シスターが逮捕されてから一週間。
伯爵の話だと、もうあの孤児院には誰もいない。
皆は引越して今は無人になってしまった。
わたしはあれから壁を殴った怪我と、爪で出来た怪我、火傷のことで伯爵に散々お小言を言われた挙句、怪我が治るまでは必要以上屋敷を出るなとまで言われた。…過保護め。
人気がなくなった孤児院はすっかり古くなってしまったようだ。
踏みしめた砂利が寂しげに声を上げたが、子ども達の楽しげな笑い声は聞こえない。
建物に入り、倉庫の入り口に来る。わたしが壊した扉の破片はなくなっているが、ぽっかりと開いたままになった倉庫の部屋だけは中身がそのままだった。
きっと誰も手をつけられなかったのだろう。下手したら入ることすらなかったんじゃないか。
部屋に残る埃っぽさと、微かな饐えた臭いに一瞬躊躇ってしまう。
それでも何とか部屋に足を踏み入れ。地下室へ向かう。扉は閉まっていた。
地下室の両脇の棚は外され、何もかもがなくなっていた。
がらんどうの部屋の奥まで行って見慣れぬ物に思わず立ち止まった。
花だ。小さい、可愛らしい花束と大きな花束が二つ、イリが倒れていた場所に置かれている。
……一体誰が…?
「――…セナ、」
「っ、…イル…?」
自分を呼ぶ幼い声に振り返るとイルと伯爵が立っていた。
気付かなかった。暗い部屋の中では蝋燭も自分の周囲しか照らせないから。
イルは近付いてきてわたしの手を握った。小さく温かな手がしっかり指を掴む。
「セナ、ぼく…シスターが許せない。」
イルの言葉にズキリと胸が痛んだ。こんな小さな子どもに復讐心なんてものを持たせたくなんてなかった。
「でもね、聞いたよ。セナがシスターをなぐったって。…ありがとう、セナ。」
「…わたしは何も出来ていないよ。イリを助けることも出来なかった。」
「セナはぼくを助けてくれたよ?」
「両方、助けたかったんだよ。イル。」
屈んでイルの顔を覗き込む。あの気弱そうな表情はなく、少しだけ眉を寄せてわたしを見つめていた。
すぐにギュッと抱き付いてきた体をわたしも抱き締め返す。
…イリもいれば、きっともっと温かかったんだろうな。
少しだけ体を離したイルが口を開いた。
「ぼくね、おまわりさんになるよ。たくさん人を助けるんだ。」
「……イルならきっと出来るよ。」
男の子らしい言葉に思わず笑顔になる。復讐心なんて、人生を無駄にするだけだから。
「それでね、ぼくも伯爵のおせわになる!」
「そう……え?お世話になるって…、」
伯爵を見上げるとブルーグレーが少しだけ面倒臭そうに半眼になっている。
「‘セナみたいになる’と言って聞かないんだ。断ると延々泣き続ける。」溜め息混じりに言われた言葉に今度こそ笑ってしまった。
泣く子と何だかには勝てないってわけですか。
顔を戻すとニコニコと笑うイルがいた。
イリは死んでしまったけれど、それでもまだこの子がいる。大切なもう一人の弟。
立ち上がったわたしを見て伯爵が地下室から出て行くと、その背中を追いかけるためにイルがわたしの手を引いて歩き出した。
つられて足を踏み出したわたしの、空いたもう片手を小さな手が握った気がした。
しかし振り返ってみてもあるのは暗闇と二つの花束だけ。
「…イルのこと、応援してあげてください―――イリ。」
そうしてこんな暗い部屋とは、もうさよならだ。
手を引かれるまま孤児院を出ると馬車が止まっている。
伯爵はその前でこちらを振り返って待ってくれていた。
急かすイルと共に小走りで馬車まで向かう。この孤児院ともこれで決別。
「イル、君のきちんとした名前。聞いてもいいですか?」
「イルフェス!イルフェスだよ、セナ!!よろしくね!!」
――――…SECOND CASO:Uomo-mangiando―人食い― Fin.