SECOND CASO:Uomo-mangiando.
消し去りたい写真が堂々と新聞に載せられてから三ヶ月、ようやく冬の寒さが和らぎ、どこか春の始まりを匂わせるような温暖な日が続いていた昼下がり。
いつものように屋敷の居間でゆったりと読書をしながら寛ぐ伯爵の横で、羊皮紙と羽ペンを持ちながら私は四苦八苦していた。
この世界に来てだいぶ経つけれど、読み書きだけはどうにもなかなか上達しない。
そのため仕事がない時はほとんど読み書きの練習をしている始末である。
だが羽ペンというのはシャープペンのようにずっと書ける訳ではないので、すぐにインクに付けなければならないし、羊皮紙も現代のように綺麗な紙ではないので所々で引っかかって滲んだりしてしまう。
オマケに―――…
「間違っているぞ。」
「え、どこがですか?」
「此処、綴りが一つ余分だ。」
トントンとわたしが書いたばかりの単語を指差す。
練習用にと伯爵がくれた本で確認すると、確かに一文字綴りが不必要だった。
仕方なく無駄な綴りに斜線を引いてから横に正確な単語を何度か書いていく。
読書をしながらもこちらを見ている伯爵に、なんだか小学生に戻ってしまったようで居た堪れない。
早く終われー、早くティータイムになれー、と内心で祈りながら羽ペンを動かしていれば、祈りが通じたかのように居間の扉がノックされる。
「入れ。」
伯爵の言葉と同時に扉が開いた。初老の執事が頭を下げる。
「リディングストン家のご令嬢がいらっしゃいました。」
「シャロンか。通せ。」
「畏まりまして。」
執事が下がって、すぐにドレスを纏った美女が居間に入ってきた。
蜂蜜色の柔らかなウェーブを描く髪に翡翠色の宝石のごとき瞳、ビスクドールと見紛うほどの白く滑らかな肌。
女性らしい凹凸のある豊満なラインはドレスの生地に隠れているものの一目で分かるくらいメリハリがあった。
ハッとするような美しさを持つ女性に、わたしが立ち上がって頭を下げると、彼女は軽く手で制する。
「気にしないで頂戴。」という言葉に頭を上げた。
グロリア=シャロン=リディングストン嬢。代々に渡って警察を束ねてきた名門貴族のご令嬢である。
伯爵のご友人であり、結婚するとしたら最も伯爵に釣り合う方だ。
…ただしどちらもその気が全くないという残念極まりない状態だが。
シャロン嬢は見た目とは裏腹にかなり豪胆というか、豪快というか、とりあえずこの世界の女性にしては随分快活な人だ。
女性は楚々としてあれという伯爵と恋愛にもつれ込まないのはそのせいかもしれない。
そこまで考えてスルリと腰を撫でる感覚にぞわりと背筋を悪寒が駆け抜ける。
「っ…!」
サッと離れれば、そこにはシャロン嬢の手。…全くこの人は!
伯爵が座る椅子の後ろまで下がったわたしに彼女は笑う。
「あら、そんなに逃げなくても良いじゃない。」
「…お前は相変らず変態だな。」
「失礼ね。素敵な殿方がいれば粉をかけるくらい女の嗜みよ?」
「やり方が問題だと言っているんだ。」
二人のやり取りに苦笑してしまった。
何故か知らないがシャロン嬢には会うたびにセクハラを受ける。
同性同士なので本気で怒れない分、性質は悪いが、身分の高い貴族が使用人にこうも気軽に接せられる辺りはすごいと思う。
普通は使用人は屋敷の備品にしか扱われないものなのだから、伯爵と言い彼女と言いわたしを優遇し過ぎだ。
早くなっていた鼓動が落ち着いたわたしが椅子を引くとシャロン嬢は綺麗な所作でふわりと椅子に腰掛ける。
冷めかけてしまったティーカップを下げ、代わりを廊下にいたメイドへ頼む。
すぐに運ばれてきたそれを二人の前へ置けばそれを合図にシャロン嬢が口を開く。
「分かっているとは思うけれど、今日は貴方に仕事を依頼しに来たの。」
カップを傾け、香りを楽しんで、一口飲む。優雅な姿はまさに名門貴族のご令嬢だ。
伯爵も同様に紅茶を楽しみながら、それでも視線はシャロン嬢に向けたままブルーグレーの瞳を細める。
「少年ばかりが失踪している件か、それとも四肢を切断された大男の件か。」
「…今回は前者の件よ。」
ピタリと当てた伯爵の言葉に一瞬翡翠の瞳が見開かれたがフッと感心した様子で緩む。
伯爵は普段、あまり好んで自ら動くような人ではないけれど、この世界の人々からすればかなりの知識人で、色々なことに精通している人でもある。
何より彼は頭の回転が早い。
恐らく毎朝目にする新聞で取り立たされる事件から、仕事に来そうな事件をいくつかピックアップしていたに違いない。
ふと視線を感じてシャロン嬢へ視線を移すと翡翠の瞳が何故かわたしを見つめていた。
「貴方の大切な近侍が丁度、被害者の方々と共通点があったものだから気になったというのもあるのよ。」
「此れと?」
これ言うな。というか物扱いしないでください。
「そうよ。十二から十六歳で綺麗な男の子ばかり狙われているのだから、ピッタリでしょう?」
「じ、十二から十六ですか。…伯爵、笑うか飲むかどちらかにしてください。」
完璧に年齢を勘違いされてしまっている。
これでもわたしはれっきとした十七歳で、伯爵もそれは知っている。
もちろんシャロン嬢がそれを知るはずがないのだから仕方のないことだけれど、紅茶の入ったティーカップを傾けつつも肩を震わせている伯爵を思わず睨んでしまう。
微塵も悪いと思っていなさそうな声音で「あぁ、すまない…。」と言った伯爵はカップを戻すと手で口元を隠した。
日本人は若く見えるというが、刑事にしてもシャロン嬢にしても、わたしはそんなに実年齢より幼く見えているのだろうか?
元の世界では逆に実年齢より一つか二つ年上に間違われてばかりいたので、なかなか年下に勘違いされるのには慣れない。
あまり嬉しく思えないのは何故だろう?