瀬那が眠ったのを確認するとクロードはふっと溜め息を吐き出した。
夢の中でも事件を追っているようでは、過労というより心労で倒れたのではないだろうかと思わず幼さの残る寝顔を見つめてしまう。
たった一年。されど一年。自分にとってこの一年は今までの一年とほぼ大差が無かった。
しかし瀬那からしてみれば波乱万丈な一年だったに違いない。
年頃の女性が男に扮して血生臭い事件に首を突っ込まざるを得なくなっている状況は、少なからずクロードが引きずり込んだようなものなのだ。
申し訳無さや罪悪感を感じない事も無いが、瀬那自身も元々事件などに興味があるようで自ら突っ込む場合もあるのだから一概に自分のせいとも言い切れない。
何にせよ今回の瀬那が倒れた件でクロードは自身の行いに少々反省していた。
基本的に口も性格も一癖どころか二癖も三癖もあるわりに肝心なことは口にしない瀬那。一年も傍にいたのに、倒れるまで体調を崩していた事に気付いてやれなかったのは不甲斐無い。
しっかりと毛布を肩まで引き上げてやり、クロードはそっと音を立てないようにしながら瀬那の部屋を出た。
すぐ脇の壁に寄りかかっていただろうイルフェスが此方を見上げてくる。
部屋に行くなと言ったからか、入らずに外で待っていたようだ。
「瀬那は眠ったぞ。」
クロードの言葉にイルフェスは小さく頷いた。
それから「あー」だか「うー」だか言葉を探すように意味の無い声を漏らし、すぐにパッと表情を明るくして顔を上げる。
「伯爵、けいじさんが来てます。」
「刑事が?」
「はい。えっと、客間にいらっしゃいます。」
使用人に頼まれた伝言なのだろう。
やや片言に聞こえる言葉に「分かった」と頷きつつクロードはイルフェスの頭へ軽く手を置いた。
タイミングが悪い。ただでさえ瀬那が倒れて此方も忙しないというのに。
刑事が来たという事は少なくとも何かしらの事件へ協力しなければならない事態なのだろう。たまには此方の力に頼らず難事件の一つくらい解決して欲しいものだと内心でぼやいた。
通りかかった使用人に‘瀬那の様子を見ていてくれ’と執事に頼むよう言付け、客間に向かう。
軽い足音が後ろをついて来た。
…まぁ、良い機会だ。イルフェスにもそろそろ手伝いをさせるか。
瀬那がいればそれこそ「まだ早いですよ、伯爵」と半眼で睨みを効かせながら反対しそうだが、此処にはいない。大事にするのは良いが甘やかし過ぎていては何時まで経っても役に立たん。
「イルフェス、今回は瀬那の代わりにお前が私の助手をしろ。」
「ぼくが?いいの?」
「あぁ。……敬語を忘れるな。」
「あ!」
イルフェスは瀬那の心配を他所(よそ)に何かと手伝いをしたがっていた。
今回手伝わせてみて上手くいくようであれば、これからも少しずつ手伝わせれば良いし、駄目だった時は使えるようになるまで教養と知識を叩き込むまでだ。などと空恐ろしいことをクロードが考えている事など露知らずにイルフェスは主人の背中を追いかけて来る。
瀬那の看病の為に巻くっていた袖を戻し、ポケットに入れていた手袋をはめ、襟元を正す。
その様子を見ていただろうイルフェスが真似するように自身の身形を整えた。
それにチラリと一瞥をくれた後に到着した客間の扉を躊躇う事無くクロードは押し開ける。
室内には顔馴染みとなった刑事が一人、若干居心地悪げにソファーに腰掛けていた。鍛えているのか一般男性よりも大柄で熊のような男は、彼の忙しさを物語っているような少しよれた服を着て、此方に視線を向けるとサッと立ち上がる。
「突然の訪問、すんませんね。」
全くだと愚痴を零したくなったが、男の目の下に出来た隈を見てしまえば言葉はすぐに胸の内から消え去った。
この体力が取り得と言わんばかりの男がこうも疲れた顔をしているとは珍しい。
クロードがソファーに腰掛けると相手もソファーへ座り直す。
「構わん。それで、今回は何だ?」
「それがまた面倒な事が起きて――――…伯爵、そっちの坊主は…?」
「あぁ、新しい近侍見習いだ。」
「……こう言っちゃナンですがね伯爵、あんまり子どもばかり側仕えにしていると妙な噂が立っちまいますぜ?」
頬を引きつらせる男とは正反対にイルフェスが明るい声で「初めまして、イルフェスともーします!」と名を告げる。恐らく孤児院のあの事件にこの刑事が関わっていた事など忘れてしまったのか、元から気付いていなかったのだろう。
「いや、それは知ってるけどよ…」と困惑気味にイルフェスを見る男に、クロードも頬杖を付きながら小さく溜め息を零した。
自分に対してどんな噂が流れているかくらい知っている。
瀬那を拾い、近侍として側に置く事になってから‘アルマン伯爵は稚児趣味’だと、くだらない噂が実(まこと)しやかに広がっているのだ。実年齢よりも幼く見えてしまう瀬那を見てアルマン家をよく思わぬ者が流したデマだ。
「一緒に来ると言って聞かなかったんだ。服を掴まれて一日中泣かれてみろ。…煩くて敵わん。」
特に子供の声は高いから泣き喚かれると耳に障る。
男が感心半分、呆れ半分といった表情でイルフェスを見た。が、当の本人は欠片も悪意のない笑みを浮べて、瀬那に教えられた通り自分が座るソファーの一歩後ろに立っているのだろう。振り返って確認する気すら起きない。
何となく理解したのか刑事はそれ以上追及することは無かった。
この話は終わりだと頬杖をついていた手を払えば男の背筋が伸びる。
「で、改めて問おう。今回は何が起きている?」
「実は此処数日、下水で死体が何回も見つかっているんですがね。ちょっとこれを見てください。」
男はテーブルの上に街の地図を広げる。
それ程大きくもないそこには幾つか赤いインクで×印が描かれていた。
軽く全体に目を通したクロードは、その印の位置に規則性が無いことを確認して顔を上げる。
「五つ…つまり、被害者は五人という事か?」
「いえ、困った事に人数ははっきり分からないんですよ。」
「「?」」
印が五つ付いているのに、被害者の人数が分からない?
思わず眉を顰めれば脇からも不思議そうな雰囲気がする。イルフェスだ。しかし瀬那にきちんと教えられているのか感じているだろう疑問を口にする事は無い。
クロードが問いかける前に刑事がやや重たげに口を開いた。
「どれが誰のどの部分なのかすら判別出来ないくらい、全員爪先から頭の先までバラバラなんですよ。」
「ふむ…。遺体はどうしている?」
「分かるモンは分けてますがね。判別不可能なモンは纏めてあります。」
「なら手の指だけ探して数を数えろ。人間の手の指は基本十しかないんだ、拾い残しがあろうが無かろうが、それで大まかな人数は分かる。」
男が酷く嫌そうな顔で「見るだけでもキツイって言うのに、アレに触って来いって言うんですかい?」とぼやく。
細切れの人間なんて流石の自分も見て気持ちの良いものではない。
話の流れで‘その光景’を想像してしまったクロードは眉間に皺を寄せる。
溜め息を零して肩を落とす刑事に内心で同情した。