「どうかしましたか?」
道を開けてくれた警察に声をかけられて、ようやく我に返る。
何でもない事と通してくれた事に感謝しつつ伯爵の元へ行くと、話をしていた彼が振り返った。
傍には少し強面で体格のガッシリとした刑事が立っていてその人もわたしを見る。
いや、他に来ていた警察の人々も何故子どもがいるんだという目で見つめてくるけれど、もう慣れてしまったので気にするのもアホ臭い。
「伯爵、お早い御着きですね。」
「偶然だ。お前は娼婦に会いに行く途中だったか?」
「えぇ。全く、せめて話をしてからにして欲しかったですよ。」
「……伯爵、こいつは誰ですかい?」
わたしと伯爵を交互に見てから大柄の刑事が伯爵へ聞く。
近侍だと紹介されたので胸元に手を当てて会釈する。
刑事は何とも言えない顔でわたしをマジマジと見てから伯爵に向き直った。
「こんな子どもに手伝わせてるんですか?」
失礼な。そう思っていると伯爵が頷く。
「あぁ、これはよく働くし勘も鋭い。何かと重宝している。」
「けど子どもですぜ?あんまり血生臭い事件に関わらせるのは…、」
「それについては私よりも慣れが早かったから問題は無い。」
「…失礼ですが刑事さん、わたしはこれでも十七ですよ。それに伯爵も子どもという点を否定してください。」
本人を差し置いてペラペラと会話を交わす二人に言えば、刑事は驚いた表情でわたしを見て、伯爵は口角を軽く緩めて「そうだったな。」と悪びれた様子がない。
刑事はわたしを実年齢よりも下に見ていたらしい。
日本人の童顔は世界を超えても通用するみたいだが、あまり嬉しくないのは何故だろうか?
っと、そんなことはどうでも良い。
「それより、飛び降りた方は?」
「医師に診せている。だが命に関わる程の大事にはならなかったようだ。」
「そうですか。ですが何故彼女は飛び降りたのでしょう?」
「さぁな。」
歩いて娼館に行くと三階の窓が開け放たれていて、その下の土に少し血が滲んでいた。
十階ならともかく三階では本当に落ち方か、打ち所が悪くない限り死ぬことはないだろう。
が、落下地点を見てふと違和感を感じた。
何か引っかかる。これを自殺と決めるには何かがおかしい。
もう一度窓を見上げた時にその違和感の理由に気付く。
「伯爵、刑事さん。…今回の飛び降りはもしかすると自殺ではないかもしれません。」
「…何?」
「どういう事だい、坊主。」
「坊主は止めて下さい。わたしはセナです。」
一応訂正を入れたがブルーグレーの瞳に促されたので、伯爵から杖を借りて地面に簡単な絵図を描く。
窓の開いた娼館を二つ。わたしの描いた絵を伯爵と刑事が覗き込む。
「まず、普通に自殺をした場合をご説明します。」
杖で落下地点に×印を描き、そこへ窓から緩く弧を描いた矢印を付ける。
「普通に飛び降りる際は本人の意思で飛びますので、大抵の場合落下地点は飛び降りた建物…今回で言うならば娼館からやや離れた場所に落ちるはずなんです。――…でも、」
もう一つの娼館の絵の真下に×印を描いて真っ直ぐに落ちる矢印を付け加えた。
「もしも第三者に突き落とされたり、無理矢理身を投げ出すような格好になると落下地点が変わります。娼館に近く、窓の下の物や壁にぶつかって体に傷も出来ます。…わたしの見解からしますと今回の飛び降りは少々落下地点が壁に近過ぎる気がしてなりません。」
「飛ぶのが怖くて窓から滑り落ちるようにしたんじゃないか?」
刑事の言葉は確かに一理ある。
「そうかもしれません。ですが、構造を見る限り窓からそのまま滑り落ちれば二階の窓の柵や植木鉢などにぶつかってしまいます。…ぶつかると分かっていながらそんな飛び降り方をするでしょうか?」
わたしの言葉に伯爵はふむと顎に手を添えて考える仕草をした。
部屋を見たいと唐突に言い出して、刑事は一度きょとんとした顔をしてから頷いた。
わたしも二人の後ろについて中へ入れば一階では泣いている娼婦が数人いて、震えながら身を寄せ合っている。
何でも被害者が落ちる所を彼女たちは偶然見てしまったらしい。
目の前で人が落下する場面など見てしまったのなら、さぞ怖かっただろう。
彼女たちに数人の警察が話を伺っていたが恐らくロクに話など聞けていないと思う。あんな状態では思い出しては泣き出してしまうという繰り返しに違いない。
少々間を開けてからの方が良い。
「…セナ。」
名前を呼ばれて顔を戻すと伯爵と刑事が階段の途中で振り返ってわたしを見ている。
謝罪して伯爵の下へ足早に近付けば二人は歩き出す。
そのまま三階まで一気に上がって問題の部屋へ行くと数人の警察が部屋を物色していた。
…一体警察では何を教えているんだか。
随分ごちゃごちゃにされた室内を見回して思わず眉を顰めてしまう。
「刑事さん、事件現場での鉄則をいくつかお教え致しましょう。」
「あん?」
今まさに葉巻へ火を付けようとしていた刑事に言う。
「現場の物に素手で触れない事、物に触れても元通りに戻して現状を維持する事、それから現場で葉巻やパイプを吸ったり匂いの強い物を持ち込まない事です。犯人を示す証拠があっても素手で触ったり移動させたりしては消えてしまうかもしれません。匂いも犯人に繋がる重要な要素の一つですよ。」
思い当たる節があったのか刑事は少しバツが悪そうな顔で葉巻を仕舞った。
伯爵は成る程と言うが、こんな当たり前の事が実行されていないのでは犯人がなかなか特定されないのも当たり前である。
ウロついていた警察を部屋から追い払ってから窓を見た。
縁に触れてみるが土汚れは見られない。カーテンが片方だけ纏められておらず、纏めるための紐が床に落ちてしまっていた。
カーテンに鼻を寄せると甘い香りがする。
被害者の死体や、死体発見現場で嗅ぎ取った匂いで、何より驚いたのはつい先ほど全く良く似た香りをわたしは嗅いでいた。
あの線の細い優男だ。
まさかとは思うが匂いが似たものである以上は何とかあの男性を探し出さなければならないだろう。
「…参りましたね。」
「どうした?」
「飛び降りの可能性も低いですが、もしかするとわたしはつい先ほど連続殺人犯と言葉を交わしたかもしれません。」
「どういう事だ。」
飛び降りたなら窓枠に履いていた靴の土汚れが微かでもあるはずだという事と、死体発見現場や被害者の死体、この窓のカーテンについていた残り香とよく似た香りを纏わせた男性に騒ぎの内容を教えてもあったことを伯爵と刑事に話す。
男性は線が細く優しげな顔立ちをしていたと告げたが、それだけでは犯人を絞り込めないと言われてしまった。
香りについては刑事も伯爵もカーテンから匂いを嗅ぎ取ることは出来なかったようだ。
部屋に被害者の香水の香りが充満しているのが原因だろう。
まるで犬のようだと褒めているのか貶されているのか分からない言葉を刑事からもらったけれど、とりあえず褒め言葉として受け取っておくことにした。