家に帰っても体に残る丸井くんの手の生々しさ、冷たさ、厭らしさ。糸をひく恐怖感に唇を噛んだ。
「絶対泣かない。我慢だよ。」
好きになるはずのない丸井くんのことを思いながら私はベッドで目を閉じた。
次の日の学校のお昼休み。丸井くんに一緒に屋上でお弁当を食べないかと誘われた。というか断ったらなにされるか分からないから半ば強制的だった。頷くと、教室だったせいか犬みたいな笑顔をむけて喜んでいた。本当はそんなこと思ってもいないくせに。私は重い足を引きずって屋上に続く扉の前で丸井くんを待った。
屋上は見事に二人きり。閉鎖されている屋上の合鍵だなんて持っているのは仁王くんか丸井くんだけだから、当然といえば当然だ。
「風気持ちいいよな。」
フェンスに持たれて丸井くんはうーんと伸びる。風が丸井くんの赤い髪を揺らす。私は彼を見ようとして、春の日差しに目を細めた。
私は適当に地面に座りお弁当を広げた。能天気にも自分で作ったお弁当は彩り豊かで今の気分とは正反対。苦手なプチトマトを最初に食べてしまおうと口にいれると、独特の酸味をもった汁が口に広がった。
「お前の玉子焼き美味そうじゃん。いただきっ!」
ひょい、と薄黄色の玉子焼きが丸井くんの口に入った。私は呆然としていたけどすぐ丸井くんは笑った。
「意外と美味いじゃん。」
その一言がどれだけ嬉しかったか。罵倒とか、そんな言葉しか聞いていなかった気がしたから。嬉しくて嬉しくて。
「お前毎日俺の昼作ってこい。いいな?」
「うん!」
大きく頷くと、丸井くんは驚いたように目を丸くした。多分嫌がるって思ったのだろう。でも、罵られている人に喜ばれることは嬉しいから。安心するから。毎日お弁当作るだなんて造作もない。
「お前変わってる。変人。」
丸井くんは溜め息をついて自分のお弁当を広げながら呟いた。変人なのは丸井くんも一緒だ。
「お前さ、俺のこと怖くないわけ?」
「怖いに決まってるじゃん。」
ポテトサラダを口にいれて言った。嘘なんてついてもバレるだろうし、もともとつくつもりもない。丸井くんの苛立ったときの細まる目や、挑発的な声音が特に苦手だ。
「ふーん、そうなんだ。」
そう、この声。いかにもなにか考えているようなこんな声が苦手だ。
「もっと怖がれよ。」
不意に首に噛みつかれた。痛みが首に走る。
「っ……。やめて!」
声をあげると丸井くんは意外にもすぐに私から離れた。痛みが残る首筋をおさえて睨むと丸井くんは嘲笑った。
「な?その顔、俺好きなんだよ。」
さっきの嬉しい気持ちが台無しだ。痛いのとつらいのが混ざりあった気持ちになる。
「その顔見てるとお前を従わせたくなるしな。」
身長差からもあるけれど、冷ややかな目で見下されて冷や汗を流す。どこまでも見透かしてしまいそうな目に覗きこまれて息が止まる錯覚に陥った。
「もうやだ!最低っ!」
私はまだおかずが半分ぐらい残ったお弁当の蓋を閉めて立ち上がった。これ以上ここにいたくなかった。
「へー、逃げるの?ゲームはどうなわけ?」
「ルール上に逃げちゃいけないなんて書いてなかった。」
「確かにな。じゃあ、明日からそのルール追加な。」
横暴だ。でも今日からじゃないみたいだから、今は教室に戻ろう。振り返ると丸井くんは平然とお弁当を食べていた。こういう余裕が本当に腹立たしい。
「少しの我慢…。」
夏休みがあけるまで。私は自分に言い聞かせるように呟くと屋上から出た。
20120526