孤児院の中へ戻り、廊下にいた警察の一人にイルを頼んだ。
イルはわたしから離れるのを酷く嫌がったけれども、シスターにこの子の存在を知られるのは不味い。イリとイルが常に一緒にいることを彼女は知っているはず。イリを見つけた時点でイルも部屋の存在を知ったことは既に気付いているだろう。
もしイリを殺したのだとしたら、もう一人の目撃者であるイルも殺したいはずだ。
絶対に目を離さないようお願いして警察から離れる。女の子はイルと一緒にいると子ども部屋に残った。
服についていた草を払ってから倉庫へ向かう。
イルから聞いた話を口にするだけでは証拠が足りない。シスターが犯人だという絶対的な何かを見つけなければ。
きっと伯爵や警察達がウロつかないよう同じ部屋で彼らを監視しているだろう。わたしの事もきっと気にしているだろうが、女の子に連れられて子ども部屋に行ったと思っているのかもしれない。
客間とは正反対に倉庫があるのは助かる。
逆を言えば倉庫に誰かが近付く確立が減るということでもあった。
倉庫には鍵もかけられているので入れないとシスターは思い込んでいるだろう。
南京錠のかかった倉庫の扉の前に立つ。壁の足元の方にある換気ダクトを見た。子ども達はここから出入りしているのだと女の子が教えてくれた。大の大人では通り抜けられない大きさだが、わたしなら何とか通れそうだ。
上着を脱いで腰に縛り付け、ダクトについた金網を掴んで引っ張るとあっさり金網は外れた。
子どもの力でも外せるなんてと見てみれば、金網の枠はだいぶ劣化してしまってサビついている。誰か年上の子が引っ張って外し、小さな子達がそのまま抜け道として使っていたのだろう。
頭を入れるととても埃っぽくて驚いた。
子ども達はこんな中を通り抜けているのか。たくましいというか、何と言うか。子どもは度胸がある。
後で服を叩かなければと思いつつ体を押し込めて匍匐(ほふく)前進でダクト内を進み、突き当たりにあった金網を叩くように押し開けた。少々耳障りな音がダクト内に響く。
穴から這い出して服を払う。暗闇に目が慣れるのを少し待ってからポケットに入れていたマッチを取り出して、適当な壁で擦る。シュッという微かな音と共に手元に小さな火が生まれた。
すぐに部屋の中にあった蝋燭に火を移してマッチの火を吹き消す。
数回しか倉庫に入ったことはなかったが、思っていたよりも随分奥行きのある部屋だった。
積まれた家具や荷物を避けて奥へ行くと阻むように空っぽのチェストなどが置かれている。きっと子どもが入れないようにワザと置いたのだろう。
それらを全て脇に退かして部屋の最奥に着くと少しだけ荷物が片付けられたスペースがあった。そこに大き目の机が置かれている。よくよく蝋燭で照らして見ると床に机を引きずった後が見受けられた。
蝋燭を適当な荷物の上に乗せて机を両手で壁際に押しやる。
するとイルが言っていた通り、床に両開きの扉があった。
収納されていた取っ手を引き出して半ば力任せに開く。開いた途端、中から饐(す)えた臭いが漂ってくる。完全に扉を開け切って袖で口元を押さえつつ、片手に蝋燭を持って地下への階段を下りていく。
一歩下がる度に臭いはキツさを増した。
最後の一段を下りて、わたしは顔を上げた。
「う…っ!」
地下室の左右の壁に取り付けられた棚に整然と並べられた数多くの頭達。大人びた顔、まだ幼さが残る顔……救いなのはどの子どもの顔にも恐怖や苦痛の色が見られないことだ。
まるで眠っているような表情だが、首から下のあるはずの体はどこにも見当たらない。
饐えた臭いは子どもの頭から漂っているようだった。いくら地下室とは言え冷凍庫ではないのだから腐るのは当たり前だ。
数えるのも嫌になるくらい沢山の子どもの頭。
それらを通り抜けると今度は壁際に沢山の小瓶が積み上げられていた。中には丸い玉が二つずつ入っている。…目だ。夥(おびただ)しい数の目が瓶に詰められているのだ。触る気にもなれない。
顔を逸らして更に先へ進む。元々は防空壕か何かだったのだろうか?地下室は縦に広い。
そして部屋の奥に着いてわたしは絶句した。
…何なんだこれは。
大量の骨と大きな鍋、どこへ続いているのか天井の角には空気を入れ替えるための穴が開いている。
鍋の傍には乾いた血の海と大きな包丁が二本。包丁だけは丁寧に血を拭われて蝋燭の火を美しく反射させた。
「イリ!!」
壁際に無造作に寝転がされている小さな体に駆け寄る。
蝋燭を置いて、そっとその体に触れると予想した通り冷たかった。体温の欠片も感じられない体は死後硬直が始まってしまっていた。
それでも何とか抱き起こして顔を覗き込む。…やはりイリだった。
顔立ちは似ているがイルとは反対のややツリ気味の目は閉じられている。胸には大きな包丁が柄まで深々と突き刺さっていた。背に触れると包丁の刃先は背中まで達するほど長い。
その表情は他の子ども達と同様に眠っているかのように苦しみは見られない。
きっと一突きだったのだろう。恐怖や苦しみを感じなかったのだと思うと、やり切れなさとは裏腹に良かったという言葉が頭を過ぎった。この子は恐ろしい思いをしなかったのだ。
氷のように冷たい頬を撫でる。…待っててくれ。また後で必ず戻ってきて、こんな暗く冷たい場所から出してやるから。
イリを元に戻してからわたしは立ち上がった。
階段へ戻る途中で瓶に詰められた目を一つ、それから頭だけになってしまったまだ新しい子どもの首を一つ、腰に巻いていた上着に包んで持つ。あぁ、もうこの上着は使う気になれないな。
蝋燭とそれを持って地下室を出る。扉をそのままに倉庫の入り口へ向かった。
荷物を持っていてはダクトはもう使えない。なら、正面から出るしかない。
持っていた物を傍に置いて一度深く呼吸をする。埃っぽさと残ってしまった饐えた臭いに眉を顰めながらも、わたしは扉に全力の蹴りを入れた。ミシリという嫌な音がする。
一回、二回、三回…――。
四回目でバキリと音がして扉に使われていた木が真ん中から割れる。伯爵の屋敷ならまだしも一般的な家の扉は板が薄いのだ。
更に蹴って扉を完全に破壊する。破片が足元に散らばっているが構わないだろう。
荷物を再度手に持って倉庫を出、客間に向かう。
途中会った警察が口元を押さえたのを見て、やっぱり臭いが付いたかと苦笑してしまった。
客間の前に立つ。ノックを二回して、返事を待たずに扉を開けた。中にいた伯爵とシスター、エドウィンさん、刑事…それから何人かの警察。
誰もがわたしを見て驚いた顔をした後に、眉を顰めて口元に手を当てる。
「このような汚い姿で申し訳ありません、伯爵。」
もう芝居をする必要はなくなった。普段通りの敬語で話し出したわたしをシスターが驚いた顔で見る。
伯爵はソファーに腰掛けたまま指で来るように促した。
「…随分埃まみれだな。」
「これには少々訳が…まずはイルが見つかったのでご報告します。孤児院の裏にある雑木林の中に一人で隠れていました。既に保護して今は部屋で休ませています。」
「良かった…!イルが見つかったのね!!」
わたしの言葉にシスターが涙目でソファーから立ち上がる。
このままでは部屋を出て行くだろうと、咄嗟にシスターの前に立って道を塞いだ。