トロンの計画に不必要な行程なんて一つもない。
言われずとも最初からわかっていたことだ。
今までずっと、Vは彼の指示ならばそれがどんなことであろうと最善を尽くしてきたし、それは上の兄二人もきっと同じだ。
復讐に燃える彼の期待に応えるためならあらゆる命を遂行し、必要ならばその手を汚すことさえあった。
父親の手足となり動くことこそが自分達の存在理由だった。
トロンは自らの目論みについて多くを語ろうとはしなかった。
自分達兄弟はあれをしろこれをしろと指図されるだけで、その行いに一体何の意味があるのかは殆ど知らされることがない。
何か尋ねたとしてもいずれわかるよ、と彼は笑うだけで決してその本心を曝したりはしなかった。
隠されたままの彼の意図を測りかねながらもそれをよしとしながら従うのが自分達の生き方だったし、むしろ彼の考えを完全に理解することなど不可能だとさえ思っていた。
しかしそこまで折り合いをつけていながら、Vは今回の件に関しては疑問を感じずにいられなかった。
今までの過程を考慮に入れたとしても神代凌牙の存在は異質そのものでしかなかったからだ。
かつての父と共に異世界への扉を開いた者のうち誰かと血の繋がりがあるわけでも、はたまた異世界との接点があるわけでもない、Vから見れば至極平凡で無関係な少年。
一年前の全国大会に於いてWが命令に従いその妹を傷付け罠に嵌めた相手であるが、その当時も何故そうする必要があったのかトロンの口から語られることは一切なかった。
そして今、Wが彼をWDCに誘い込むよう指示されたときも。
ナンバーズを集めた時に必要になる。
数多であろう情報のなかから酷く抽象的で何の助けにもならないその言葉だけを聞かされて、Wは送り出されていったのだ。
Vは考える。
必要ならば、知らねばならないと。
トロンの復讐劇の加担者である自分達にはその権利があるはずだし、そうすることで仮面の奥に隠されたその真意に近付ける気がしたから。
かつて彼の駒として動くことを誓った自分達の存在を差し置いて何の変哲もない少年が取り立てられようとしていることには我慢ならなかったという思いもある。
だから、一年振りに凌牙と再会したばかりであろうWに帰宅して早々そのことについて尋ねる時も躊躇はしなかった。
些細なことであろうとトロンが凌牙を引き入れようとする所以となり得ると思った。
彼に異世界との繋がりを感じさせるようなことはあったか。
ナンバーズの気配は感じられたか。
決闘者として自分達の脅威となる恐れはあるか。
あらゆる可能性について事細かに聞き出そうとした。
兄のサポートをする役割を担っているVが凌牙のことを知り、分析することは凌牙に恨みを買っているWの手助けにも繋がるのだ。
しかし当のWはそんなVの思いなど知ることもなく、「別に、」と短く答え興味無さげに差し出された紅茶を啜るだけだ。
あまり協力的な態度とはいえなかった。
「さっきも言ったろ?
あの時―――一年前の奴と同じだ。何も変わりはしねぇよ。
決闘者(デュエリスト)としての奴は既に脱け殻…今は妹をに重症を負わせた俺への復讐しか見えてねぇ。
利用する価値があるとは思えねぇな」
「そんなこと言わないで…本当に何もなかったんですか?
何かの力に覚醒しそうだったとかDr,フェイカーのことを知ってそうだったとか…
トロンが必要だって言ったなら何もない筈ないんです、どんなことでもいいから思い出してください」
「んなこと言われてもなぁ……」
Wは額に手を当て考え込むが本当に無いものは無いらしい、しばらくそのままの姿勢で静止して数分が経った。
これではわざわざ紅茶まで用意してWから話を引き出そうとしている意味がない。
「―――では本当に、彼には何もないというんですか?
トロンが何の力も持たない神代凌牙をこの大会に引きずり込んだと?」
「そうは言ってねぇよ…急に言われても出てこねぇってだけで……
……あぁ、でも一つだけ気になったことあったな」
「…本当ですか!?教えてください!」
「別に構わねぇけど……どうでもいいとか言うなよ?
