「明日の朝4時、一人で俺の部屋に来い」


耳元でボソリとそう言われたのは昨日の夕食の片付けを済ませた頃で、5時間程度の仮眠を済ませた後、Vは兄であるWの部屋の前に立っていた。

部屋に向かう際に長男のX、そしてトロンの部屋の前を通ったが、二人とももう寝静まっているのだろう。
もし彼らが起きているのならば、読書灯もしくはモニターの光がドアの隙間からこぼれ出ているはずなのだから。
深夜まで勤しむWが睡眠時間を削ってまで敢えてこの時間帯を選んだということは、他の二人には聞かれたくないような話があるということだ。


しかし兄弟でありながら滅多に入ったことのないWの部屋に一人で、というのはなんだか変に緊張してしまう。
何故兄は、自分一人を部屋に呼んだのだろう。
自分にしか話せないこととは、一体なんだろう。

何を打ち明けられるかはわからないが、家族のなかでいちばん年が近い自分はWの悩みをわかってあげられるような気がするし、彼がその相手に自分を選んでくれたことが、Vはなんだか嬉しかった。


紅茶のセットを持たない右手で軽くノックした後、「失礼します」の言葉と共に部屋の中に入る。


「――来たか」


適度に片付いた部屋の中央の椅子に腰かけ影を落とすのは、幾分か不機嫌そうな面持ちの一家の次男の姿であった。


W。


デュエルリーグ極東エリアのチャンピオンでありながら、デュエルで相手を好んで痛め付ける行為をファンサービスと称し、彼らの苦しみに歪んだ顔に美を感じるサディスト。

前者は所謂「表向きの顔」であり、本性である後者の方は兄弟を始めとするごく一部の人間しか知らない。


しかしVは極東チャンピオンでもサドでもない彼のもう一つの顔を、これから知ることになる。


一応持ってきたんですけど、と差し出した紅茶を指示された通り置くと、数歩下がって兄の前に立つ。
最近わかってきたことなのだが、この半径3メートルが彼のパーソナルエリアの限界らしい。


「お前に一つ、答えさせてやる」


サイドテーブルに置かれたティーカップを片手で持ち上げながら、Wは依然不機嫌そうな面持ちで言った。


「あの日から――俺達が全てを奪われ、失ったあの日から。
何故、お前は今までこの世界で生きていられたと思う?
お前の生きていられる理由は一体なんだ?」

「……それは………」


思った以上に真剣な言葉を投げ掛けられ、Vは少し戸惑った。

本来、自分達は死ぬはずだった人間だ。
何もかも奪われ、壊され、踏みつけられて、それでも死ねないまま、這いつくばるように、生きている。

それでも尚V達兄弟が今まで生を感じていられた理由は、


「――目的があるからです」


翡翠色の瞳に強い意思を滲ませて、言った。


「復讐という、目的が」


これこそが、自分達の生きる理由。


一度ばらばらになってしまった自分達兄弟の唯一の共通認識であり、絆そのもの。
こうして確かめ合うことで、互いの繋がりを認識出来る。

酷く歪んでいるけれど、それが兄弟の愛の形。


――だが。


「…ふぅん………」


Wの反応は全く芳しくなかった。
またそれかぁ…と、同じ玩具を与えられた子供のような眼で、Vより遥か遠くを見ている気がした。


「ど、どうかしました…?」


あまりに予想外の反応に、Vは戸惑いを隠しきれなかった。
何かまずいことでも言ったのだろうか。
これは兄が求めていた答えではないのだろうか。


たださっきのはどうやら不正解だったらしいということは、相手の様子を見れば明らかだった。


「お前にはまだ早かったらしいな……まぁ十五歳のお前にこんな答えを求めるのも酷ってモンか。なら特別に教えてやろう」


Wは紅茶を啜りながら、ゆっくりとVに視線を戻した。

迷いのない、真っ直ぐな眼だった。


「……いいか?お前がこうして生きていられる理由、それは――

オレのファンが多いからだ」


「…………は?」


反射的に、何言ってるんですか、と言いそうになった。


ファンが、多いから…?

兄は確かにそう言った。


ファン?
…fun?
……fan?


ファンって、扇風機じゃなくて、あのファン?

兄様の応援をたくさんしていて、グッズを買ったりサインをねだったりする、あのファン…?


