歩き出したクロードに刑事と数人の警察官がついて行く。
下水と街の地図を合わせて迷いなく歩いて行った先にあるのは古びた集合住宅である。
確か元々は宿か何かだったのを、家主が変わるのを機に改築したのだと刑事が話しているのを聞きつつクロードはその建物を見上げた。
やや古びているが傷みの少ないそこは他よりもそれなりに綺麗だった。
そうして玄関付近を掃除していた老婆に声をかける。そうそうお目にかからない若い貴族の男と屈強そうな男、それから数人の警察という不思議な組み合わせに酷く驚いた様子だった。
「あの、うちに何か御用でしょうか…?」
あんまり怖々と聞いてくるものだからか刑事が噴出した。
「すまんな、ばあさん。ある事件のことでちょっと…中に入らせてもらっても構わないかい?」
「え、えぇ。それは構いませんけど…。」
「何、ばあさんに迷惑はかけないようにするさ。」
熊のような図体だが人の良さそうな笑みを浮べる刑事に老婆は困ったような顔をしつつも、少し落ち着いたのか手に持っていた掃除道具を壁に立てかけると玄関扉を開けて中へ入れてくれた。
流石何年も刑事をしているだけある。感心しながら刑事の後に続いてクロードも中へ入った。
中もわりとこざっぱりとしており老婆が毎日掃除しているのか綺麗だった。
建物内に入ると水の音が聞こえて来る。それも断続的に、だ。老婆が顔を上げて眉を下げる。
「あらあら、まったく困ったわねぇ。またかしら?」
「また、とは?」
老婆の溜め息混じりの言葉にクロードが問い返す。
頬に手を当てて老婆が振り返った。
「あぁ、いえ…大した事ではないんですよ?ただ二階に住む方のお部屋がね、どうも水の流れが良くないみたいでよく水道管が詰まるもので…。」
「それはどこの部屋ですか?」
「階段を上がって二つ目の角部屋のお部屋ですけれど…?」
「失礼。」
老婆の言葉に一言断ってクロードは階段を上がる。水音はまだ鳴り止まない。
刑事達も後ろから続いてくる。階段を上がり切り、言われた通り二番目の角部屋の扉前に立てば中から水音が聞こえて来る。ゴボゴボとした鈍い音も混じっていた。
顎で扉を示せば刑事が頷いて勢いよくその扉を押し開ける。
大きな体に見合った力の強さの前では一般家庭の扉にかけられた鍵など玩具のようなものなのだろう。バキリと音を立てて鍵が壊れる。
「邪魔するぜ!」という声と共に踏み込み、クロードも中へ身を滑り込ませた。
室内には来客用のソファーとテーブル、隣りはどうやらダイニングルームらしい。刑事が隣室へ続く扉を開けると一瞬動きを止めた。中を見た警察の一人が小さく悲鳴を上げる。
「くそっ、狂ってやがるぜ…。」
吐き捨てるように言って別の部屋へ行った刑事を見送り、ダイニングルームをクロードは覗き込んだ。
元が何色なのか判らなくなったどす黒い色の絨毯、べったりと手形の血がついたダイニングテーブル、生臭い臭いが鼻につく。キッチンにある鍋や部屋の隅に置かれた大鍋の中身が何なのか見るまでもなさそうだ。
木製のまな板らしきものに鉈にも似た包丁が突き刺さっている。
聞こえて来た刑事の怒鳴る声とガタガタと暴れるような音に扉を閉めて振り返る。
どうやら犯人を捕まえたらしい。刑事が一人の男を乱暴に引きずって戻って来た。一発殴ったのか少しこけている男の頬が赤く腫れ上がっているのを見て思わず呆れた視線を刑事に向けてしまう。
「いくら犯人とは言え加減をしたらどうだ。」
「逃げようとしなけりゃこっちも殴ったりしませんよ。」
手錠がかけられても尚、逃げようと足掻く男の背を刑事が叩く。かなりいい音がした。
犯人は法の裁きを受けるのが当たり前であって、クロードは基本的に犯人確保であっても必要以上相手に傷を付けることはしない。
無粋だとか野蛮だとか言う話ではなく、相手の戦意を喪失させられるほどの力をクロード自身が持っていないというのも理由の一つだ。
だからこそクロードは犯人を捕まえることはあまりしない。
犯人を割り出し、証拠を集め、後は刑事に任せるのだ。
まぁ良いと軽く顎を擦りながらクロードは男を見つつ、刑事に声をかける。
「トイレに死体の破片を流していただろう?」
「! そうなんですよ、この野郎!よりにもよって遺体をトイレに流しやがって…!」
「大方キッチンで切り分けて血を抜き、細かくして流したという所だろうな。持ち運んだり焼き捨てたりするより楽だが、人一人を切って流すのはかなり手間も時間もかかる。それが徒(あだ)になったな。」
恐らく老婆が言っていた水道管が詰まる、というのも流し過ぎた死体の破片が詰まりかけて何度も水で押し流そうとした結果だろう。
流し切ってしまえば下水道では場所を特定出来ない。その辺りはなかなかに賢いと思うが、流している最中は場所が特定されてしまうということまで考えなかったのだろうか。
どちらにせよこの男が犯人であることに間違いはなさそうだった。
「私は帰るぞ。」
「お疲れ様です。あ、うちの馬車使ってくださいよ。その臭いつけたまんまじゃ、あの御者が泣きますぜ?」
「…そうだな。そうさせてもらおう。」
部屋の外へ出ると老婆が腰を抜かしていた。
まさか部屋を借りていた男が巷を騒がせている殺人犯だとは思いもしなかったのだろう。
そのことに多少の同情はしながらも、クロードは通りへ出る。そう遅くないうちに馬車がやってくるだろうから、先ほどの店に一度戻ってイルフェスを連れてくるか。
まだ残っていた問題を思い出して立ち止まり、空を見上げた。
…怒鳴ったことを謝るべきか。ふっと息を吐き出してから歩き出す。
やっぱり子供の世話なんて慣れない事はするもんじゃない。
イルフェスが待っているであろう店へ重い足を動かしてクロードは向かった。