夏季休暇中に突如として入り込む登校日。
余裕のある生徒は休暇明けの全登校日に提出すればいい宿題まで、全部まとめて持って来たりして。
当然私は、本日が期日の宿題をギリギリ昨日終わらせた徹夜組である。
担任の先生も、わざわざ長期の休みの間に学校に来るなんて嫌なんだろう、顔が語ってる。
かわいそうに。
同じです。
「…あー…暑い…」
とにかくね、やめたほうがいいと思うの。
炎天下のこんな中、生徒を帰らせる登校日なんて。
ジリジリと照らす真上の太陽が憎い。
地面からはなんかむわむわと蒸気が出てる気がする。
制服も夏服とか言ったって、ちっとも涼しくないし。
兵隊さんの制服を模したらしい制服は、襟が厚すぎる作りになっている。
せめて夏場くらい体操服で登下校させてよ先生。
その方が体を覆う生地の面積が少なくて済むのに。
ただひたすらに、冬の風が恋しく、不満しか浮かんでこない脳内では、あとに残った宿題の存在はなかった。
「(あ、人が倒れてる)」
まぁこの暑さじゃな。
今朝の気象予報士も熱射病に気をつけてと言ってたし。
熱射病?
熱中症か。
とりあえず通り道にいる以上見過ごす訳にもいかないから、
「あのー…、大丈夫です、か、」
目を見開く。
踏み出した足が止まった。
「…………」
翼。
倒れているその人の背中に生えた真白い二つの羽。
「て…天使?」
言いながら、確かめるために自分の頬をつねる。
痛い。
頬を掴んで引っ張ったまま周囲を見渡す。
いつも帰ってる道だ。
異国の世界とかに飛んでない。
……とするとこの人は本当に?
夏虫の鳴き声が頭にわんわん響くなか、見上げた空は雲一つない快晴で。
きっと空の彼方には。
大気圏までいくまでには、天国とやらがあるのだろう。
そしてこの人はそこか落ちてきたのだろう。
奇しくも私の前に。
そう頭のなかで四分の一ぐらい整理して納得して。
止めた足を動かす。
「…あのー」
近づいてわかる。
この人、女性は睫毛が長いから美人さんだろう。
青を基調とした服は何やら透けていて神秘的に見える。
きれいな顔に傷があるのは、落ちたときの衝撃かな。
見れば剥き出しの腕や脚のあちこちに裂傷や擦り傷があった。
白い肌に赤いそれは痛々しく、同じ女として残ったらかわいそうだと思う。
しかし今手に持っているのといえば。
「えっとー…(確かあったはずだ。絆創膏、絆創膏)」
しゃがんで額から流れる汗をタオルで拭いつつ、スクールバッグの中をあさる。
教科書とノートに埋もれてたポーチを引っ張り出す。
確か、ヘアゴムとか折り畳みブラシとかと一緒に絆創膏は入ってたはずだ。
いつ入れたかわからない外見はしわくちゃの束になってる絆創膏を取り出す。
一枚を切り分けて、ぺりっと上の薄い紙を剥がして中の茶色いそれを取り出し、準備万端と構えたところで
「あれっ?」
停止した。
翼が間白く見えたのは光に包まれていたせいか。
傷はみるみるうちに薄く消えていく。
血は肌に溶けるように、裂けた皮膚は繋ぎ合わさるように塞がっていった。
なにこれ、魔法?
意識失ってるのに使えるの?
「…………ん……」
呆然と突っ立ってる間に、女性の指が動き。
口が動き。
睫毛が震えたあとで、閉じられていた目が開く。
恋する女の子の瞳のような、可愛いピンク色をしている。
いいな。
私は髪色同じく真っ黒だから羨ましい。
手をついて体を起こすとさらりと流れた彼女の髪に、私も髪をのばそうと決めた。
虚ろに世界を映していた目が私を捉え、小さく見開かれたあとで、細まる。
弧を描く唇。
微笑んだ様は、背中の翼の相乗効果もありまさしく天使だった。
この場合、女神でも有だろう。
「ありがとう。あなたが助けてくれたのね」
「えっ? あ、やー……。い、い…え…」
歯切れが悪くなったのは、美女を前にして緊張したせいだということで。
ぎこちない愛想笑いを浮かべながら、ガーゼ部分を晒したままの絆創膏を手の甲に貼り付けた。
いや、ほら、そのまま棄てるのもったいないじゃない?
頭上と左右と。
