踏み締めた草の柔らかくも足に絡み付く嫌な感触に眉を寄せながらも前進して何とか現場まで辿り着く。
既に双子の死体はなくなっていても何か証拠や遺留品といったものは残っているかもしれず、背丈近くまである草を掻き分けながら地面に視線を落とす。
背の高い草は視界を遮ってしまうため本当に厄介だ。
無駄に体力を使ってしまいそうだと眉を顰めてしまうのは仕方ないだろう。
どれ程そうしていただろうか。
不意に先程の教会で嗅いだ嫌な匂いが僅かに鼻を突いた。
キョロキョロと辺りを見回し、草を退けてようやく見つかったのは人間の指で、紅いマニキュアの塗られた爪と生きた体にくっついていれば細く滑らかであっただろう指の途中に指輪がはまっている。
胸元からハンカチを取り出して包み、他にも何かないか確認したがどうやらそれ以外は望めそうにない。
また草を退けながら伯爵の下まで戻ると佇んで待っていた彼がわたしの顔を見て思い切り眦をツリ上げた。
どうかしましたか、と問う前に歩み寄って来た伯爵が胸元から出したハンカチで頬を拭ってくる。
見ればハンカチに少し血が滲んでいた。
「何時の間にか草で切れてしまったみたいですね、お手を煩わせてしまいました。」
「いや。この程度の事は構わんが、お前はもう少し自身の事に気を付けろ。嫁入り前の娘が顔に傷など残ったら貰い手が無くなるぞ。」
まるで父親がじゃじゃ馬娘を諭すような言葉に思わず噴出してしまう。
ムッとした表情をするクセにわたしのこういった無礼を許してくれる辺り、彼は本当に心が広い。
「すみません。でも心配は無用ですよ。わたしのような跳ねっ返りを娶ろうなんて酔狂はいないでしょうから。」
わたしがそう言えば何とも言えない顔をされる。
それが余計に可笑しくて、笑いそうにのを堪えつつポケットからハンカチを取り出した。
中に包まれているのは先程見つけた指だ。
「これは?」
「今しがたあそこで見つけました。女性の指でしたのでもしかしたらと思い拾ってきたのですが。」
「指、か。」
「えぇ、指です。…御覧にならないのですか?」
「……今更だがお前が女だという事実が信じられん。」
「奇遇ですね。わたしも何故自分が女なのか不思議で仕方ありません。」
伯爵は仕事上何十、何百という死体を目にしていても慣れないらしい。
だがわたしは死体というものに対してあまり抵抗はない。
死んでしまえばただの肉の塊で、そこに命がなければ‘生き物の死骸’でしかないのだ。
死者が知り合いならまだしも見ず知らずの相手なのだから感情も湧きづらい。
薄情者と呼ばれようとも、そうなのだから仕方ないではないか。
ハンカチを開けることに躊躇いながら、それでも意を決して布の端に指をかける伯爵の姿をどこか微笑ましく感じながら見つめた。
「…随分綺麗に切られているな。」
だがハンカチに包まれた指を目にした瞬間、ブルーグレーの瞳から躊躇いの色は消えて、真剣な眼差しで死体の一部を観察する。
ほんの微かな情報も見逃さぬ鋭い視線だ。
「それにかなり高価な指輪だ。」
細い指にはまったままの指輪を眺めながら呟かれた伯爵の言葉にわたしも指から顔を上げる。
「お幾らほどで?」
「お前の賃金の半年分でも足りんな。」
それはまた馬鹿みたいにお高い指輪だ。
わたしの一か月分の給料はそれなりに高い。屋敷に仕える者たちの中でも上位にあると思う。
何せ現代に換算すると一月五十万から六十万ほど貰っているのだ。
それを半年分――月の賃金を五十万だと仮定して――で六ヶ月×五十万、つまり三百万でも足りない値段の指輪になるということだ。
普通の娼婦がそんな高い指輪を買えるあろうか?
「この指、双子のどちらかのものだと思いますか?」
「分からん。が、とりあえず安置所へ持っていって確かめるしかあるまい。」
「…もう二ヶ月も経っていますから死体の状態が気になりますが。」
事件が解決するまで関連性のある遺体は安置所に置かれる。
いくら地下に置いてあっても死体は確実に腐敗してしまう。
「言うな。…恐らく今お前が考えている状態だろう。」
「腐敗臭が取れなくなったら困りますね。」
「お前が言うと洒落にならん。」
「それは失礼致しました。」
返された指をもう一度丁寧にハンカチで包み込み、それをポケットへ仕舞う。
馬車に乗り込もうとすれば御者の何とも言えない視線を感じて、苦笑した。
視線にはほんの少しの恐怖が混じっている。
わたしや伯爵、警察のような者たちと違い御者は普通の人だから死体に恐れを抱くのは当たり前で、他人の死体の一部を平然と持ち歩くわたしに恐れを感じるのも無理はない。
馬車に乗り込みと予定を変更して安置所へ馬を走らせる。
寒いくらいの気温だが死体は腐りやすいからのんびりなどしていられない。
それに、さっさと死体の一部を安置所へ持っていかないと冗談ではなく腐敗臭が取れなくなってしまうそうだ。
数ヶ月前は花も恥らうお年頃な女子高生だったと言うのに香水どころか死臭を纏わせてるなんて、一体どんな女子高生なんだか。
仕事上致し方ない事柄だが何とかできないものか。
吐きかけた溜め息を呑み込んでから伯爵へ問う。
「安置所へ行かれた後はいかが致しますか?恐らく面会を終えた頃には御昼食の時間になられると思いますが。」
「そうだな…、用事が済んだら一度屋敷に戻るか。匂いも気になる。」
「畏(かしこ)まりました。」
やはりまだ気にしていたらしい。
一応自分の襟元に鼻を寄せてみれば確かに嫌な臭いが微かにする。
わたしも一度入浴して着替える必要がありそうだ。