食事を終えた頃にタイミングよく店の扉が開いた。
旗を指先で回してた志貴は振り返らなかったが、横にいた兄とマスターは顔を上げて珍しい人物に軽く驚いた。
泰河と銀二が二人揃って、それも昼過ぎに現れるなんて珍しい。
大抵二人とも夜遊びのせいで昼くらいまで寝ていて、早くても二時や三時前後に訪れる。
どこかのチームを潰すという話も聞いていない。
カウンターまで来た二人も志貴とその兄を見て少し瞠目した。
「あー!昨日の子だぁーっ!!」
うるさいくらいの大声で指さされてもどこ吹く風。
志貴は手元の旗に夢中で聞いちゃいなかった。
それに対して銀二がまた眉を顰めて感じワル〜と怒ったが、兄が仲裁に入る。
その様子を泰河は一瞥してから志貴に視線を向けた。
志貴が着ている服に見覚えがあったのだ。それもつい数時間前、自分の住むマンションから偶然見た人物と全くソックリな格好である。
小柄という点でも同じ。
何が楽しいのかくるくると手元で小さな旗を回している志貴の隣りに泰河は座った。
ふとその膝に一冊の本があることに気付く。
本が好きなのか?疑問に思いつつも旗に視線を釘付けにしている志貴に声をかけた。
「お前、朝海に行ったか?」
ゆっくりと顔を上げた志貴が数回目を瞬かせてから頷く。
「行った。朝日、見に。」
「何時も行ってんのか?」
「ん、毎日。…朝日浴びると、新しい自分になれる気がする。それにきれい。」
泰河は自分の予想が当たり驚いた反面、目の前の志貴が自分の周りにいる女と随分毛色が違うのだと気付く。
「志貴。」
「あ?」
「名前、志貴。…ハデスは?」
唐突過ぎて一瞬何のことだと眉を顰めてしまう。
志貴の言葉は端的で一発で意味を拾うのは難しかった。
「泰河だ。」
「たいが?」
「あぁ。」
まるで小さな子どもを相手にしているような感覚で、見た目からしてそう歳も離れていないはずなのに何故だろうか?
兄の朱鷺へ視線を移せばバッチリ視線が合った。しかし苦笑するだけである。
志貴はしばらく旗を弄っていたけれど不意に思い出したように泰河へ本を差し出しだ。
あまり厚くもなく、薄くも無い文庫本だ。
受け取らずにいるとズイと押し付けられる。
「読んで。ハデスの本。」
「…神話か?」
「そう、一番のお気に入り。」
パラパラと中身を見れば活字だらけ。本を読むことは嫌いではないが、あまり進んですることでもない。
久しぶりに見る活字をどこか懐かしく思いながら泰河は本へ視線を落とす。
志貴はそんな泰河をぼんやり眺めながら偶に指先で旗を弄くって時間を潰したりしていた。
頭の一話だけ読み終えた泰河が顔を上げると志貴の硝子玉のような黒い瞳とかち合った。
何となく己の感想を待っているような気がして泰河は口を開く。
「意外と面白いな。」
「うん。」
「カミサマってのも人間クセェ。」
「うん。」
返事は同じだったが顔は少しだけ笑っていた。
口角を僅かに上げる程度だったけれども無表情が微笑に変わるだけで随分と印象が変わる。
ふにゃりとした笑顔は本当に子どものように純粋で、一瞬だけ泰河は見惚れてしまった。
そんな笑みを浮かべ、なおかつ自分に向けてくる人間など一人もいなかったから。Prev Novel top Next