まだ昼間だと言うのに薄暗い路地の奥には既に獲物を探すような目をした男たちが端に置かれた木箱や樽などに座ってこちらの様子を窺っている。
ユスリウも若干荒れてはいるがアラウンドに比べれば可愛いものだ。
スリに合うこともないし、こうして歩いていていきなりナイフを持った男に飛び掛られる心配もない。
懐中時計で時刻を確かめればまだ午後の三時前。恐らく今頃伯爵はティータイムでも楽しんでいるのではなかろうか。
ユスリウの端まで行くのは言葉にすると簡単だが結構骨が折れる。
今いる場所から少なくとも五キロ近くは歩かなければ端には到着しないし、アラウンドストリートへ行くとなるとまた時間がかかってしまう。
けれど出来るだけ今日中に終わらせてしまいたいし。
軽く溜め息を吐き出していると後ろから走って来た馬車がわたしの真横でピタリと止まった。
「久しぶり、セナ!」
馬車の窓を勢いよく開けて声をかけてきたのは伯爵の御友人グロリア・シャロン・リディングストン様の弟君のキース・エンバー・リディングストンである。
ちなみに彼はわたしの良き友人だ。
「お久しぶりです、キース。このような所で御会いするとは珍しいですね。」
「今日は姉さんにちょっと頼まれてさぁ。まぁ、そんな事よりセナこそこんな所で何してるんだよ?」
すごく浮いてるぞ。と言われて苦笑してしまう。
上質な使用人の服を纏った年若き少年が花街をウロついていればそりゃ浮くはずだ。
「今日は‘お仕事’でこちらに。」
「成るほどね。で、これからどこ行くんだ?」
「ユスリウの端とアラウンドへ…そうですね、後五件程回ります。」
「はっ?!歩きで?!!」
はいと頷くと彼は「伯爵も人使いが荒いなぁ。」と呆れ気味な顔をしていたので、一応否定しておく。
調べろと言われたが今日中という訳ではない。
ただ少しでも早く情報を集めた方が良いだろうというわたしの独断で今日中に終わらせようとしているだけだと伝えれば、今度こそ呆れの含んだ声で「お前働き過ぎじゃない?」と言われる。
「あ、良ければ送って行こうか?俺も後でアラウンドに用事があるし。」
「そうですか?ではお言葉に甘えてご一緒させていただきます。」
「なら乗れよ。」
手で扉が示され、話を聞いていた御者がわざわざ開けてくれる。
それに礼を述べながら馬車へ乗り込めば彼の他に可愛らしい少女が一人乗っていた。
少女は目が合うと頬を赤く染めてサッと視線を逸らしてしまった。
二人の向かいに座ればキースがわたしと少女を交互に見てから笑う。
「あぁ、彼女は俺の従姉妹。ちょっと訳あって名前は言えないけど、ティアって呼んでやってくれ。」
「はい、分かりました。…初めましてティア様、私(わたくし)の名は瀬那(セナ)と申します。」
馬車の中なので仕方なく深めにお辞儀をして自己紹介すれば少女が小さな声で「初めまして、」と応えてくれた。
どうやら恥かしがりなようで、やや俯いたままドレスのレースを直したり髪を整えたりと落ち着かなげにしている。
キースが気にした様子もないことから普段から彼女はこんな風なのだろう。
あまり見ていては失礼に当たるのでキースへと視線を戻す。
「本当に助かりました。ありがとうございます、キース。」
「気にするなって、友人同士遠慮は無しだろ?」
「そうでしたね。」
偶然の出会いだったとは言え何かと馬の合った彼とは随分親しくさせてもらっている。
伯爵に勝るとも劣らない身分の貴族の子息と友人だなんて、使用人には過ぎた待遇だけれど本人にそれを言うと怒るので言わないが。
「で?今日はどの事件を調べてるんだ?」
聞かれて、チラリと視線をティア様へ向けたわたしにキースは大丈夫だと頷いた。
下手に見知らぬ者へ情報を流す訳にはいかないからだ。
彼もそうではないかと思うだろうが、別である。リディングストン家は代々警察を束ねる貴族であり、伯爵との交友も深く、信頼も厚い。
よく事件解決に一役買ってくれるため彼らの一族ならば問題もない。
「最近起こっている娼婦の連続殺人についてです。」
「あー、あれか。姉さんも手に余って困っていたから、そのうちルベリウス様のとこに行くかもとは思ってたけど。」
「今日はその被害者について調べようと思いまして、娼館を回っている最中だったのですよ。」
娼婦、娼館という言葉にティア様が少し眉を顰められた。
貴族の女性からすれば娼婦は己の身を売って金を得る最低な人種と思われているのだから仕方ないだろう。
けれどわたしは誰に対しても分け隔てなく接したい。
娼婦だとか浮浪者だとか、地位を重視する者たちのように己よりも下位の者たちを見下したりしたくはないのだ。
この世界にいてもわたしは現代に生まれたわたしであって、この世界の人間ではないから。
早く解決してくれよと軽い調子で言ってくるキースに笑い返しながらも少女を見る。
どれほど地位が高くとも、どれほどの名門貴族に生まれようとも、皆同じ人間なのだということを何時か分かってくれればと思う。
そんな事を話しているうちに馬車の速度が落ちて停車した。
車窓を見ればもうユスリウの端に到着していた。さすが馬車は早い。
「ではわたしは行って来ますが、どうされるので?」
「俺たちは適当にそこら辺でも見ながら待ってるよ。」
「出来る限り早めに終わらせて参ります。」
「あぁ。」
二人が馬車から降りて近場の装飾品を売る店に入るのを確認してから、わたしも目的の店を探し出す。
あまり目立たない場所にあったその店はそれでも、それなりに売り上げが良いのか外見はこざっぱりとして綺麗だった。
扉を開けると中にいたのは二人の女性だけ。
鮮やかな色合いのドレスに身を包み、胸元の開いたそれは実に扇情的だ。
客だと思ったのか立ち上がりかけた二人を軽く手で制す。
「このような昼間に申し訳ありません、わたしはアルマン家の者です。昨夜発見された方がこちらで働いていたと聞きまして――、」
「あの子のこと?警察にもう話したけど…。」
「いえ、お聞きたいのは警察に話した事とは別のことです。…亡くなる数日前に高価な指輪を彼女はつけていませんでしたか?」
双子のどちらかの指にあった指輪、第五の被害者がつけていた指輪。
もしかするとこれらの指輪は犯人が彼女たちの気を惹くために贈った物ではないだろうか?
そういえばそんな物を付けていたわと頷く二人の女性に、ピンと頭の中にその考えが閃いた。