笑うという行為を実現するのは簡単だ。
口角を上げて、相手を映し出すその目を僅かに細める。
あくまで自然に、好意を滲ませて。
相手の心を開かせたいのならば、優しい言葉の一つや二つでも掛けてやればいい。
数あるものの中から、そのとき相手が一番欲しがっている言葉を選ぶのだ。

Wは言うなれば役者だった。
集団のなかで、どのような人格を持った人間が歓迎されるかを知っている。
人の好みなど結局は定型的なものでしかない。
物腰柔らかで紳士的。気配りが上手くて、それでいて芯の強さを併せ持っていると尚良い。
Wはただそれを演じているに過ぎなかった。
誰をも虜にするWという仮面を作り上げ、それで自分自身を覆い隠しているだけだ。取り繕うのには慣れていた。

Wにトロンから『神代璃緒に近付け』という命令が下されたのはつい三日前のことだった。
表の世界での人脈作りに長けたWにその役割はうってつけだったといえよう。
人にはそれぞれ役割がある。
Wはただそれをこなすだけだ。
父親であるトロンの悲願である復讐を成し遂げるために。
その果てに、本当の家族の形を取り戻すために。

「お疲れさまです。とてもいいデュエルでした」

少女の目の前で顔の表面に貼り付けるのは、いつも通りのあの笑みだ。

ハートランドで開かれるというデュエルモンスターズ全国大会の予選リーグに神代璃緒が出場することは知っていた。
国内で一番大きなこの大会の決勝に進み、優勝することが目標らしい。
彼女と接触するチャンスはそこにあるとWは考えた。
同じブロックに出場して勝ちを納めれば、彼女は必ず自分に興味を持つだろう。
――もっとも、まさか一回戦から本人との対戦が叶うとは思ってもいなかったが。

「……完敗でしたわ。最初は私のペースに持ち込んだつもりだったのに……あっという間に逆転されてしまうんですもの。全部、貴方の計算通りだったのかしら?」

座ったままだった璃緒は声に反応しチラリとこちらを見遣るが、すぐに視線を下に戻しそう言った。
自分が負けたばかりの相手と話すのには気が進まないのだろう。プライドの高いタイプなのかもしれない。
だがそんな相手との接し方も、Wは既に心得ている。

「…まさか。貴女は本当に強かったですよ。五ターン目の手数の多さには驚きました。もし僕が全体除去を恐れて伏せカードの数を渋っていたなら、勝敗がどうなっていたかわかりません」

あのターンを止められていなかったら、そのまま押し切られていたかもしれませんからねぇ。

彼女のような人種は素直にその強さを認めてやればいいこともWは知っていた。
紋切り型のやりとりでしかないが、経験上それが効くことに確信がある以上は仕方がない。
他愛のない会話を続けていると、受け答えの反応もそう悪くなかった。
初対面の彼女に自分を印象付けるにはこんなものでいいだろう。

「――では。次に会ったときはまた、お手合わせお願いします」

適当に会話を区切って、Wは自分の右手を差し出した。
大抵の人間はそれに満足してこちらこそ、とWの手を取る。
今まで何の障害もなく繰り返されてきたやり取りだ。そこに例外など存在しない。
誰もがWの作った型にはまった反応を返す。
今回もきっとそうなるだろうという思い上がりでもなんでもない確信が、Wにはあった。

しかし、璃緒の手は動かなかった。
代わりに宝石のような赤い瞳が、じっと此方を見つめていた。
何故だ、とWは思う。こんなことは今までなかったのに。

璃緒はしばらくWを見つめると、ふと目を逸らし、長い睫毛でその瞳を隠した。
そして席を立つともう一度Wの方を振り向き、今度は笑顔で言った。

「ええ、こちらこそ。よろしくお願いしますわ」

そのときWが背筋を凍らせるような寒気を覚えたのは、決して彼女がWの手を取らずに立ち去るというイレギュラーな行動を起こしたからではない。

彼女が見せたその笑顔が、余りに自分がいつも浮かべている作り笑いに似ていたからだ。



それ以来、璃緒とは幾度となくデュエルをした。
出会ったときとは別の予選リーグであたることもあったし、Wが璃緒のデッキ調整に付き合ってやることもあった。

いつも声を掛けるのは意外にも璃緒の方で、同じ大会に鉢合わせする度に彼女は笑顔でこう言った。

必ず、勝ってくださいね。あなたに勝つのは、わたしなんですから。

いつか彼女が見せた背筋が凍るようなあの笑みは、あれからもう二度と見ることはなかった。
その代わりのように璃緒が常に見せる笑顔は、Wが他人に振り撒くそれとは対照的だ。
純粋で、決して他人に媚びず、それでいて可憐な、花のような笑み。
わたし、あなたといられてとても楽しいわ。あなたもそうでしょう?
璃緒はWに笑い掛ける。

