「――…っ!!!」
バッと飛び起きる。
勢いのせいかベッドが小さく悲鳴を上げたが、それよりも額に張り付く髪の不愉快さに志貴は微かに眉を寄せた。
嫌な夢を見た。もう何百回も見慣れた夢だった。
外はまだ闇に彩られたままで、時計を確認すれば午前二時である。
眠れたのはせいぜい一時間半といったところか。
微々たる時間ではあったが眠れただけ良しとするべきだ。
ベッドから起き上がり、机のスタンドライトを点けて座る。
机の端に寄せて積み重ねられた本の一番上にあるものを取り、開く。
見慣れた活字の広がるページ、その文字を指でなぞりながら読むだけで早鐘を打っていた心臓がゆっくりと落ち着きを取り戻す。
本はどれもギリシア神話にまつわるものばかりだ。
ページを捲る度に紙の擦れ合う音だけが響いている。この間だけは心静かになれて落ち着く。
一、二時間ほどかけて志貴はその一冊を読み終えた。
それは極一般的なギリシア神話の本で、数多くの話を短くかつ簡潔に載せているもので、気に入った物語のあるページには付箋が挟まれている。
神様の話だと言うのに神話で描かれる神々はどうしてか人間よりも人間臭い。
志貴はそんなところが好きだった。
読み終えた本を元あった場所へ戻してから自室を出る。
朝早いせいかリビングには誰もいない。
とは言え、いたとしても一緒に暮らしている兄くらいなものなので元より期待はしていなかった。
冷蔵庫から野菜ジュースを取り出して飲む。
ラッパ飲みしてよく兄に注意されている事を途中で思い出したけれど面倒臭くて忘れたフリをする。
ペットボトルの三分の一ほど飲み干してから時計へ視線を投げかけた。
まだ四時半過ぎ。人気も少なく丁度良い時間かもしれない。
顔を洗い、部屋に戻って服を着替えると薄手のジャケットを羽織り、隅に置いてあった鍵とヘルメットを持つ。
元々クセのない髪なので軽く櫛を通せば寝癖はすぐに治まった。
外に出て庭先に置きっぱなしにしてある原付きを道路に出して跨る。
ヘルメットを被り、鍵を差し込んでエンジンをかければ静かなエンジン音が朝の空気に溶けていく。
右手のハンドルを捻ってゆっくりと発進させた。
流れて行く暗い景色と朝の少し涼しい空気の中を意味もなくダラダラと走り抜けつつ、向かうのは海辺にあるお気に入りの場所。
行く途中にあるコンビニでお茶を買い、三十分ほどかけて着いた海岸の堤防の上に原付きを止め、そこから砂浜へ下りて行く。
朝焼け見ながら海辺でぼんやり過ごすのが志貴の数少ない好きなことの一つだった。
傍に落ちていた比較的綺麗な流木に腰掛ける。
ぼんやりと明るくなっている空の向こうの水平線を眺めながらお茶を一口飲む。
だんだん明るくなる空と顔を出し始める朝日を目を細めながら志貴は見つめていた。
昇るのに要した時間などほんの数分のことだろう。
まだ弱い朝日の光りを浴びながら目を閉じた。
新しい一日の始まり。
何かずっと昔に失くしてしまったものを取り戻せるような気がして毎朝のように訪れているけれど、結局は‘気がする’だけで何かが変わったことはない。
潮風独特の磯の香りと穏やかな波の音に感覚を澄ませる。
道路を走る車もなく、出航している船もなく。
人工物が生み出す音のない静かな世界にいる時が一番落ち着く。
ふわりと掠めていく風に髪を遊ばせながら、自然が作った音色に耳を傾けた。Prev Novel top Next