「まだわかってねぇようだな」


混乱状態から抜け出せないVを尻目に、Wは立ち上がるとPCの電源を入れモニターに何かを映し出した。


「……特別に俺のスケジュールを見せてやる」


そこには米粒程にしかみえない文字がびっしり記されており、各行の左端には日付と思しき数列が並んでいた。
米粒にもよく見ると3色に色分けがされており、どうやら予定の種類により区別されているらしい。


「黒が大会、赤がギャラ有りのファンサービス、青がギャラ無しのファンサービスだ」


何故か持っているレーザーポインターで、Wはカチカチと文字列をなぞる。


「サイン会握手会はナンバーズを持つデュエリストを炙り出すためのものだということはV、お前にもわかるだろう。
これはほぼギャラ無しだ。金を取ると学生が来なくなるかもしれねぇからな。
主催側から幾らか受けとるが微々たるもんだ。
つまり青文字以外の雑誌取材やテレビ出演、大会の賞金で俺は稼いでるってわけだ」

「はぁ…」


なんとなくだが、彼の言いたいことがわかってきた。

しかし学生が来なくなるかもしれないからサイン会はほぼノーギャラって、ナンバーズ集めには割と真面目なんですね、兄様。


「で。なんでオレがこんなに稼がなきゃならねぇか、お前にはわかるか?」

「さぁ……」


がしゃん、とティーカップが音をたてた。

サイドテーブルに乱暴にカップを叩きつけたWが、勢いよく身を乗り出していた。
なんだかものすごい形相だった。



「てめぇらが浪費するからじゃねぇかよ……!!」



本当に、ものすごい形相だった。
日頃からものすごい表情を見せてくれる兄ではあったが、今までみたこともないような顔だった。

笑っているようにも、怒っているようにもみえる。
怒り、憎しみ、悲しみ、諦めなど、様々な感情がそのなかに混在していた。


「例えば、これだ」


Wはティーカップの中身を指差して言った。
紅茶と言えばVもほぼ趣味で毎日買っているものだが、そんなに高い買い物だったのだろうか。


「何処で買ってきた?」


言葉の端々から、言い知れぬ威圧を感じる。
この問いに答えてしまえばきっと何かしら大変なことが起きてしまうような気がしたが、最早Vに選択肢は残されていないらしい。

殺気のようなそれに少し圧倒され息を呑むと、Vはゆっくりと口を開いた。


「…この近くで品質が良いと評判の専門店です。
兄様方にはいつも最高級のものを口にしていただきたいと思っています。
この紅茶はDJ-1という品種のダージリンティーで、ファーストフラッシュ特有の甘く上品な香りでが特徴です。
価格にすれば40gで2500円でしょうか。
次はコーヒーも入れようかと思ったので、ブルーアイズ・マウンテンの注文を済ませたところで―――」


「キャンセルしてこい」


「………え…?」


「キャンセルしてこいって言ったんだよ!ブルーアイズマウンテンは!!
一杯3000円のヤツだろ!?オレでもわかんだよそのくらいは!」


「…いや、でもそれは喫茶店で飲んだときの価格であって自宅で淹れた場合一杯2500円くらいに値段は―――」


「大して下がってねぇんだよ!!お前にはわかんねぇかもしれねぇけどなァウチにそんな贅沢してる余裕はねぇんだよ!!
やめろ!頼む!やめてくれェエ!!!」


最後のはもう、悲痛な叫びでしかなかった。
兄のこんな姿を見るのは初めてだった。

溜め込んでいた何かをこの際に一気に吐き出したのかWは脱力感と共にどさりと腰を落とすと、項垂れるようにクッションに顔を沈めた。


「悪い……こんな話をお前にするのもよくないんだけどな…ウチの家族構成わかるだろ?
お前はまだ十五、トロンは一応子供で兄貴は無職……この家で働き手は俺一人しかいねぇんだよ……
ごめんな…お前は善意で買ってくれてんのにな…
本当は紅茶やコーヒーの額なんて大した負担になってねぇんだよ……

