それから五日後、わたしは学院に行くことになった。
偽造された身分証自体は伯爵の言っていた通り、三日程度で準備され、手渡されていた。
地方から来た下級貴族で両親は既に他界。その死を経験し、医学分野に進みたいと決心して王都に出て来た孝行息子という設定である。ちなみに年齢は十四歳で三歳ほどサバを読んでいるが外見年齢を考えての配慮だそうだ。
…余計なお世話だっての。
ついでに服もその間に用意した。伯爵の意見を大いに参考にさせてもらい、設定を踏まえてワイシャツはそのままに、普段よりもやや質を落としたベストとズボン。ちなみにズボンは足元まであるもので下に履く厚底のブーツを誤魔化すために少々裾は長めである。
コートは膝丈。全部シンプルにして落ち着いた大人っぽさと品の良い貴族さを醸し出させる。
あと髪も結構弄り試行錯誤して短く見える方法を探してみた。
前髪を残して側頭部分を後方へ編み込み、高い位置で一つに纏め、そこから残りの髪を強めに巻いて後ろで少しだけ広げて遊ばせる。正面から見れば巻いた髪は肩より少し長いかな、という程度に見える。横から見ると編み込んだ部分が見えるけれど多分問題はないだろう。
この世界のメイク道具一式も購入してアイラインや鼻の輪郭も微妙に手を加え、目元にワザと印象的な偽の泣き黒子(ぼくろ)もつけた。
キースを待ちながら美しく磨かれた玄関のホールの鏡で服装を確認していたわたしの髪に触れ、伯爵は何やら感心した様子だった。
「編み込んだのか。」
「目立ちますか?」
「いや、黒髪だからかそんなに目立たない。編み込みも巻き髪も逆にサッパリとして上品に見える…それに顔立ちも普段とは少し違うように見えるな。器用なものだ。」
「お褒めに預かり光栄です。」
気になるのか伯爵は巻いた髪を持ち上げてみたり編み込みを覗き込んだりして、勿論簡単には崩れないように留めているがあんまり引っ張ったりされると髪が解れてしまう。
苦笑すればそれに気付いたのか伯爵の手が引っ込んだ。
「伯爵も今度編み込んでみますか?」
そんなに長さがないから沢山は無理だろうが、サイドをほんの少し編むくらいなら出来るかもしれない。銀灰色だから編み込んだら光を反射させて光沢が綺麗だろうな。
「私は要らん。そもそも髪が長くなくては編み込みなど出来ないだろう?」
「まぁ、確かにそうですね。」
いっそ女の子みたいな編み込みとかどうだろう?ジッと頭を見つめていたら伯爵は眉を顰めてわたしから一歩引いた。相変らず自分に対する悪意の勘だけは鋭いことで。…わたしの場合は悪戯だけど。
チョイチョイ編み込んだ髪を整えているとノッカーが鳴る。
玄関扉を開ければキースが立っており、わたしを見ると一度キョトンとし、数秒後に驚いた顔で目を瞬かせた。
それから矯(た)めつ眇(すが)めつして囃すように口笛を吹く。
「一瞬誰かと思ったよセナ。…へぇ、編み込みかぁ。洒落てていいなぁ、それ。もう少し髪伸ばして俺もやろうかな。」
キースはわりとセンスが現代の若者に近い節がある。今回の編み込みも彼には物珍しい半面、お洒落に見えるのだと思う。
羨ましげに頭を見つめてくるキースに今度編み方を教えると言えば嬉しそうに笑った。
甘いマスクだしサイドコーンロウなんて似合うんじゃなかろうか?貴族だけあって男性でも髪の手入れをしているのでキースの髪を弄るのも楽しそうだ。
ちょっとした楽しみが増えて喜んでいると伯爵の呆れた声が横から飛んでくる。
「お前達は本当に仲が良いな。」
「友人ですからね。さて、それでは行って参ります。」
「あぁ、行って来い。あまり遅くなるなよ。」
「はい。」
見送りをしてくれる伯爵に頷いてリディングストン家の馬車に乗り、屋敷を後にする。
ガラガラと音を立てて走る馬車の中でキースが「相変らず伯爵ってセナに過保護だよなぁ。」と苦笑した。
わたしもそう思う。しかし悪い気はしないので笑って流しておいた。
コートの内側から身分証を取り出して設定の最終確認をする。両親が他界し、それ故に医学方面に興味を持ち、医師になることを将来の夢とした地方出の下級貴族。
…よし、今からわたしは下級貴族のセナ=ヴァレンシア。ヴァレンシアは偽の家名だ。
誰に頼んだのかは知らないが随分とよく出来た偽造証の中身を頭の中へ再度叩き込む。
誕生日も住所も地位も何もかもがデタラメだからこそ、一度でもヘマをしたら偽造がバレてしまう。揺れる馬車の中で半ば暗示の如く偽名を心の中で復唱し続けた。
ゆっくり速度が落ち、最後に軽く揺れて馬車が止まる。
開けられた扉をくぐれば見覚えのある学院だった。
「よりによってココか…。」
以前伯爵と変装して訪れた学院である。相変らず馬鹿でかい建物を一度見上げ、馬車に振り返る。
「ありがとう、キース。」
窓から顔を出していたキースに感謝するとニッと笑みを見せて手を振った。
すぐに窓にカーテンが引かれて馬車は通りの向こうへ走り去ってしまう。それが見えなくなるまで見送って、わたしは学院に足を踏み入れる。
門で声をかけられるかと思ったが門番はチラリとこちらを見ただけで何も言わなかった。
潜入するわたしが言う事ではないだろうけれど警備が不十分というか、こんな適当なセキュリティで良いのだろうか?前回訪れた教授の研究室を思い出す限りでは危険な薬品なども保管されているだろうに。
盗まれてそれが使われた日には目も当てられない。
まぁ、警備云々はわたしの知ったことじゃないか。
整えられた石畳を踏み締めつつ、まずは建物の周囲をグルリと見て回る。
外と区分するための壁際には木々が植えられて花壇も設置されていた。
噴水もあり、中庭のような場所もあり、なかなかに費用がかかっていそうな施設だ。
建物の裏側に回ると鼻腔を不快な臭いが抜けていく。気乗りしないまま足を進めた先には、学院とは打って変わってボロボロのレンガ造りの小さな建物があった。
そこから臭いは漂っている。
口と鼻を手で押さえて近付いて行くと建物には数人の人影があり、赤く染まった麻袋か何かを運んでいた。
一様にその表情は顰められており、大きな台車の箱から取り出してはレンガ造りの建物内へ袋を移動させている。
「こんにちは。」
声をかけると人々が振り返る。まだ全員若い。
恐らく院生だろうと見当をつけつつ歩み寄る。
「何か用か?」
「院内を見学させてもらっているんですが、臭いが気になってしまって……何をしているんですか?」
「……解剖された検体の焼却だよ。」