない。私を見るジローに、一体どうしたんだろう?そうは思うけれど、ジローと目が合ったことに驚いてどきどきしている私の頭の中は、ちゃんとは働いてくれなくて。
ひたすらに疑問で埋め尽くされる私を知ってか知らずか、ジローはいきなりぎゅっと抱きしめた。

「ひなこ、怒ってる?」
「ええっ?」
「……」
「ぜ、全然怒ってないよ」
「…本当に?」
「うん、ちょっとも」

ジローの顔は見えないけれど、声が少し落ち込んでいるような気がする。


「…へへ、怒ってないならいいんだ!」


そう言ってからふわっと私の身体を離したジローは、満面の笑みだった。確かにびっくりはしたけど、幸せな気持ちになったのに怒るなんて、とんでもない!

「うん、びっくりはしたけどね」
「えー、ひなこもびっくりしたの?」
「うん?」
「俺もひなこにびっくりさせられたC!」
「ええっ、私?」
「うん!…さっき思い出した、俺の夢の中のひなこも可愛かったんけどさ」

身体を前に向けて、つま先の方に目を移すジロー。

「でもね、今見たホンモノのひなこのほうがスッゲー可愛くて」
「……」
「何っ倍も可愛くて、マジびっくりしたんだー」

変わらず笑ったまま、あっけらかんとしてジローは言うけれど。そ、そんなことを言われましても!何にも言えず、恐らくまた赤くなっているであろう顔でジローを見つめる。

「ねー、ひなこ」
「ん?」
「俺の夢に出てきてくれてありがと!」


へへっ。そう顔を赤らめて笑うから、私も一緒に笑っちゃう。私も、ジローに出会えてこんなに大好きになって、毎日すごーく幸せなんだもん。いつのことかはわからないけれど、ジローの夢に出た私!ありがとう!…なんて、少し恥ずかしいけどね?


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