キッチンでの惨状を目の当たりにした瞬間、Vは深く後悔した。

本に従って作るという言葉を信じて全てを任せたが、Wは料理に関しては初心者中の初心者。
慣れているVにとっては知っていて当たり前のこともWは知らなかったりするのだ。
あまり手出しはしないにしても見張っておくくらいのことはしておけばよかった。


出来たぞというWの声に誘われて駆けつけてみれば、キッチンに並んでいるのは炊飯の際に水が少なすぎて塊と化した米、白い汁のなかに不揃いな野菜が詰め込まれたシチュー(仮)、黒焦げになり皿の上に折り畳まれたシート状の物体、そして何故か表面がヌルヌルした鮭の切り身。

これで完成だと自信満々に叫んだWは一体何を思っているのだろうか。
まさかレシピ通りに上手く出来たとでも思っているのだろうか。



「………?
どうかしたのか?」



言葉を失ったようなVの反応を不思議に思ったらしくWは首を傾げるが、この状況を前にして平然としていられる方が異常なのだ。

調理される食材達の側からすればまさかこんな姿に変貌させられるとは思いもしなかっただろう。
食べるにしてもこの有り様では命を賭してその身を捧げてくれた彼らに失礼ではないかとさえ思えてくる。

一言で「酷い」と言ってしまえばそれまでだが、優しさ溢れる弟であるVはまだその言葉を選べずにいた。



「あの……なんていうか、コレ…本当に本の通りに作ったんですか?」


「そうだってさっきから言ってんだろ。この『初心者でも再現できる三ツ星の味』って本に書いてた通りにやったんだよ」



(…………嘘だ……)



例え相手が誰より信頼する兄であっても、それを信じることだけは不可能だ。

Wが本当にレシピに指示された通りにこれらの料理を作ったというならばそんな本は今直ぐにでも絶版、いや発売前から発禁である。
こんなものが三ツ星だと宣うとはこの本の著者も図太いどころの話ではない。

すぐにでも間違いを指摘してこれは全くの別物だとWにわからせてやりたいところだが、何を言えばいいかもわからずVはただ並べられたものを凝視しているだけだった。



「…なんだよ。疑ってんのか?」


「まぁ…ちょっとイメージと違ったので……」


「そう思うなら味見してみろよ。
見た目がイマイチでも三ツ星の味するから」



そう言ってなんとか弟を納得させたいWがVの分を少量皿にとって盛り付けようとするが、



(………うわっ……)



まず白米を一膳分取り分ける時点で既にそれが食べ物とは思えなかった。

米の密集地となっている炊飯器のなかに杓文字を突き刺すにも一苦労で、米が固すぎて上手く杓文字が沈まないのだ。
なんとか食い込ませその中から一人分を掬い取ろうと試みるが米同士が異常な粘着力を有しており、一部持ち上げれば残りの米もベトリとくっ付いて一緒に持ち上がってしまう。



「…まぁ、米はレシピねぇし………」



苦し紛れに呟くWだったが、一般常識として万人に身に付いているであろう米の炊き方から教えてくれる料理本など今時かなり稀なのではないだろうか。
ただ水を含んで熱しただけで憶えのない異物へと変貌してしまったというたった三カップの米が、それだけでWが如何に料理に向いていないかを物語ってくれていた。

くっ付いて離れない残りの米なんとか引き剥がし、べとりと皿に擦(なす)り付けられた米をVは少しだけ口に運んでみるが、



(………………不味っ)



口内に入れた瞬間にその味は見た目以上のおぞましさを発揮してくれた。
口に入れられた米はその粘着力でねっとりと歯にくっ付いてくる癖に芯がまだ残っているためその内側は異常に固い。

言うなれば外はベトベト、中はガチガチの状態である。
逆ならばまだ食べられたかもしれないがこれでは残念ながら落第点だ。

料理に関する何の知識も持ち合わせていないWのことだから無洗米でもないのに米を研がず、しかも水の分量を餅米のそれと勘違いして炊いたのではないかとVは持ち前の推理力で判断する。

