この喜びの顔は嘘、この涙は偽物。
優しく子どもを抱いたその腕で一体貴女はどれだけの子どもを殺してきたんだ。
いけしゃあしゃあと涙ぐむシスターに頭がカッとして、伯爵達が止める暇もなくわたしは目の前の優しげな顔を殴りつけた。鈍い音と共にシスターが悲鳴を上げて床に倒れ込む。
感情のまま更に殴ろうとしたわたしを刑事が羽交い絞めにする。
「おい、坊主!何してんだ!捕まりたいのか?!」
「っ、離せ!こいつだけは殴らなきゃ気が治まらない!!伯爵、それの中身を見てください!!」
何時の間にか手放してしまっていた‘荷物’を示すと、エドウィンさんがそれを伯爵に見えるように開いた。室内にいた誰もが、もう一度口元を押さえる。
中には耐え切れずに部屋の外へ出て行く警察もいた。
小さな目が入った小瓶と、子どもの頭。わたしの上着に包まれたそれを見て伯爵の纏っていた空気も変わる。
「そのシスターが犯人、という訳か。」
「…そうです、子ども達は倉庫に勝手に入って遊んでいた時に偶然、地下室への扉を見つけてしまったんです。イリは中にいましたが、イルは怖くてすぐに地下室から出たと言っていました。そこにシスターが来て地下室に入って行ったと。……地下室には大勢の子どもの頭と…死んだイリがいました。」
伯爵の落ち着いた声音に我に返ったわたしは今までのことを説明した。殴る意志がなくなったからか刑事はわたしを離してくれたが嫌そうな顔でシスターを見ていた。
シスターは逆に私を親の仇のような目で睨んでいる。
「シスター、子ども達の体をどこへやったんですか。」
あの大量の骨と大きな鍋を見てしまえば分かったことだった。
それでも嘘だと思いたかった。
けれどシスターの口から吐き出されたのは耳を塞ぎたくなるような言葉達。
「そんな物、食べてしまったわ。子どもって本当に邪魔よね。シスターだからってベッタリくっついてきて、何も疑わない。…知ってるかしら?子どもの肉ってとても柔らかいのよ。それに若い子どもの血って美容にいいらしいの。あの子達の悩みを聞いたり、育てたりしてあげたんだから、見返りくらい求めたって良いと思わない?沢山いるんだから一人や二人いなくなったところで誰も困らないわよ。」
「…貴女は一体どれだけの子どもを殺したと思っているんですか。」
「分からないわ。数えるつもりもなかったもの。」
口元には優しい笑みを貼り付けたまま、残酷な言葉を平然と紡ぐシスター。
刑事が捕まえようとした時、わたしの腕がシスターに掴まれ、引き寄せられる。
逃げる間もなく首筋に包丁が当てられた。
伯爵はソファーに腰掛けたまま相変わらず落ち着いた眼差しで状況を見ている。刑事やエドウィンさん、警察の人々は悔しそうな顔をした。
「わたしを人質にしても無駄ですよ。」
「そうかしら?この街から逃げるくらいは役に立つと思うわ。」
止めてくれ。慈愛に満ちたその声で、その顔でそれ以上言葉を吐き出さないで。
ひたりと首筋に当てられている包丁を見た。大きくて、鋭いそれには見覚えがある。
――…イリの胸に刺さっていたのと同じ包丁…?
それに気付くのと同時に頭の中に浮かんだのは楽しそうに笑い合っている双子の顔。この人は…いや、こいつはイリを殺し、イルから大切な半身を奪い取り、大勢の子どもを殺した。
そんな人間を逃がす?…街から出すだって?
脇に下がっていた手に当たる硬い感触。ポケットに手を忍び込ませると水素が入った小瓶がまだあった。マッチもある。――…こいつを逃がすぐらいなら火傷した方がマシだ!
「っ、ざけんな!!」
シスターの足の爪先を右足で全力で踏み付け、包丁が首元から離れた途端に振り返る。勢いのままポケットから取り出した小瓶のコルクを親指で弾き抜き、右手で持っていたマッチをブーツで擦り、共に倒れ込むようにシスターへ突進する。
そうして口の開いた小瓶をシスターの眼前で逆さまにして火のついたマッチをそこへ寄せた。
―――酸素と混ざった水素に火を近付けるとどうなるか。…爆発して水が出来る!
目を瞑るのほぼ同じタイミングで爆発音が響き渡った。試験管だけでもかなりの爆発が起きるのだから、いくら小瓶とは言ってもそれなりに威力があるはず。
右手に感じるヒリヒリとした痛みとシスターらしき女性の悲鳴が襲ってきたが、わたしの顔などの上半身には何の痛みもなかった。
目を開けるとすぐ傍にブルーグレーがある。
「ぁ…伯、爵…?」
床に倒れ込んだ状態、目の前にいるのは伯爵で。しかも伯爵もわたし同様に床に転がっている。
グイと腕を掴んでされるがままに上半身を引き起こされた。火傷を負ったらしい右手がどんどん痛くなる。
立ち上がった伯爵の手から落ちたコートは所々が焦げてしまって、もう使い物になりそうもなかった。
…まさか庇ってくれた?
慌てて顔を上げたわたしに、今までに聞いた事もないような伯爵の怒号が降り注いだ。
「この大馬鹿者!!無茶はするなと何度も言い聞かせていたのに忘れたのか、セナ!!貴様は私の寿命を縮ませたいのか?!殴らなければ分からないのか?!うつけ者が!!」
初めて聞く伯爵の怒号にわたしだけでなく、刑事やらエドウィンさんやら警察やら、恐らくシスター以外の全員が驚いただろう。視界の端に客間の出入り口からこちらを覗き込む警察達が見えた。
そちらへ視線を向けようものなら「聞いているのか?!」と更に怒鳴られるのだ。
「で、でも、あの場面ならああするしか…、」
「言い訳は要らん!セナ、貴様のこの頭の中に入っているのは知識だけなのか?!」
「ひっ…痛い痛い痛いです伯爵っっ…!!」
ガシリと頭を鷲掴みにされた手に力がこめられる。
…あぁ、まずい。果てしなく不味い。これはもう、どう考えてもブチ切れていらっしゃる。
周りに助けを求めてみても刑事はシスターを捕まえるのに集中してるし、エドウィンさんは伯爵の言葉に頷いてるし、警察達は我関せずといった体なのだ。逃げ場がない。
全力で謝ると伯爵の手が離れて行く。さっきまでは悲しくて泣きそうだったのに今は痛みで泣きたい。
一歩近付いてきた伯爵に思わず顔の前で腕を交差させて防御の体勢をとってしまう。
が、二発目は来ず、代わりに深い溜め息と共に頭の上に優しく手が乗った。
「頼むから、もう二度とこんな無茶はしないでくれ。心臓に悪過ぎる。」
先程の怒号とは違った普段の落ち着いた声。少しだけ疲れたような色合いが混じった声だ。
ポンポンと頭を叩かれて頭の中で言葉が生まれる。