伯爵とエドウィンさんはアルマン家の馬車で屋敷へ向かい、わたしは一般の馬車をそこら辺で掴まえて帰る。
勿論、屋敷のやや手前で降りて裏口から入ることを忘れない。
自室へ戻ると着替えよるためにチェストを開け、中身を確認した途端に普段の服はないことを思い出した。
これではエドウィンさんの前にきちんとした姿で出る事ができない。
…いくら何でもココまで徹底しなくたって良いじゃないか。
溜め息を零しながら引き出しを押し戻し、仕方なくその格好のまま伯爵達が居るであろう居間へ向かう。
それなりに夜も更けた時間なので足音を忍ばせながら歩いているとティーセットを運ぶメイドと擦れ違った。遅い時間まで仕事をさせてしまって申し訳ない。
感謝と労いの言葉を交わしつつ居間への廊下を急ぐ。
落ち着いた古い木製の扉を控えめに二度の叩く。と、中から入室の許可がすぐに飛んでくる。
それを確認してから音を立てないよう気持ちゆっくりめに扉を開けた。
「失礼します。」
中にいたのは伯爵とエドウィンさんだけ。二人とも暖炉の前に置かれたテーブルとソファーに腰掛け、温かな湯気を放つ紅茶を楽しんでいる。
だが伯爵はわたしの姿を見ると眉を顰めて「着替えて来なかったのか。」なんて問いかけてきた。
わたしが「服を全て替えてしまったのは伯爵でしょう。数着くらい残してくださっても宜しかったのでは?」とやや恨みがましく言ってやれば、「そうか、では明日にでも数着服を返そう。」そう平然とした様子で言う。
切れ者なクセにこういう細かい事になると適当なのは何故だろうか?
とりあえず伯爵が座るソファーから一歩下がった位置に立つ。二人でいる場合は気にせず横なり前なりに座るのだけれど、お客様がいる場合はわたしは立っているのが常識なのだ。
わたしと伯爵のやり取りを見ていたエドウィンさんはどこか感心したような雰囲気を滲ませる。
「本当に伯爵の近侍だったんだな。」
「そのご様子ですと、もしやわたしの事をお疑いでしたか?」
「いや、その若さで伯爵の近侍を務めている事に驚いただけで、君を疑っていた訳では…。」
確かに、普通は経験豊富な執事やそれなりに年を重ねた者が近侍を務めるべきなのだろう。
わたしみたいに若い者を傍に置くなんて本来はしない。…伯爵はそういうところに余りこだわりが無いらしく、使えるから置く、使えなければ使えるように鍛える。そんな感じの人だから身分なんて結構二の次扱いだったりするのだ。
「分かっております。申し訳ございません、少々わたしも意地の悪い事を申してしまいました。」
そこで話を戻すようにわたしは小さく微笑して伯爵へ視線を促す。
律儀にも会話が済むまで待ってくれていた伯爵は、飲んでいた紅茶のカップをソーサーごとテーブルに戻した。
「話を戻すが、貴方に協力してもらいたい事は三つある。」
ようやく真面目な話に軌道が戻ったからかエドウィンさんも背筋を伸ばし、伯爵の言葉を聞き漏らさぬよう耳を傾ける。
エドウィンさんに協力してもらいたい事…警察の出来る範囲での話だ。
一、彼同様に見回りをしている警察にわたしの外見的特徴と伯爵の近侍である旨を伝え、囮捜査である事を広めておく。
二、警察の資料の中から傷害事件もしくは誘拐事件――それも被害者が十代半ば程――を起こした犯人を調べること。
三、何時でも出られそうな者を何人か集めておくこと。
この三つがエドウィンさんに頼みたいことだったらしい。
一は分かるが、二は絶対に調べるのが面倒で押し付けたんだと思う。三は前回のわたしの件を考えて頼む事にしたらしい。
そこは申し訳なく思う。でもあれだってワザと捕まった訳ではないのだ。
「人員確保と囮捜査の旨は明日にでも伝えます。」
「あぁ。資料の方に関しても早急に頼みたい。」
「分かりました、何人か声をかけて調べておきます。」
「それは助かるな。」
…この二人、案外良い組み合わせなんじゃないの?
スムーズに会話が進んでく伯爵とエドウィンさんを見ながらそんな風に思う。
どちらも真面目で仕事に関しての責任感は人一倍あるし、何となく雰囲気も似ているし。
……これからの事件もエドウィンさんに協力を仰ごう。
わたしが内心でそんな決定を固めていることなど露知らずに話を終えたエドウィンさんが立ち上がる。
帰るようで、伯爵に馬車まで案内するようにと言付かった。
それに頷きつつエドウィンさんを促して居間を出る。廊下の薄暗い中でランプ片手に歩いていると、少しだけ肝試し気分になってしまうのは仕方が無い。
電気のないこの世界はほとんどの照明が蝋燭なのだから現代人からすればオバケ屋敷だ。
エドウィンさんに玄関ホールで待っていてもらい馬車を磨いていた御者に声をかけに行く。申し訳ないがお客様を送ってもらいたい旨を述べると思ったよりもあっさり了承してくれたため、すぐに玄関へと向かう。
ホールに飾られた絵を見たり、シャンデリアを見上げてみたりしていたエドウィンさんは、やや落ち着かない様子だ。
貴族か大商人でもない限りはこれ程大きな屋敷に住むことなんで出来ないのだが、一般人からすれば居る場所に困るというか、本当に落ち着かない気分なのだろう。
わたしも始めの頃はそうだった。
「お待たせしました。御者に伝えて来ましたので、すぐにお送り致します。」
「手間をお掛けしてしまったな。」
「どうか、お気になさらずに。エドウィン様はご協力して下さる大切な方ですから、この程度の事は当たり前です。」
「………君はよく出来た人だ。」
エドウィンさんの言葉に、どういう意味かと聞き返そうとしたが御者が来てしまい、早々に乗り込んでしまったために聞くことが出来なかった。
お気をつけて、と言うと君も、と返される。それが囮捜査に対してのことだと気付く。
感謝の言葉を述べる前に走り去ってしまった馬車が見えなくなるまで見送ってから、わたしは屋敷の中へと引き返した。