たった二つのミスでここまで酷いことになるとはある意味新たな発見だった。
今後はこのようなことがないよう米は無洗米を選んで買うことにしよう。



更に勧められるがままシチューも少量取って味見してみるが、こちらもやはり白米同様に食べられたものではなかった。

ざく切りにされた人参やジャガイモは茹で足りないようでまだまだ硬く、スープも大量の生クリームのせいか嫌にねっとりとしている上にシチューとしてのそれとはまた別種の謎のとろみがあった。
料理本に記載されたレシピに従って作られたとは到底思えない。


まだ黒焦げの物体とヌルヌルを通り越してびしょびしょの鮭に口を付けていなかったが、Vは堪らず手を置いた。
無理をしても構わないがこれ以上こんなものを食べていては身体が持ちそうになかった。


これでも尚どうだ美味いかと訊いてくるWは一体何を期待しているのだろう。
お世辞にも美味しいとは言えない料理を前にVは何を言おうか暫し迷って、



「あー…そうですね、すごく個性的な味だと…思います」



とだけ答えて以来閉口した。


使い古されたテンプレートでそれが『美味しくない』と直訳されることはわかっていたが、Vにはそれ以外の言葉は思い浮かばなかった。

期待はずれであろう答えにWはあからさまに不満そうな顔をしていたがVからしてみれば不可抗力だ。
不味いですとストレートに言わなかっただけでもかなり気を使ったと言っていいだろう。

それにも関わらずまだ食い下がってくるのがこの兄の面倒臭いところで、Vはもう一杯一杯だというのに残り二品もと再び試食を迫らるれこととなる。



「わかんねぇのかよお前…ちゃんと本通りに分量間違えずに作ったってのに…
他のヤツも食えよ、まぁそっちの卵焼きは俺のオリジナルだけどな」


「―――卵焼き!?コレがですか!?」



Wが何がおかしいのかと指差しているのは皿の上に鎮座する黒焦げの物体。
まさか主成分が卵だとは思いもしていなかった。



「…まぁ若干失敗したけどな。
焼く前にフライパンに油引き忘れたせいで生地がくっ付いちまったときはどうなるかと思ったぜ」


「どうなるかと思ったって…派手に失敗してるじゃないですか…
油引き忘れたって序盤空焚きしたってことですか?焦げますよフライパンが…」


「大丈夫だ。俺もちゃんと学習してその後は鍋やフライパン使う毎に油引いたからな。
魚焼くときもシチュー作るときも油だけは忘れなかったぜ」


「シチューにも!?
煮るときも油入れたんですか!?シチューだったからまだ目立たなかったけどモノによっては油まみれですよ!!」


「知らねぇよそんなモン!本になんも書いてなかったんだよ!!」


「そんなこと自分で判断してください!何のために油引いてると思ってるんですか!?」



まさかWは茹で野菜が鍋にくっ付くとでも思っているのだろうか―――そんな考えが脳裏を過ったが、Vは敢えてそれについて言及しようとはしなかった。
これ以上こんなことで言い争ったところで時間の無駄である。



「もういいですよ卵焼きは…どうせまたオリジナルとか言っていらない味付けしたんでしょ?なんか読めてきましたよ…」


「わかってんじゃねぇかV。
確かに味付けはしたな。お前卵は醤油派だって言ってたろ?好きかと思って入れといてやったぜ」


「それは目玉焼きの話ですよ…卵焼きは普通砂糖です。もういいですホント変な気利かせなくて……」


「……………」



今まで口にされていなかったVの本心が遂に見え隠れし始めたからか、Wはそれ以上何か言おうとはしてこなかった。
可哀想だが遠回しにオブラートに包んだところで何の解決にもならない。
この惨状が全国ネットで放映されて不特定多数の一般市民にドン引きされるよりはましだろう。

