「ずっと、嘘を吐いていました」

思えばあの夜も、月がとても綺麗だった。

「僕の本当の名前は真月零じゃありません。僕を迎えに来てくれる人なんて何処にもいません。最初から貴方を利用することが目的でした。貴方がどんなに僕に優しくしてくれても、好きだと言ってくれても、僕の心は少しも動いたりはしませんでした。
僕は貴方を、愛してなんかいませんでした」

狭いベッドの上で、ぎゅうと僕の服を掴みながら、それでいて顔だけは僕の胸に押し当てて目を合わせようともしないまま、零は平坦な声でそう言った。
その言葉の意味がまるで理解できなくて、どうして、と僕は訊き返す。どうかそれが嘘であって欲しいと願いながら。
すると零はふっと掌から力を抜いて、ほんの少しだけ距離をとると今度はまっすぐに僕の方を見た。
どんな愚直な人間でもそれが偽物だとすぐにわかってしまうような、不器用なほどにあからさまな作り笑いを顔に貼り付けながら。
聞き間違えなど有り得ないくらい、しっかりた口調で言葉を紡ぐ。

「僕は最初から、貴方を愛していませんでした」

小さな身体が離れて、次いでベッドの軋む音がした。そうして彼は、僕の元から去っていく。

さようなら、大介さん。

それは信じられないくらい、唐突すぎる別れだった。





「んうっ……ふ、……はっ…」

――それなのにどうして、彼は今も僕の腕の中にいるのだろう。

塞いでいた唇を解放してやると、零は熱い息を吐きながら潤んだ目で此方を見上げた。
熱を持ったような唇も瞳に影を落とす前髪も、彼が『真月零』であった頃とは何一つ変わらない筈なのに、僕は以前よりずっと強く彼を抱いてしまう自分の腕に気付かずにはいられなかった。
一度抱き締めるとそれが最後になってしまうような気がして、手放すことが怖くなる。自覚していた以上にどうやら僕はこの存在に依存してしまっていたらしい。
相手はこの気持ちに応える気がないことくらいわかっているのに、情けない程この腕は必死になっていた。
けれどそんな僕を、零は決して拒んだりはしなかった。
口では愛していないとはっきりとそう言ったにも関わらず、こうして満月の夜に僕の元を訪れては触れ合うことを求めてくる。
態度は全てあの告白とは裏腹だ。
足を絡ませ、肌を密着させ、今までよりむしろ余裕がないような様子で、縋るように僕の名を呼ぶ。

「だい、すけ……っ、大介、さん」

吐息を含むその声に、以前のような甘さはない。媚びるようでも誘うようでもない、無意識に掠れた涙声。
不器用に薄い喉を震わせて、彼は懇願するようにもう一度キスしてくださいと僕に言う。
断る理由は見つからなかった。
僕は零にいっそう顔を近づけると、震えを押さえるようにして唇と唇を重ね合わせた。
舌を差し出すと零は僅かに口を開いて、すんなりとそれを受け入れる。
粘膜が触れあい、口内で響く小さな水音。ぬらつく感触。
唇が濡れ、零が「んぅ、」と苦しそうな声を漏らす。その繰り返し。
熱に浮かされ汗ばんだ背中に上から下へと指を滑らせると、ぴくりと感じたように小さな身体が跳ねる。
その手を更に奥へと伸ばそうとしたとき、涙に滲んだ紫の瞳が、再び僕を見つめた。

「…いいんですか……」

真夜中にだけ会うようになってから、ずっと彼はそうだった。
言葉を交わさなければ不安で仕方ないらしい。
零は必ず、僕の気持ちを確かめたがる。

「……大介、さん。僕が貴方を愛していなくても、貴方は僕を受け入れてくれますか?……僕は貴方の、恋人のままでいられますか?」

酷く勝手な物言いだと、誰かが聞いたら呆れるだろう。
それでも僕は首を縦に振った。
いつでも此処に帰っておいでと、彼の瞼に今度は小さな口付けを落とす。
零は唇をキュッと結び俯くと、額を僕の胸に押し付けてその身を委ねた。
彼が一体どんな顔をしているのか、僕には想像もつかなかった。



零の身体が微かに震えていることには、部屋に入った時から気付いていた。
彼が僕の元を訪れるのはきっと、降り積もった不安を一人で処理しきれなくなったときだ。
見えない何かに恐怖しているというよりは、自分でナイフを持ちながらその切っ先に怯えている。
僕は嘘と秘密で固められた彼の本当の姿を知らないけれど、零をこうして抱き締めてあげられるのは自分だけなんだという自覚があった。
だから彼は、僕の元を訪れる。
愛がなくても、僕が信じていた『真月零』が嘘の塊だったとしても、彼が今此処にいるのならばそれでよかったのだ。


朝になると、零の姿はまるで幻だったかのように消えている。
瞼の裏に焼き付いている面影ではなく汚れたままのシーツだけが、唯一昨晩のことは夢ではなかったのだと教えてくれた。
嘘吐きの彼は僕に約束なんてしない。
この別れは永遠のものかもしれないし、もしかしたら次の満月にはまた零が僕の元に戻ってきてくれるかもしれない。
次に必要とされたとき、僕という存在に再び価値を見出だしたときに、彼はまたこの部屋を訪れることになるのだろう。

『真月零』だった誰かが抱える秘密の行方も、不安を抱いたまま続くこの関係の終わりも、僕はまだ、知らないままだ。


>>atogaki



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