問題は…………

…あいつらなんだよ……」

「…………………」


あいつら。

WでもVでもない、残りの二人。
すなわち、一家を束ねるトロン、そしてX。

自分達の計画の中核を担うのがこの二人であり、決して欠かすことの出来ない存在。

彼らなしの現在は考えられず、きっと彼らがいてくれるからこそVやWは地獄から這い上がることができた。


しかし、Wはおろか、Vでさえも知っている。

実際には彼らが何もしていないことを。


はじめは仕方のないことだと思っていた。
トロンは一応姿を隠している身だし、彼にはXの付き添いが必要だ。
いつかXが言っていたように、今はまだ彼らが動くときではないのだ、と。


しかし生活を続けているとどうだろう。
トロンは一日中アニメの観賞、Xは常にゆったりと本を読んでいるだけだ。

気が向いたら自分やWにちょこちょこと指示を出すだけで、彼ら自身が何かしら活動したことはほとんどない。


一人就労し家計を支えているWにとって彼らの存在が色々な意味でプレッシャーになっていることは、確かに言うまでもないのだろう。


「…お前にもう一つ、見せてやりたいものがある」


ふらりと席を立つと、Wは机の脇に積み重なったファイルの一つを取り出し、その中から大量の紙束を取り出した。
差し出されたそれに目を通すと、


「これは…領収書……!?」


しかも、どれも目を疑うような額だ。数字は5桁は当たり前。稀に6桁のものもある。
宛先はもちろん全てWの名前だ。


「請求書じゃなくて領収書だからタチ悪いんだよ…
これくらい使ったからよろしく、みたいな顔で俺の部屋に置いていきやがる……
あいつら引き出しの鍵勝手に開けて通帳やら現金やら持っていくんだ……」

「しかし多いですね…
有料チャンネルの受信料、DVD、専門書、あっテレビとレコーダーなんかも買ってる…」

「有料チャンネルなんて可愛いもんだろ…トロンは特にDVDの額が半端じゃねぇ…
しかも最悪なことに一回みたアニメは二度と観ねぇんだ、全部HDDに録画してるクセによ」

「でもあの人何十個ものモニターで同時にアニメみてますよね?
何個か過去に観たものを流してもさすがにバレないんじゃないですか?」

「それはもうやったよ……あっさり気づかれたな。
『W、僕は同じ映像は二度と見ないって言ったよね?悪い子だね…子供騙しみたいなことして……』
……この後は思い出したくもねぇ…」


苦虫を噛み潰したような表情を見せて、Wは片手で口元を押さえた。
よほど酷い目に逢わされたらしい。

トロンの消費活動の負担を全て背負いながら逃げ場を塞がれているその状況を考えると、なんだか可哀想になってきた。


「……やはりX兄様にお願いした方が良いのでは?
W兄様だけで対処するには無理がありますし――」

「お願いだァ…!?」


ぴきぴきと血管を浮かせたWの表情が、怒りのそれに変化していった。

どうやらスイッチを押してしまったらしい。


Wは立ち上がり抱いていたクッションを地面に叩きつけると再び何かを吐き出すように、


「――なんでオレが下手(したて)に出なきゃならねぇんだ!
してんだよ!説教なら山程!!
二十歳(ハタチ)にもなってろくに働きもせずだらだら本ばかり読みやがって!少しは社会と俺達に奉仕してみたらどうなんだってなァ!!
そしたらアイツなんて言ってきたと思う!?

『W、お前には昔から言ってきたことだが、デュエリストに必要なのは幅広い教養だ。
対戦相手の心理を読むには、まず彼らを知ることだ。
お前には絶対的にそれが足りていない。
だから兄であるこの私が空き時間を利用しこうして読書と知識の吸収に勤しんでいるというわけだ。
感謝するんだな』

だってよ!
ふざけんじゃねェ!何が空き時間を利用して勤しんでいるだ!!テメェは一日の全てが空き時間だろうがァア!!!」

「おっ…落ち着いてください兄様!二人が起きてしまいますっ!!」

「いいんだよこの際聞かれても!
オレが必死で家計簿つけてる隣で安眠させて堪るか!!
大体あいつのハードカバーに毎月幾ら飛んでると思ってんだ!!
医学書だの美術書だの敢えて一冊数万のモンばっか選んで買いやがって!
大人しく地球惑星科学の教科書でも読んでろ!!800円だから!!
金稼ぐ意欲もねぇ奴に浪費する資格はねぇ!!」