きょろきょろと女性は周囲を見回したあとで、小さく呟いた。
聞き間違えじゃなければ地上界と言ってたから、やっぱり天上の人なのだろう。
つ、と頬から顎下に垂れた汗を拭う。
しかし、暑い。
夏虫の声も相俟って暑い。
女性は背中に翼があるのに暑くないのか(ばたばた動かせばむしろ涼しいのかな? 生え際なんか蒸れそうだけど)、私を見てきょとんとした顔をしていたが、ぽんっ、と片方をグーにして手のひらにあてると、
「そっか。今は夏なのね」
どこか納得した風にそう言った。
「そうなんです。終わると一気に冬になるんですが」
山の天気のように、季節は気まぐれだ。
魔法使いでもいれば調整してもらえるんだろうけど、町長さんは魔法が大嫌いだからな……。
「知ってるわ。私もラリマパリの出身だもの」
苦笑しながら言った天使さんの口からまさかこの町の名前が出るとは思わず、驚いた。
というか、ここの出身…と言ったか?
んん?
「(生前のことを言ってるのかな…)」
「そうだわ!」
やにわに、両手のひらをぱちんと合わせると、彼女は私の手をとり。
「せっかくだから、涼みに行きましょうか。少し寄り道になるけど、いいわよね?」
可愛く片目を閉じた。
背中の翼が光り煌めき、周囲の景色がぐらりと歪む。
怖くて目を閉じたら、ひんやりとしたものが腕や足、肌に触れ体の熱を奪っていき。
ごぼごぼと泡が弾ける音が耳のすぐそばでした。
女性の手が離れたのもあり、おそるおそる目を開ける。
「!」
そこに広がるのはただひたすらに青い世界だった。
上の方は明るく、下につれて濃くなる青さは闇のよう。
大小さまざまな魚たちが泳ぎ、岩肌に生える鮮やかな海草は花のようで。
上を見上げると揺れる水壁の向こうに流れる雲があった。
なんて透明なんだろう。
手を伸ばせば届きそうだ。
そう思って伸ばしかけると目の前を一匹の魚が通りすぎ。
指先に鱗が触れた。
「どう? 涼しくなった?」
尋ねる女性の方を見れば、青い服が朝日を浴びた水面のようにキラキラと輝いていた。
地上より冷たくて心地いい空気。
潤いのヴェールに包まれる肌。
「はいっ。ありがとうございます」
コクコクと頷きながら、ふと思う。
胸に手をあて、いつもよりゆっくりと呼吸してみる。
あれ、そういえば、私。
今、普通に話せてる?
水中で息が出来てる?
「…なんで」
両手を開いたり閉じたりしていると、青い光が視界の中を横切った。
「ウンディーネの力よ。彼女に頼んだの」
「ウンディーネ…」
ちらっと授業で理科の先生が話してたことがある。
四大元素のうちの1つ、水の精霊だ。
青い光は天使さんの周囲を忙しなく飛び回り、私の目の前に来た。
「わっ」
至近距離にびっくりして顔を後ろに引くと、人間そっくりの姿をした精霊が、片手を腰にあて、もう片方の人差し指を私に向けながら唇を動かした。
何か言っている、……しかし残念ながら私には理解できない。
でも表情から苛々しているのは判る。
「気にしないで。悪い子じゃないから。人間相手は久しぶりだから緊張しているのよ」
「緊張、ねぇ……」
ぶんぶんとハチみたいに飛び回る青い光。
そうなのかなぁ?
首を傾げる私の手をとって天使さんは言った。
「もっと深く行きましょ」

海中は思ったよりも濃い。
図鑑で見る以上に鮮やかな生き物がたくさんいて、地上以上に騒がしい世界は楽しい。
太陽の光が射し込んで輝くように見えた、泡たち。
ゆらゆら揺れるイソギンチャク。
そこに隠れる魚の親子。
青く透き通るウンディーネの体と天使さんの服が綺麗で羨ましく見えたりして。
「ほら、見て」
珊瑚の丘の岩肌の上。
天使さんが見せてきた薄桃色の貝殻の中には同じくピンク色の真珠があった。
「可愛い!」
キラキラとした顔で見ると優しく微笑むから、思わず欲しい! と言いそうになった。


[*前] | 本棚へ | [次#]

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -