天高く上がった右腕を降り下ろす。

一瞬の、閃光。

薄暗い路地裏を眩く照らし、同時に目の前にある男の身体が仰け反った。
決して軽いものではないだろうその体躯はいとも簡単に壁に叩きつけられ、弾ける。
額から流れ落ちた血が、アスファルトに赤黒い染みを作る。


ゆっくりと、男の側に歩み寄った。

足元から聞こえ出す呻き声が、低く鼓膜を震わせる。
此方を見上げる視線が刃のように喉元にひたと添えられる。

男はまだナンバーズの呪縛から解き放たれてはいなかった。
そのカードを手にした者は瞬く間に魂を囚われ、欲望のまま動く奴隷と化す。
我を失った所有者は理性の箍を完全に外し、邪魔をするものは誰であろうと叩き潰す。


Wのように、それを複数枚手にしても自我を保っていられるケースは本来ならば異常なのだ。



―――魔法だよ。



いつか仮面を取り外した父親が、自ら与えた力をそう形容した。

科学者である彼のそれにしてはらしくない言葉のように思えたが、異世界の狭間をさ迷った末に変わり果てたその姿を目の当たりにすればそうとしか表現のしようがないのだと直ぐに理解できた。

幼児退行した身体に、穴が開いたように欠落した顔面の左半分。
幼くも整った顔の対称面に映し出された闇と光の入り混じった混沌が、彼は既にこの世界の存在ではないことを嫌が応にも悟らせた。


父は言った。

自分は人間としての肉体と精神を代償に、途切れた筈の命を繋げたのだと。
バイロン・アークライトという存在を棄て、トロンという復讐心のみによって動く自我を手に入れたのだと。


彼から与えられた紋章も、それと同種のものだった。



―――その力があれば、君はあらゆるナンバーズを掌握できる。
魂の一部と引き換えにね。
心が弱ければ力を制御できずに肉体が壊れてしまうかもしれないし、そうじゃなくてもいずれは心を失ってしまうかもしれない。

けどね。
悪い話じゃないと思うんだ。

代償さえ払えば欲しいものは何だって手に入る。
その力を僕の為に使ってくれるのなら。
フェイカーへの復讐の為の駒になってくれるなら。

そのときは、きっと―――



僕は君を、愛してあげられるかもしれない。



耳元で囁くトロンの声は甘い蜜のように、少しずつWの脳を融かしていく。



―――復讐さえ、果たすことが出来たら。
本当に、その力で望みが叶えられるというのならば。


かつて何年もの歳月を共にし、愛し愛されてきた父が自分達のもとに帰ってきてくれるのだろうか。
もう二度と手にすることは出来ないと諦めてきた過去に、もう一度戻ることが出来るのだろうか。


そうであるという保証は何処にもなかった。
願い続ければ救われるなんて、そんなお伽噺に誰も見向きはしなかった。

けれど、そう信じ続けていなければ明日が来ることに怯えてしまいそうで、絶望してしまいそうで、それだけが怖くて。


力を求め、欲望に支配されぬ術を手にした少年は誰よりも欲深く、そして誰よりも臆病だった。




「………じゃあな」



男の目の前に振り翳した右手の紋章が、紫色の光を放つ。
這いつくばる敗者からナンバーズを引き剥がし、それに伴う記憶も奪い去っていく。

いつかは感じていた迷いを表す震えも、今ではもう無くなっていた。

光に照らされた男の顔が、恐怖と絶望に塗り潰される。

負の感情に支配されたそんな他人の顔を、あの時から何度も見てきた。
怒りも、憎しみも、哀しみも、全ての純粋で歪な感情の塊を、
指折り数えることを諦める程に。
いつの間にかそれを引き出すことこそが、自分の存在意義だとさえ思えてしまう程に。


顔の表面に歪んだ笑みを貼り付けて、Wは自らの魂を削っていく。

全てを失うその直前に男が何か叫んだように見えたが、その声は誰にも届かなかった。
怖気に揺れる双眸が見開かれた瞬間、額を弾丸で撃ち抜かれたように男の頭蓋はがくんと揺れ、そして沈んだ。

輝きを失ったWの掌には、所有権を移したナンバーズが残された。



「………行くぞ、V」



少し下がった場所で一部始終を見守っていた弟に、振り向かぬまま声を掛ける。
返事が返ってくることはなかったが、その代わりに静かに響く靴音が近付いた。
それを遠ざけるかの如く、Wもまた歩き出す。
互いに言葉を交わすことはない。


衝動に任せるように、壊して、傷つけて、狂気に犯されながら嗤うWのデュエルは、彼の目にどう映ったのだろう。
痛みを遮断し、返り血で自分の傷を隠すようなWの様を、優しい弟は見ていられないと言うのだろうか。

それでも、例えもうやめて欲しいと手を握られても、立ちはだかられたとしても、Wは歩みを止めるわけにはいかなかった。

今まで数え切れない涙を嘲り、助けを求める手を踏みにじったその身体は、もう元には戻れない程に汚れすぎていて。
誰かに傷口を晒すことさえ許されないから。

その存在が闇と同化したのならば、悔やみ立ち止まるのではなく、自身諸共その闇を砕く光を求めて歩き続ける。

想いを、願いを見失わず、その果てに微笑むあの人に出会えるのなら、心が壊れようと構わない。


傷ついて、軋んで、砕けた心の一欠片は、
永遠に眠ることなくただ子供のように、終わらない夢を見続けていた。


>>atogaki



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