優秀な御者のお陰で安置所へはそう時間をかけずに到着した。
朝早い時間ではあったが既に入り口には警備員らしき者が立ち、時折訪れる面会者と二・三言葉を交わしている。
目の前に思い切り馬車を横付けしたわたし達に訝しげな視線を向けたものの、馬車に施されたアルマン家の紋章を見るとすぐに表情を変えた。
「今日の門番は素晴らしいですね。」
「何だ、いきなり。」
「以前立っていた方は随分傲慢でしたから。」
「あぁ…あれも哀れな奴だったな。」
以前いた門番はそれはもう自尊心の強い男だった。
家柄がそれなりに地位のある貴族だったため、警察となったのに安置所の警備に回されて不満が溜まっていたのだろう。
伯爵に仕えるわたしとその男は大体地位的には同格で、一般人が己と同じ地位というのは気に食わなかったらしい。
それでわたしのような見目麗しい近侍――男装しているため美男子に見えるみたいだ――を傍に侍らせている伯爵はさぞ愉しいだろうとか、毎晩羨ましいだとか遠回しに伯爵とわたしを貶す言葉を吐いた。
伯爵のように家暦が浅いのに地位が高いものは妬まれることも多いため、本人はあまり気にしてない様子だった。
だが、それではわたしの気が治まらない。
結局この安置所の目の前でその男と口論になったのだが、とりあえず男性に対して言うにはあまりにも酷過ぎる言葉をワザと意図的に言い続けた。
もちろん相手の男は怒り狂っていたけれどそんなことわたしの知ったことではない。
最後は一発殴られたがハッキリ言ってそれが狙いで、地位の高い伯爵の近侍に手を上げた男はすぐに来た警察にあっさり捕らえられた。
わたしはワザと大袈裟に痛がるフリをしたから余計に男の心象は悪くなったことだろう。
普段は出ない涙まで使ったのだから解雇されて当然である。
「お前の役者顔負けの演技には私も騙されたぞ。」
「お褒めに預かり光栄です。」
「…本当に良い性格をしている。」
泣くわたしを心配した伯爵だったが、安置所内の休憩室で手当てを受けて警察がいなくなった途端にケロリとした顔で死体の検分に向かおうとしたわたしを見た時の伯爵の顔は傑作だった。
まさか演技だとは思わなかったらしい。
道理で男が捕まえられた時にわたしより憤慨していた訳だ。
周囲に隠しているとは言え女の顔に傷を付けたり、手を上げるなんて男としてなっていないと呟いてたくらいだったし。
オマケに殴られた後はガーゼで隠していたけれど怪我が治るまでは皆優しくしてくれた。
あれはあれで色々と楽しかったなぁ。
観音開きの扉を過ぎて、ホールにあった面会受付へ進む。
顔を上げた女性がわたしを見て少し目を見開いてから微笑んだ。
「あ、以前の。」
「はい、あの時はお世話になりました。あなたの手当てのお陰でこうして傷も残らずに済みました。」
「そんな、私は大した事はしていませんわ。」
恥かしそうに視線を逸らしながら頬を染める受付の人にニコリと笑うわたし。
横で「誑(たら)し込むな、阿呆。」と伯爵がぼやくが、必殺聞こえないフリでスルーした。
こういう場所で色々な人と線を繋げておくと何かと後で役に立つこともあるのだから良いではないか。
「実は今日はとある方々と面会したくて来たのですが…。」
「あら、そうなんですの?」
「わたしも出来ればあなたとは仕事を抜きにして御会いしたかった。」
「まぁ、お世辞がお上手ですわね。」
クスクスと笑う女性は満更でもない感じだ。
それもそうだろう。伯爵の近侍は一般人よりも数倍以上良い稼ぎなのだから、そんな男を捕まえられれば女性は安泰で過ごせる。
名前を告げると手元の分厚い台帳のようなものを確認した女性が頷いた。
「面会を許可しますわ。」
「ありがとう、素敵な方。宜しければ今度美味しい紅茶でも一緒にいかがです?」
「ふふっ、楽しみにしています。」
横の通路へ促されながら、事件解決をお祈りしております。なんて健気な言葉にわたしは極上の笑みを浮べてた。
冷たい石の階段を下りながら伯爵に散々説教を食らったのは秘密である。
女が女を口説くな、もう少し節度ある行動を心がけろ、などなど紳士らしい言葉に返事をしたけれど‘絶対分かっていないだろう’という眼差しを向けられた。
さすが伯爵。わたしのことをよくご存知で。
最下層まで下りてから分けられた部屋の扉を開ければ予想通り嫌な臭いが溢れてくる。
どんなに冷たい場所でも腐敗は進んでしまうから仕方がないが、何度来てもこの臭いだけはどうにも慣れない。
伯爵も手で口と鼻を覆いながら部屋に入る。
部屋には八人分の死体が寝かせられ、布がかけられていた。
最後の八人目の横にはとても小さな死体がやはり布をかけられて安置されている。
殺された順に見るのが良いだろう。
伯爵も同じ考えなのか一人目の死体の傍に立つ。わたしは一応一言断ってからかけられていた布を引っぺがした。
途端に部屋にこもる異臭が刺激を増す。
「あぁ、全く嫌な臭いだ。本当に、最悪だ。」
「ほら伯爵、ぼやいてないでさっさと検分しましょう。」
「煩い。分かっている。」
何故お前は平然としていられるんだという顔で見られたけれど、全然平気じゃない。
もう臭いがキツ過ぎて鼻が曲がりそうだ。
しかしそれで躊躇っていては事件解決なんて夢のまた夢じゃないか。
ほとんど腐って黒っぽく変色してしまっている一人目の被害者の左手を見る。やはり薬指だけが根元から綺麗に切り取られ、なくなっていた。
それから下腹部へ視線を落とすと胸の下辺りから綺麗に真っ直ぐ切り開かれた腹部が目に入る。
そこは伯爵が手袋をしたまま実に嫌そうな顔をしつつナカを確認していた。
綺麗に切られ、子宮だけ的確に持ち去られている事から見て犯人は医療に携わる人間か、人体の構造を学んだ人間の仕業に違いない。
伯爵が死体から手を離すのと同時にまたあの匂いがした。
血と腐敗臭に混ざった甘いアンバランスな香りは食べ物の匂いではない。
…一体何の匂いだったか。
なかなか思い出せずにいると伯爵が布を戻して、次の双子の死体から布を取っていた。
ポケットからハンカチを取り出して双子の左手を確認する。
「困りましたね。」
「どうした?」
「これだけ二人の背格好や顔が似ているということは一卵性だと思うのですが、似過ぎているため双子の指だと言うことは分かってもどちらの物かまでは判別できません。」
二人とも同じ色のマニキュアを付けていて、指の太さも同じ。
後は地道に二人と親しかった者に聞いているしかない。
どちらが指輪を付けていたかさえ分かればいいのだから、聞き込みをすればすぐに分かるだろう。