入浴の時間になり、子ども達を集めて孤児院の大浴場に連れて行く。
浴室に入る前に人数確認をしてみると二人足りなかった。名前はあやふやだが顔はよく見かける子達で、普段から物静かで口数も少ない子達だ。
皆の輪にも入らないのでほとんど目立たず常に二人ぼっちで遊んでいる双子の男の子達。
「シスター、二人足りないんだけど。」
「え?……あら、イリとイルね?どこに行ってしまったのかしら…?」
不安そうに眉を下げるシスター。どうやら彼女も二人の行方を知らないらしい。
イリとイル…頭の中に名前を叩き込んで、シスターを見る。
「ちょっと探してくる。」
「お願いね、セナ。私もすぐに行くわ。」
「ん。」
シスターの言葉に頷いて大浴場を出る。もう日も落ちて暗くなっているから、二人を見つけ出すのは難しい。
あまり喋らない子達でがあったが一度だってこんな風なことはなかった。
が、二人の年齢を思い出して背中を悪寒が駆け抜ける。十二歳。そう、丁度二人は十二歳なんだ。何時も俯いているけれど双子の顔立ちは結構綺麗で、たまに他の子ども達がそれを羨ましげにしていたことも思い出す。
……そんな、まさか…?
嫌な予感を感じつつ孤児院内の部屋を全て見て回った。子どもたちの部屋も、食堂も、院長の部屋だって見に行ったのに二人の姿は見つからない。
十二歳にしては小柄な二人が隠れられそうな場所も虱潰しに探した。クローゼット、おもちゃ箱、遊具の中、ベッドの下、図書室の本棚の隙間。子ども達が秘密の隠れ家にしている倉庫。
しかしどこを探しても二人の影は見当たらない。
時間だけが無情にも過ぎて行く。
「――セナ!」
シスターの声に振り返れば、走り寄って来る姿が見えた。
一瞬の淡い期待も空しくシスターの傍に子ども達はいない。
「見つかった?」
「…いや、どこにもいないんだ。」
「そんな…っ、まさか…?」
街で最近起こっている誘拐事件を思い出したのかシスターの顔色が悪くなる。
「くそっ…!!」感情に任せて壁を殴りつけると鈍い音と共に手に痛みが広がった。シスターの焦った声に手の甲を見れば血が滲んでいる。
だがそんなものを目にしても痛みよりも焦りばかりが募っていった。
子ども達が、あの双子の男の子達が…。もし誘拐されたのだとしたら、彼らはもう二度と戻って来ないのだ。顔が綺麗と言われて恥ずかしそうに、嬉しそうに照れることも、二人で内緒話をして小さく笑い合う姿も見れなくなる。
そう考えただけで自分に対する怒りが膨れ上がった。
一体何をしてるんだ、わたしは。被害者を増やさないためにここに来たんじゃないのか?
血が滲んでいるわたしの手をそっとシスターが自身の手で包み込む。
「誘拐とまだ決まったわけじゃないわ。もしかしたら、別の孤児院に遊びに行ったのかもしれないし…どこかで迷子になってしまったのかも。とにかく警察(ヤード)に連絡しましょう?セナも、この手は治療しなきゃ。」
微かに震える声で、それでも励ますように真っ直ぐに見つめて言ってくれるシスターの声に食いしばっていた口を何とか開いた。
「…だよな。俺、警察まで行ってくる。手は自分で出来るからいい。シスターは他のやつらについててやれよ。……多分、みんな不安だろうし。」
チラリと視線をずらせば廊下の先からいくつかの頭がこちらを覗き見ている。目が合うと慌てて頭を引っ込めたが、あれではバレバレだった。
シスターも振り返って子ども達の存在に気付くと心配の色を見せながらも頷く。
わたしは部屋に戻って上着を引っつかむと走りながら着込み、孤児院を飛び出した。夜の街は酷く静まり返っていて足音だけが妙にこだまする。花街とは少ししか離れていないのに別世界のように人影はない。
石畳を駆け抜け、橋を渡り、警察までの道を全力で走った。
それこそこんなに走ったのは何年ぶりだったかと思い出せないくらい久しぶりの疾走だった。
肩で息をしながら階段を上がる。固く閉ざされている扉を思い切り開けば、夜番だろう警察達が一斉に私へ振り向く。こんな夜に子どもが何の用だと言いたげな彼らに近付く。
「伯爵に…アルマン伯爵に‘子どもが行方不明になった’とお伝えしてください!急ぎなのです!瀬那からだとおっしゃってくだされば分かりますから、どうか馬車を出してください!!」
孤児の姿をしたわたしに似合わない丁寧語に目の前の警察は驚いた顔をする。
けれども互いに顔を見合わせ困惑した様子でわたしを見るばかり。
彼らは警察の中でも下っ端なのかもしれない。馬車を出すには上司の許可が必要なのだろう。
しかしそんな悠長なことを言っていたらイリとイルは本当に二度と帰って来なくなってしまう。
握り締めた手に爪が食い込んだけれど気にしていられなかった。いっそのこと殴ってでも言う事を聞かせてやる。
そんな考えが頭を過ぎった瞬間、聞き覚えのある声が二つ、飛び込んできた。
「ん?セナ君…?」
「あん?ガキがこんな時間に…ってなんだ、よく見りゃ伯爵んトコの坊主じゃねぇか。」
振り返ればなんとエドウィンさんと、あのやけに図体のでかい刑事がいた。正反対の二人が並んでいる様は違和感があったが、今はそんなことに構っている暇はない。
振り返った勢いが凄かったのか、二人は驚いた顔のまま半歩下がった。
わたしは目の前にいた警察から二人に足早に歩み寄る。
「お願いです、伯爵に連絡をつけてください!子どもが二人、行方不明なのです!!」
「家出とかではないのかい?どこかに出かけたとか…、」
「その二人は孤児院から自分達だけで出たりはしません!どれだけ誘っても決して敷地から出ないような子達です。何より二人は十二歳で、顔立ちも綺麗なんです!!」
「可能性は拭えねぇってか?――…おい、誰でもいいからアルマン伯爵んトコに行って来い!」
刑事の言葉に警察の何人かが慌てて動き出す。こう見えて、この刑事さんはもしかしなくとも結構力があるのだろうか?
ふと横に立っていたエドウィンさんがわたしの手を掴んだ。
視線をそちらへ向ければ血の滲んだ手、特に壁も殴りつけていた右手が酷いことになっている。左手も掌から血がじんわりと出ている。
視界に移して漸く痛いと頭の中で信号が発せられた。一度認識してしまうと手の痛みがだんだん強くなる。
「セナ君は此方へ来なさい。手当てをしよう。」
有無を言わせぬ口調でエドウィンさんにロビーのソファーに座らせられる。どこかへ行ったかと思うと救急箱と濡らした布を持って戻って来た。布で血が滲む手を拭かれると鋭い痛みが広がって眉を顰めてしまう。
血と汚れが取れた手が今度は消毒されていく。…沁みる。
手早く巻かれた包帯を見つめていればエドウィンさんが厳しい口調でわたしを叱り付けた。
「君が焦る気持ちは分かる。だが、それで自分を傷付けて何になるんだい?もっと自分を大切にしなさい。」