何でもいいからとか言ったのお前だからな?」
「はい!」
面倒臭いと言わんばかりに響くWの声だったがVはそれに僅かばかりだが期待を寄せていた。
何気ないものでも気付くことがあるなら何らかの手掛かりになるかもしれない。
Wはしばし躊躇うように焦らしていたが、Vが待ちきれないように急かすとやがて神妙そうな顔で口を開いた。
「久し振りに会ってすぐに気づいたんだ…
驚いたぜ…
あいつな……
………かなり身長伸びてたんだよ……」
「………………そうですか」
聞いた瞬間Vは少し後悔した。
何が来るかと待ち構えていたがここまでどうでもいい話をされるとは思ってもいなかったからだ。
確かにWに無理矢理でも何か言えと催促したのは自分だが、どんなことでもいいとは流石に言い過ぎたかもしれない。
手掛かりになりそうなことならなんでもいいくらいにしておけばよかった。
此処から計画を進めていく上で役立ちそうな情報に繋がることはなさそうだったが、一応話くらい聞いておいた方がよいのだろうか。
「えぇと…それは兄様、どのくらい伸びてたんですか?」
「かなり伸びてたな。どんぐらいかって言うとだ、」
そう言っておもむろにWは紅茶のカップを置き立ち上がると、床と水平に向けた掌を自分の鎖骨の辺りに持ってきた。
「一年前は大体コレくらいだったのに―――」
そしてそれをすぅ、と滑るように垂直に移動させ、
「今日会ったらここまで来てたんだよ」
自分の頭頂部付近でぴたりと止めた。
その姿勢を作ったままこちらをじっと見るWは相手の口から驚きや感嘆の声が漏れるのを期待しているようだったが、残念ながらVにはそうなんですか、とまた頷いてやることしかできなかった。
やはりこの話題では話が広がりそうにない。
Wの身長も多少伸びていることもあり話を聞く限りでは凌牙の成長はかなりのものだが、14歳という彼の年齢を考慮すればそれもそういう時期なのだろうの一言で片付けられてしまう。
どうやら自分が求めているトロンの思惑やナンバーズの話とは一切関係無さそうだ。
Vとしてはこの話をさっさと打ち切って次の話題に進みたいところだったが、意外にもWの口の動きは止まらなかった。
躊躇っていた割に誰かにこの話を聞いてほしくて仕方がなかったのだろう、一度始まれば言葉が尽きることはない。
「やばいよな…コレ…ここまで伸びてるとは思わなかったぜ…成長期恐ろしいよな…どうしよう…あいつ俺より身長高くなってたら…どうしたらいいと思うV?」
「えっ…?
いや……どうもしませんけど…」
「どうもするに決まってんだろ…!
俺さっきあいつに『悔しいでしょうねぇ』とか『俺を倒してみろ』とかすげぇ上から目線で話してたのに!あいつより身長低かったらどうすんだよ!!見下ろすどころか無意識のうちに見上げてたらどうすんだよ!!絵面間抜けすぎじゃねぇか!!」
「あぁー…確かにそうかもしれませんね…
じゃあハイヒールか厚底ブーツでも履いてみたらどうですか?男性物があるかどうかはわかりませんけど」
「そういう問題じゃねぇ!人間としてのステータスの問題なんだよ!!
俺の方が身長が高いっていうその事実が必要なんだ!あのシチュエーションで俺があいつに負けてるところなんて一つたりともあっちゃいけねぇんだよ!!」
そこまで一気に言うとWは再びドサリとソファに腰を沈めて紅茶を飲み始めた。
大声で捲し立てたためか喉が渇いてしまったらしい。
一気に空になったカップにまたポットから注いでやると熱さも気にせずまたそれを溢さんばかりの勢いで傾ける。
自分の目線を相手の上から送ること。
Vからすれば一見どうでもいいことに思えるが、プライドの高いWにとってはこの上なく重要なことであるらしい。
それが無関係の癖にトロンに欲せられている神代凌牙という中学生相手ならば尚更だ。
トロンが自分を使ってまで彼を引き入れようとしているという事実は誰より父に認められたいという欲求の強いWにとっては当然許されないことであろうし、それが能力的な問題に関係あろうとなかろうと何がなんでも自分は凌牙より上であると証明することを欲するのだろう。
その上Wが高いとは言えない自分の身長に対し密かなコンプレックスを抱いていたこともVは知っている。
成長期が終わりつつあるWは二つ年下のVよりはまだ高身長であるものの三つ年上のXとは未だ頭一つ分程度の身長差がある。
僅かに残された成長ホルモンを残さず身体中に絞り出したとしても、この差を数年かけて埋めることはまず不可能だ。
故にXと立ち話をする際Wは必ず相手の顔を見上げねばならないので首が痛くなる上に大変屈辱的な気持ちになるらしい。
身長差という意味で決して越えられない壁となっている兄の存在が言うまでもなくWの劣等感の原因となっていたのだ。
Wは年下に自分より上の目線で立つことを許そうとはしなかった。
それは彼の残されたプライドの表れであり防衛本能なのである。
「―――そこで、だ」
紅茶を再び飲み干したWがこちらに向き直す。
何時になく真剣な顔つきだった。
「明日、もう一度凌牙のところに行って決着を着けようと思う。
奴と俺、物理的な意味でどっちが上かっていう決着をな」
「…背比べしたいって意味ですか?