そんなことよりキッチンにはまだ突っ込まなければならない物体がもう一つあるのだ。



「それで、ずっと気になってたんですけど―――これなんですか?」



Vが最後に指摘したのは、生前は鮭と呼ばれたであろう表面がやたらヌルヌルした焼き魚。
この物体は何と名付けられるのだろうとVは密かに身構えていたが意外にもWから返ってきた答えは、



「どう見ても鮭のムニエルだろ。本の写真とそっくりじゃねぇか」


「何を以てそっくりだと思ったんですかそれ……」



実際にレシピに記載されていた完成図と見比べるがどう見たって本の中のそれはあんなふうにテカっていないし黒焦げにもなっていない。
本と同じように作ったと言うのにどうしてこうも違うのかVにはまるで理解出来なかった。



「あの…なんでこれ焼いてるのに濡れてるんですか?なんか変なソースでもかけたんですか?」


「本に忠実だから余計な味付けはしてねぇって。ちゃんとカリカリになるまで焼けてるじゃねぇか」


「カリカリってまさか裏面の話してるんですか!?完全に炭化してるじゃないですか…食べれませんよこんなの―――…あぁ、じゃあわかりました。
ちょっと今ここで同じもの作ってみてください。何処でどう間違えたのか僕が見ててあげますから」


「…はぁ?だから間違いないって言ってんだろ!
実際作り直したところで何も変わらな―――」


「いいから作ってください。絶対何処かで間違ってますから」


「…………………」



Vの放つ気迫に押されたのか、観念したWは渋々冷蔵庫へと向かう。

一切れだけ中に残されていた鮭の切り身はまだその鮮度を保っていて、とても腐っていたり謎の汁を分泌したりするようなものには見えなかった。
やはり問題はWの調理法にあるらしい。


Wは容器からそれを取り出すと蛇口から勢いよく流れ出す冷水でさっと本体を洗い、ろくに水を切らないままそれを濡れた状態でまな板の上に放り出す。
本来ならばここでしっかり水気を取るように指摘するところだがVはまだその時ではないと判断した。
これを濡れたまま放置したところで鮭のムニエルがびしょびしょになる理由にはならない。


Vが口を出さなかったため調理はそのまま続行され、まな板の上に乗った切り身に次々と調味料が振りかけられていく。

塩、胡椒、そして薄力粉。
本に「適量」と記述されたその分量はどれも多すぎたり少なすぎたりしたが、それもまだ問題だとは思えなかった。
振りかけるという単純な作業がムニエルを未知の物体へと変貌させる要因にはならない筈だったからだ。



が。




(………………あ、)




Vは気付いてしまった。
この行程でWが犯していた、取り返しのつかない大きなミスに。



(……そうか………だからか………)



ここで間違えてしまったのなら全て納得がいく。
常識では考えられないようなことだったが、初めてキッチンに立ったWならば仕方のないミスであるとも思えた。



「……………兄様、」



Vはそのままフライパンを火にかけようとしていた兄の手を掴んだ。
このまま材料を熱したところで完成するのは今までと同じ品だ。
カリカリにするどころか表面をドロドロに焼く処理を施してしまったのだから。

白い粉の入った透明な容器を兄の目の前に翳す。
全ての元凶はこのミスだったのだ。





「もう一度よく見てください。
これ、小麦粉じゃなくて―――




―――片栗粉です」






「…………………は?」






確信を伴った弟からのその言葉にWはきょとんとした顔で暫く固まっていた。
半開きになった口は歪んだ上弦月を描き、赤い瞳はぱちぱちと瞬きをしながらもVの顔をただじっと見詰めている。


何を言っているんだ、こいつは。

声にはなっていなくても、そう言わんばかりの顔だった。




「…見えますか?そこの戸棚に、同じような容器が3つ並んでましたよね。
本体には何も書いてないけどこれ、蓋の色によって中身を区別してたんですよ。
赤が強力粉、ピンクが薄力粉、青が片栗粉―――兄様がムニエル作るときに使ってたのは青い蓋の容器に入ってた粉ですよね。
だからあんなことになっちゃったんです。
切り身を濡れたままにしたせいで片栗粉も水に溶けてヌルヌルになって、焼いた鮭がびしょびしょになってるように見えたんですよ」