「そっ……そんなことないですよ!X兄様もX兄様なりにきっと頑張ってるんです!!
この前だって株価変動の研究までして株買ってたし……とにかくっ、少しでもW兄様に楽をしてもらおうと―――」


「………………あ゛?」



沈黙が、訪れた。


Wは「あ゛?」の口の形をつくったまま静止していた。
瞬き一つしなかった。

多分、脳細胞だけは活発に動いている。
たった今入った新しい情報を、必死に処理している。

動作を司る部分含む全ての神経を集中させて思考を巡らせているのだ。


「………お前、今何て言った」


ぎこちない口の動きで発せられたその声は、ギリギリVの耳に届くか届かないかくらいの大きさだった。


まずい。


本能的に、そう感じた。
Xをフォローするつもりが、とんでもない地雷を踏んでしまったらしい。

相手の顔を見れば、一目でわかる。


これは、やばい。


「えっと……その…X兄様もX兄様なりに…頑張ってると…思うんです……」

「…その後は?」

「…えぇーっと……」

「何て言ったって聞いてんだよ」

「……………」


無理だ。

相手はWだ。
一度口を滑らせたことを誤魔化すなんて、出来るはずがない。

ごめんなさい、X兄様。

VはPCに向かう長男の姿を思い出す。
クリックしながら意気揚々と語るあの眼が、今も忘れられないままでいる。


『私の予測が正しければ、この企業は必ずアガる。みていろ、V。
じきにWの目の前に大金を叩きつけてやる』


『くっ…下がったか……まぁいい、勝負にイレギュラーは付き物。
あまり思い通りにいってもつまらないからな』


『………倒産か………救済処置は…ないか………。
V、このことはWには決して言わないように』



――兄様、ごめんなさい――!!


「あの…………」


恐る恐る、口を開いた。
もう後戻りはできない。

Wがどんな反応をみせるか不安だったが、いずれはバレることだ。
Xには悪いが、ここは正直に言うしかない。


「…秘密にするようにって…言われたんですけど……X兄様、買ってたんです…株…たくさん……
その会社、倒産しちゃったみたいなんですけど…………」





「……………」






「………あの……」





「……………………」






「……………兄様?」








「…………ふぅん………………」







Wはゆっくりと動き出した。

なんだか同じ台詞を聞いたばかりのような気がしなくもないが、先ほどのそれとは比べ物にならなかった。
言葉では説明できないが、とにかく闇のようなものを秘めていた。

Vは恐ろしさのあまり彼の顔を見ることができなかった。


株ね……株、株……それで…倒産しちゃったんだぁ…そっか…倒産ね……0円ね……そう言えば俺、通帳どうしたかな…長期貯蓄の口座、開いてなかったんだよな……どうしたかなぁ…………


ぶつぶつと独り言を言いながらゆらりとデスクにもたれかかると、Wはそのまま引き出しの鍵を開け中から預金通帳を取り出して、
そして開いた。



「………………」



記録が、あった。

一ヶ月ほど前に、大量に金を引き出した記録が。

通帳を手にしたまま固まったWにそろそろと近付くと、Vも一緒になってその中身を覗き込んだ。



お引き出し額

-¥5,000,000




残高

¥478





「………………」





「…………………」





「「…………………………………」」






ぐしゃり、と何かを握りつぶす音がした。
通帳を握りしめたWは、口角を痙攣させて、やがて低い声で呟いた。



「……………殺す」


「……兄、様………?」



「―――殺ス!!ぜってぇ殺す!!!!俺の貯蓄を食い潰しやがって!!もう我慢ならねぇ!!殺す!!ブチ殺す!!!」

「落ち着いて!!落ち着いてください兄様!!!」

「放せV!!奴がいる限りオレに安息の日は訪れねぇ!!
この場で消すしかねぇんだァァァア!!!」



じたばた暴れるWをなんとか抑えながら、Vは密かにこう思った。


――478円って、大丈夫なのかなぁ…――



W。

デュエルリーグ極東エリアのチャンピオン兼、デュエルで相手を好んで痛め付けるサディスト。

しかしそのもう一つの顔は、家計を支える苦労人であり一家の大黒柱。

浪費癖や大量出費の闇と闘う、はたらく17歳なのであった。


>>atogaki



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