別にいいですけど……負けてもヘコんだりしないでくださいよ?ショックでデュエル出来ないとかナシですからね?」
「その心配はない。
何故なら俺は明日奴を遥か高みから見下ろすべく今日中に誰もが驚くレベルの急成長を遂げるからだ―――こいつを使ってな」
そう言ってWが指差したのは、Vがこの部屋を訪れる前からリビングの端に放置され続けていた段ボールだった。
サイズが大きく異様な重量感を持つその箱の表面には中身の部品を組み立てた完成品であろう物体の上にジャージを着た女が寝転がっている姿が描かれているが、これでは何をするための道具かさっぱりわからない。
「……何ですか、コレ?」
「見りゃわかんだろ、電動背筋牽引機だよ」
「電動背筋……何ですって?」
「電動背筋牽引機」
「電動………
…………なるほど」
内心全くなるほどとは思っていなかったがこれ以上しつこく聞き返す気にもならなかったので、取り敢えず納得した体を装うことにした。
普段Xやトロンの浪費活動に苦言を呈しているWにしては大変珍しい買い物だったが、何もこんなガラクタを買ってくることも無いだろうと内心呆れてしまう。
それに使うだけのお金があればWがいつか欲しがっていた高級ブランドの陶器人形も買えただろうに。
しかしそんなVの思いをよそにWは鋏を取り出すとさっさと段ボールを解体し中身を組み立て始めていた。
バラバラだった部品はガシャガシャと本体に差し込まれ、瞬く間に細長いベッド型の健康器具が完成した。
「いいか?そこにあるコード差し込んでこうやって身体固定して―――」
下準備を完了すると今度は誰も頼んでいないというのに使い方の実演が始まる。
パッケージに印刷されていた女と同じようにWは器具の上に寝転がると、ベッド型の本体に組み込まれた突起に脇や足首を引っ掛けて自らの身体を固定した。
そしてVが指示された通りにリモコンのボタンを押してやると、
「………!
……おぉぉ………」
みるみるうちにベッド部分が縦に伸び始め、Wの足首が引っ張られていくではないか。
見たところこれは使用者の身体を縦にストレッチさせることで骨格の歪みやズレを矯正するためのものらしい。
正しい骨格にすることによる身長アップが期待できるようで、同封されていた説明書によると猫背の人はこれを使うことにより身長が十五センチ程度も伸びるという。
どんな猫背の人を例にとっているかはわからないが確かにこれは効果がありそうだ。
器具により無理のないスピードで関節を伸ばされているWは一分に一度程のペースで「…うおぉー…」と気持ち良さそうな声をあげている。
これもまた説明書によるが、搭載されているマッサージ機能により疲れた身体をリフレッシュさせる効果もあるとのことだ。
最初はわけのわからない健康器具と馬鹿にしていたものの、実際に使っているところを見せつけられてしまえばVも段々それに興味が沸いてきた。
なんとかして代わってもらえないかと然り気無く兄に歩み寄る。
「あの、兄様…そろそろ疲れてきたんじゃないですか?
僕にも貸してくださいよ」
「あぁ?
…駄目だ。俺が買ってきたんだから他の奴には使わせねぇ」
「いいじゃないですかちょっとくらい。あんまり長い時間やってたら背中も痛んじゃいますよ?」
「駄目だって言ってんだろ。
Xとトロンならまだしもお前だけは絶対使わせたくねぇ。何があってもな」
「なッ…なんでですか!?僕だっていつもW兄様に紅茶いれてあげたりしてるのに!」
強情な物言いに理不尽を訴えるVだったが、Wはその場から動くことなくただじっと冷たい目でこちらを見詰めていた。
そんな視線に負けじと対抗しキッと睨み返してやったが、相手がそれに動揺するようなことはない。
Wは黙ったままだったがそれでも引き下がらないVに暫くしてあのなぁ、と溜め息混じりに切り出した。
我が儘を言い出した子供を諭すような声だった。
「―――これ使ってお前が俺よりデカくなったらどうすんだよ?元も子も無ぇだろうが」
「………………」
その言葉を聞いた瞬間、Vは健康器具を貸してもらうことを諦めた。
Wの身長が180センチを優に超すくらいにならなければ恐らく触らせてすら貰えないであろうという予想もついた。
自分より上の位置から目線を下ろすことを許さないというWの感情の矛先が凌牙だけに向いているわけではないことをすっかり忘れていた。
彼にとってはVの身長が伸びることも当然望ましいことではなかったのだ。
Vは部屋を後にした。
自分の身長を伸ばすことで頭が一杯になっている今のWに何を言っても無駄だと思った。
彼と健康器具に別れを告げ背中を向ける際に「明日は凌牙のところに行くからな、忘れんなよ」という声が追ってきたが、わかりましたよという言葉だけをその場に残してパタンと扉を閉めた。
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