結果は散々なものであった。
片付けを済ませ仲良くデュエルをしている遊馬と璃緒がいる部屋とは壁一枚を隔てて、リビングでは力尽きた少年が二人、ソファの上で伸びている。
やはりチョコレート四つを一気に頬張り丸呑みしたのは肉体的にそして精神的にもきつかったのだ。
凌牙は小さな唸り声を上げながら未だ異物のゴロゴロしている腹を抑え、俯せから仰向きへと姿勢を変えた。
その際隣に倒れているWの頭を意図せず蹴っ飛ばしてしまったが、彼はまるで死んでしまったかのようにぴくりとも動かない。
どうやら先程のショックからまだ立ち直れていないらしい。
凌牙が思うに、今回の件で誰よりも酷な目に合わされたのは間違いなくWである。
歴代最凶といえるであろう璃緒の手作りチョコレートを一人で五つも頬張り、更に丸呑みする際にチョコに混入している刺身を喉に詰まらせて吐き出す羽目になってしまったのだ。
共にチョコを食した凌牙から見てもあの光景は凄惨の一言で、床に転げて悶え苦しむWを見る璃緒の目のあの冷たさといったらそれはもう筆舌に尽くし難いものである。
可哀想ではあるが仕方あるまい。
Wは当分璃緒に口を利いてもらえないであろう。
薄目を開け虚空を見つめるだけのWは凌牙の「おい、」という声にも反応を示さない。
近付いて目の前でひらひらと手を振ってやってもそれは同じだった。
いつもはぎらりと輝く赤い瞳も今は焦点が合っていなくてまるで嵌め込まれたガラス玉のようだ。
精神的にも相当参っているらしい。
隣の部屋でデュエルをしている璃緒と遊馬の声が遥か遠くから聞こえてくるもののように感じる。
この空間とはまるで別世界だ。
凌牙は再びごろんと寝転がると黙って腹の中の異物が消化されるのを待った。
これが無くなってくれるまでは当分動く気にはなれそうにない。
じっとしていると不意に遊馬と璃緒の声が聞こえなくなり、代わりに二つの足音が聞こえてくる。
バン、と勢いよく開け放たれたのは勿論凌牙とWのいるこの部屋の扉だ。
「――シャーク!W!今から俺達さ、他の皆にも配りに行ってくんだけど、一緒に行かねぇ!?」
いつも通りの輝くような笑顔で遊馬は言う。
その隣に璃緒がいることも知っていたが凌牙は出来るだけ目を合わせずに、無気力かつ平坦な声でそれに答えた。
「……配りに行くって、何を」
「凌牙、あなたそれを聞くの?チョコに決まってるじゃない、あなた達が食べないで余っちゃった分をお裾分けするの」
「鉄男とかさ、妹シャークから貰えんじゃないかって昨日からワクワクしてたんだぜ!あいつすんげー喜ぶと思うんだ」
だからさ、行こうぜシャーク!
とても楽しそうに語る遊馬だったが、しかし凌牙は首を振った。
これ以上彼らに付き合わされるのは御免だったのである。
遊馬はそれを見てやはり残念そうな顔をしたがすぐにいつもの笑顔に戻ってしょうがないな、と行ってしまった。
同じく去っていく璃緒からは「つまんないわね」と捨て台詞を吐かれたが別に構うことはない。
凌牙はソファの上で疲れたように息を吐く。
部屋に再び静寂が訪れた。
「――よかったのかよ、止めなくて」
暫くしてそれを破ったのは、不意に聞こえてきたWの声だった。
凌牙は驚いたように顔を上げたがWの表情は先程までのそれと変わらない。
無気力に口だけを動かしているという感じである。
「あいつらさっき配りにいくとか言ってたよな。それって他の奴にも食わせるってことだろ?止めといた方がよかったんじゃねぇのか?」
抑揚のないその声が語るのは紛れもない正論である。
考えてみれば確かにWの言う通りだ。
良識に基づいて行動するのなら、凌牙はさっき彼らを止めておくべきだったのだ。
あのまま放っておいたら間違いなく犠牲者を増やすことになってしまう。
皆が皆遊馬のような狂った味覚の持ち主というわけではないだろう、もしかしたらさっきのWのような目に合うものも何人かは居る筈である。
だが、凌牙は彼らを止めなかった。
そうしてしまった理由は自分でもわからない。
下手に口を出してまた面倒事を起こすのを避けたかったということもあるが、それだけではない気がする。
――もうどうにでもなれ。
一言で言えば、凌牙は今そんな気持ちだった。
昨日までのように犠牲者を一人でも減らそうと奔走する気力などもう凌牙には残されていない。
まとわりつく倦怠感が身体を重くし、あらゆることに対するやる気を失わせている。
今の凌牙にとっては他人がどうなろうとは知ったことではなかったのだ。
噂によると璃緒からのチョコを欲しがっている奴はごまんといるらしいから、残り物を処分したいのならそいつらがいるところにでもバラ撒いてやればいい。
憧れの璃緒の手作りチョコで昇天出来るのならば、きっと彼らも本望だろう。
そんな投げ遣りな考えが凌牙のなかに浮かんできている。
「別に。……どうだっていいだろ、そんなこと」
大きく欠伸をして足を伸ばせば、またWの頭を蹴ってしまった。
にも関わらず、やはり彼は何も言ってこない。
それをいいことにWの肩に足を乗せながら、凌牙はゆっくりと目を閉じる。
三月になったら、自分の方から妹に何を贈れば良いのだろう。
今までの数年間を思い返せばホワイトデーというイベントにもまた嵐の予感がして、再び精神的に追い詰められてしまった凌牙は遂に考えることをやめたのであった。
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