(ほれ薬)




定例会議が終わって執務室に戻ってみると、そこには松本の姿はなく、代わりに市丸が突っ立って居た。


「何やってんだ?市丸」

「へ?ああ、日番谷はん。丁度今来たとこなんや」


手に持っていた書類をぴらぴらと振って、やって来た旨を伝える市丸。
ああそうかと頷き、なんなら茶でもどうだと中へと促す。時計はまだ朝の十時を指している。

中へ入ると市丸は自分が茶を淹れると言って、奥の給湯室に消えていった。


市丸が十番隊に来ることはしばしばだが、かつてこんなに気が効くことをしたことがあっただろうか…。


毎回ただぐうたら時間を過ごしているだけで、茶なんて淹れようともしなかったし、むしろ俺に淹れさせていたように思う。
つーかだいたい副官が淹れれば済む事なんだが。

とにかくまったく働かない市丸が、今日だけは何故か自主的だ。それはもう、気味が悪いほどに。



…………怪しい。



そう思うのは自然なことで。だけど確信は何もない。

まぁただの気紛れだろう、そう自分に言い聞かせ、おとなしく市丸の持って来た書類に目を通していた。


すらすらと馴染みの筆を滑らせていくと、全部が全部大したことのないものだった。
わざわざ隊長格が持ってこなくとも、そこらの席官に頼めば済む程度だ。





あれから数分が経ったが、市丸は未だ給湯室から出てこない。茶を淹れるだけにしては、いくらなんでも遅すぎる…。
茶葉の場所がわかんねえのか…?なんて思ったりして、俺は立ち上がって市丸のもとへ向かった。



給湯室では二つの湯飲みを前に、難しい顔をしている市丸がいた。声を掛けようとしたその瞬間、懐から取り出されたびんを見て、動きを止めざるを得なかった。


なんだアレ……――――。


ごく自然な疑問を浮かべながら俺は静かにその後の展開を眺めていた。
無意識のうちに霊圧を消し、気付かれないように息を詰める。

市丸の手中の瓶には『ほれほれ〜る』と。何とも間抜けな商品名が書かれている。怪しいその薬のふたをきゅぽんと開け、一滴、湯飲みに垂らした。


何の、変化もない。
ここから見る限りでは湯飲みの中身に変化はないし、瓶にももちろん。

落とされたその一滴はじわーと広がり、綺麗に茶に溶け込んでしまったようだ。見た目はもう一つの湯飲みと全く変わらない。


「日番谷はん覚悟やで…」



笑みを浮かべつぶやく市丸のその様子を黙って眺めていた俺。だが、流石に身の危険を感じてきた。



やっぱり俺に飲ませるため、なんだよな……。


当たり前だが、誰でも正体不明の薬品入りの茶なんて飲みたくないと思う。
しかもあの市丸が持っていた薬だ。怪しいやつに決まってるだろ…。


そんなわけで、市丸に見つからないように元の席に戻った俺は、どうやったら飲まずに済むかに思考を注いでいた。


「日番谷は〜ん、おまたせ!ごめんな、ちょお手間取ってもうた」

「ああ、構わねえよ」

「おおきに」


俺が決定的瞬間を見てしまったと知らない市丸は、呑気に俺の隣りに腰掛ける。そして例の湯飲みを差し出してきた。

俺はそれに礼を言い、一口啜るフリ。においは普通の茶と変わらない。じーっと注がれる市丸の視線が痛い。


「ああ市丸、さっきの書類訂正があったぞ」

「え?ほんま?」


薬の効果を確かめようと期待の籠った表情を向ける市丸に、先ほどあいつが持ってきた書類を突き返す。

俺に効果が現れないのに戸惑いながらも、しっかり書類には目を通す。


(いまだ………!!)


市丸が書類に目を落としている隙に、俺はこっそり自分の前にある湯飲みと市丸の前にあるそれを交換した。見た目は全く同じで、たぶん市丸でも気付かないだろう…。


「ああ、間違いここやね?」

「ん、字が違う」

「ほな訂正…っと」



右手で筆を動かしながら左手は湯飲みへ。ごくりと、市丸の喉が動いた。



「隊ちょ〜〜っ只今戻りました!」

「松本!今までどこ行ってやがった!」

「えへ、」


俺が市丸の喉の動きを目に映したと同時、松本が部屋に入ってきた。そして市丸に目を向けあからさまに顔をしかめた。


「あんた来てたの?」

「好きや乱菊〜〜〜!!」






は?