わかります?と確かめるように言うVだったが、それでもWは納得のいっていない様子だ。
いつの間にかその瞳には滲み出る不満の色を帯びていた。



「…じゃあアレか?薄力粉と間違えて片栗粉使ったせいで俺のムニエルは台無しになって、シチューにも変なとろみが生まれちまったってことなのか?」


「まぁ味がアレな原因はそれだけじゃないですけど……ムニエルとシチューのとろみの原因は間違いなくそれですね」



Wはふぅん、と息を吐いただけでそれ以上説明を求めようとはしなかった。

暫くの間なるほどな、と頷きながらキッチンの中を一人歩き回っていたが再びVに向き直ると相手を指差し、溢すようにボソリと言った。



「……お前のせいだ」




「………………え?」




Wの口から間違いなく聞かされたそれはVからしてみれば酷く理不尽で、耳を疑いたくなるような言葉だった。



「―――お前のせいで失敗したんじゃねぇか!!
お前があんな分かりにくい容れ物に入れるから!!それで小麦粉だか片栗粉だかわかんなくなっちまったんだろ!!わざわざパッケージから移し替えてんじゃねぇよ!!」


「なッ―――なんでそうなるんですか!?
いいじゃないですか可愛い容れ物に入れ替えたって!!普段全然キッチンに立とうとしない兄様が悪いんです!!
大体小麦粉か片栗粉かなんて普通の人なら触ったらすぐわかりますよ!!自分の料理が不味いからって僕のせいにしないでください!!」


「―――あ゛ァ!?テメェ人が折角作ったモンに不味いとは何様のつもりだ!!」


「不味いものを不味いって言って何が悪いんですか!!あんなの人が食べるものじゃありませんよ!!」



なんだとテメェ、と迫るWに、それでも決して譲ろうとしないV。
いつもならここで掴み合いの喧嘩に発展してもおかしくないくらいだったが、この日はキッチンの入り口から聞こえてきた少年の声によって二人の動きは完全に止められた。



「あぁ、WにV、やっぱりここにいたんだね。
夜ご飯まだぁ?僕もXもそろそろお腹空いてきっちゃったよ」



振り向いたその視線の先にあったのは、一家の主たる少年の姿。
夕食の時間まで待ちきれずキッチンまで急かしに来たのだろう。

あーぁ、お腹空いたぁ、ともう一度独りごつトロンの声には「あと15分以内に用意しろ」というメッセージが込められていることをVとWは直ぐに理解できた。

これ以上彼を待たせるわけにはいかないが、こんな料理を食卓に並べ食べさせるわけにもいかない。
だからと言って今から作り直す時間など与えられない。

この状況下では完全に道を塞がれたかのように見えたが、しかしVは動じなかった。


こうなることも計算の内だ。
15分も与えられれば充分。

もう手が残されていないわけではない。



「…………えぇ。大丈夫ですよ、トロン。
もうすぐ準備ができますから―――X兄様と一緒にテレビでも見て待っててください」



そう言ってVはトロンにニコリと笑いかけると、服のポケットから自身の端末を取り出した。
迷いのない手つきである番号をダイヤルすると、それを自身の耳元に押し当てて話し出す。



「―――もしもし?
ピザの注文お願いします…はい、宅配の方で。
ミックスとエビマヨのMサイズを一枚ずつ……はい、そうです、はい…
えぇと、住所はですね…―――」







結局Wが作った夕食は宅配ピザのおかずとして出されることとなったが、誰もそれに手をつけようとはしなかった。

作った本人が責任を取って食べるべきだという意見も上がったが、それは可哀想だよというトロンの言葉によりWは残飯処理―――そもそも誰も食べてはいないのだが―――の役目を免れた。


その翌日から兄のあまりの料理下手さに番組降板の危機を感じたVによるスパルタ料理指導が幕を開けたのだが、それはまた別の話である。


>>atogaki



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