そんな彼女を前に、Wは自分が嘘を吐いているような気がしてならなかった。
彼女と言葉を交わす度、別の誰かに見せるような偽りの笑顔を彼女の前で浮かべるとき、罪悪感に似た何かが胸の奥底に沈むのだ。
記憶のなかで、あのとき自分を見つめていた赤い瞳が悲しそうに歪んでいく。
まるで仮面の奥を見つめているような、見透かされているような、そんな感覚だった。

もしかしたら神代璃緒は、初めて会ったそのときからWの正体に気付いていたのかもしれない。
だから別れ際にWの真似をしてみせたのだ。
自分は気付いていると、そう言うかのように。

「負けることは、嫌いなんですの」

はっきりとした口調で告げられた言葉は、とても彼女らしいものだった。
それはとあるカードショップで新しいデッキを組んだという璃緒のテストプレイに付き合ったときのこと。
テーブルの上に並べたカードを片付けながら、彼女はWの顔を見て大袈裟に溜め息を吐く。

「今度こそ勝てるって、思ったんです。いいところまでいったと思ったのに」

「それは……作りたてのデッキに負けるわけにはいきませんから」

「でも、これはWさんに勝つ為だけに作ったデッキですのよ?あなたのデッキの弱点を突いて――」

「そういう相手への対処法も、僕はちゃんと考えているんです」

当然のことのようにWが言ってみせると、璃緒は頬を膨らませて明らかに不満そうな顔をする。
彼女が普段あまり見せないような表情をするものだから、思わずクスリと笑ってしまった。

「あ……今、笑いましたね」

「すみません、貴女がらしくない表情をするものですから。気を悪くされたのなら謝ります」

「いいえ。そんなこと、ありませんわ」

璃緒の表情はもう元に戻っていた。
テーブルに並んでいたカードが彼女の手のなかに纏められる。
トントンとテーブルを叩きながらそれを揃える音。
小さく跳ねるカードの束をなんとなしに眺めていると、ぽつりと呟く声が聞こえた。

「……そうやっていつも、笑っていればいいのに」

思いがけない言葉にはっとして顔をあげると、声の主は気まずそうに目線を逸らした。
なんとなく璃緒の言いたいことがわかってしまって、Wは困ったように笑みを浮かべる。

「……僕、そんなに愛想悪いですか?」

「そういう意味ではありません。むしろ愛想は良すぎるくらいですわ。……でも」

デッキを揃える手がぴたりと止まった。
璃緒は口を閉ざすと、目線を泳がしながらカードの縁を二、三度なぞる。
次の言葉を言おうか言うまいか迷っているようだった。

暫く押し黙っていたがやがて璃緒は言ってしまうことに決めたらしく、薄い唇をゆっくりと開く。
回帰するように恐る恐るWを捉えたのは、見透かすようなあの瞳だった。

「……どうしてかはわからないけれど…わたしから見たWさんって、笑っていてもあまり喜んでいるように見えないんです。愛想をよくするために笑ってるみたい。……そんなこと、ありませんか?」

躊躇うような璃緒の声に、Wは何も答えることが出来なかった。
彼女はわかっているのだと、そう確信した瞬間だった。
自分が今、どんな表情を浮かべているかわからない。
頬の筋肉が硬直してしてしまったようだ。

……そんなこと、ありませんよ。
たったそれだけの言葉を紡ぐのにどれだけ時間が掛かったことか。
ぎこちなく、媚びるように正面に座る璃緒を見つめると、彼女はそれ以上何も訊いてこようとはしなかった。

「そう、ですよね……ごめんなさい、変なことをきいてしまって。でも、わたしに勝ったときはもう少し嬉しそうにしてくださいね。これでもわたし、あなたに会う前は双子の兄以外に負けたことがなかったんですから」

ではもう一度、デュエルしてくださる?
再びデッキをシャッフルする璃緒が浮かべるのは、彼女だけのあの笑みだ。
今は少しだけ、無理をしているようにも見えたが。

その時ほんの一瞬だが、Wは彼女に全てを曝け出してしまいたくなるような衝動に駆られた。
彼女に隠したままではいられない気がしたのだ。
変わり果ててしまった父親のこと、自分以上に辛い思いをしているであろう兄弟のこと、なんとしても成し遂げなければならない復讐のこと。
彼女なら全部、受け止めてくれる気がした。

だが、それが許されないこともWは重々承知している。
これ以上彼女との繋がりを強く持つわけにはいかなかった。
Wに下された命令は神代璃緒に近付くこと。余計なことをするわけにはいかない。

――駄目だ。
Wは自分に言い聞かせる。
彼女のいる日溜まりに手を伸ばしそうになる自分を押さえつける。

自分と璃緒の間にありふれた幸せなんて絶対に存在しない。
所詮はトロンの計画の上に成り立った関係だ。

いつかは崩れる、そんな気がしていた。


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