……………思わず目を見開く。
市丸が、とんでもない行動に出たからだ。


市丸は茶を飲んでいた処から突如立ち上がり、松本に駆け寄った。そこまでは何ら問題は無いのだが…。あろうことか松本に抱きついたのだ、その胸間に顔を埋める様にして………。





胸が、チクリとした。






「…………きゃぁぁぁあ!!!!」

「ま、松も……市丸っ」


大きな叫び声を発して、思い切り振り上げた腕がしなる。次の瞬間には憐れ、市丸の左頬には立派なもみじが陣取っていた。


「ギンあんたねえっ!隊長以外の男に貸す胸なんて無いんだから!」

「乱菊のいけず〜。こない好きやのに他の男の話なんかせんといてやぁ」


好き…
市丸が松本を……好き、


何だか解らないけど、胸がすごくチクチクする…



何なんだ…?
この気持ち…、




そんな間にも市丸は、松本にすりすりとすり寄っている。対する松本は、それを必死で引きはがそうと本気で嫌がっている様子。
先ほどから「気持ち悪い」を連呼している。




やっぱり市丸が持っていたあれは、惚れ薬だったんだろうか……。


今の市丸の様子を見れば一目瞭然だけど。
あの市丸が松本に惚れたなんて信じられない、というか信じたくない…。



飲ませるんじゃ、……無かったな。




一人考えに耽っていると、先ほどよりもエスカレートした市丸が、松本に顔を近付けているのが目に映った。更にはこんな声まで…。


「乱菊っ!ちゅーしよ?」

「ちょっと気持ち悪いのよあんた!離れなさい!」

「ええやん、減るもんや無いし」

「減るわよ!確実に私の中の何かが!」



「…………っダメだ!!!」


突然聞こえた叫び声が、自分のものだと気付くのにそう時間はかからなかった。

叫んだ瞬間に体が動いていて…。俺は気が付いたら二人の間に立ちはだかるように立っていた。


もちろん市丸は松本にキスをしようと顔を近付けてたわけで…。
その間に入った俺は、自然に市丸のキスを受け入れてしまうことになる。………額で。

「日番谷はん…?」

「…っ!!」


額と言えど、キスはキス。
やんわり残る唇の感触に頬がかぁっと熱くなる。

自分がなぜこんなことをしたのか、ということに困惑し、市丸が松本とキスしなくて良かったということに安堵して。
頭の中はいろんな感情でぐるぐる渦巻いていた。


「隊長?…」

「こ、これは…っ!!」


いくら弁解しても無駄だろうこの状況。見るからに俺の行動は不自然で…。
松本に疑われるのも無理も無い。


「もしかしてギンの事、」

「だあああっ言うな!!俺だって解んねえんだよ!」

「隊長…」

「好きかどうかはわかんねえけど、市丸が松本に好きって言うの聞いたら胸がなんかきゅぅぅ…って苦しかったし、俺、市丸が松本にキスなんて絶対嫌で…」


そう早口でまくし立てる俺の頭の中はぐちゃぐちゃで、自分が何を言っているのかもわかっていない状態だった。

痛いほどに松本と市丸の視線を感じて、語尾は徐々に小さくなっていく。


「だ、だから俺は…んぅッ!」


言葉の途中で市丸に口をふさがれる。驚いて目は見開いたまま。
すぐ近くに市丸のきれいな肌やら睫毛が見えて、かぁぁっと一気に顔に熱が集まった。


「日番谷はん、ボクは日番谷はんが好きや。今まで薬のせいで乱菊が好きやったけど、もう何でか分からんくらい。日番谷はん以外にキスなんかしとうない」




くちびるが離れてから覗き込むようにして俺を見つめる緋色の細い瞳。
その目は真剣そのもので、俺は視線を逸らす事が出来なかった。


「な、日番谷はん。返事聞かせて?」

「おっ、俺……」


人生で一度も告白なんて受けたことがないから、どうしていいのか分からない。
ただただ視線をおよがせつつ、うろたえるしかなかった。


「まだ付き合ってとかは言わんから、君の正直な気持ち聞かせてほしい」

「市丸…」


優しい瞳と声にゆっくり緊張はときほぐれていく。
すぅっと息を吸うと、自分自身気がついたときには、唇は無意識に動いていた。


「俺も、たぶん好きだ…」

「………日番谷はんっ!!」




そのときの市丸の嬉しそうな顔ったらない。糸目は完全につぶれて頬はうっすら桃色に染まっていて。すごく綺麗な心からの笑顔。


ああ、これって俺に向けられた笑顔なんだよな…。


自覚してからまだ数分しか経っていないのに、市丸のことをすごく恋しく感じる。すごく愛おしく感じる。


気付いたらつられるように、俺も笑顔だった。





END


雪さぁーん!!お待たせしました!10000踏んで、リクエスト下さってありがとうございました!
お気に召して頂けたら嬉しいです。

ちなみにリクエスト内容は「市丸がヒツに惚れ薬を飲ませようとするが逆に飲ませられ、たまたまそこにいた松本に惚れた市丸を目のあたりにしたヒツがヤキモチを妬く」でした!
詳しくいただいたのに、遅くかかってしまって申し訳ないですーっm(_ _)m


2009.7.10
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