(NG02シーン TAKE1)
そして店内の隅、観葉植物でやや隠れた位置にあるテーブル席へ腰掛けた。
数ヶ月前から通い始めた紗枝の定位置がここだった。
窓際でブラインドを半分ほど下すと日差しが心地好く当たり、人目に付き難く、レコードのスピーカーからは一番離れているため音楽に邪魔されずに読書を出来るピッタリの場所。
肩にかけていた鞄を隣の椅子に置いて今日買ったばかりの本を取り出す。書店名がプリントされた紙のブックカバー越しに触れる硬い表紙の厚みと重さに、しばしの間うっとりと感じ入ってしまう。
文庫本も出ている本だが、紗枝は断然ハードカバー派で、一冊千五百円以上するそれは一女子高生からすれば随分高価な買い物である。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
テーブルの上にはこの店オリジナルブレンドのホットコーヒーとレアチーズケーキのセット。ケーキは他にも三種類あるものの、紗枝はいつもこれを頼んでいる。
まず一口コーヒーを飲んだ紗枝は思わず声を漏らした。
「熱っ!」
紗枝は猫舌だった。
(NG02シーン TAKE2)
ゾッとする序章を読み終えて、放置していたケーキを少しつつく。
チーズとレモンのまったりした香りにコーヒを含めば心地好い苦味が気分を引き締め、一息ついたところで手元の本へ視線を落とす。
一般人の主人公が事件に巻き込まれながらも自身の身の潔白のために奔走する話らしい。
登場人物の名前は覚えやすい上にそれぞれ個性的な特徴があり、平々凡々で地味なタイプの主人公との掛け合いも小気味良く、その一方で悪役である犯人が非常にシニカルで魅力あるサイコ系なのが面白い。
切迫した心理や状況描写の上手さがスプラッター映画さながらなのも凄い。
あっという間に第一章を読み終えてしまった紗枝はコーヒーに手を伸ばし、カップに口を付けて傾ける。
冷めていても美味しいコーヒーに自然と笑みが浮かぶ。
次の章へ続くページに手を伸ばして捲ろうとした。
「紗枝さん、今撮影中ですよ」
「!」
新見の声にハッと我へ返った紗枝は顔を上げる。
カメラマンとその向こうにいる監督や冬木が声もなく笑っていた。
目の前にいる新見は困ったように微笑していた。
「す、すみませんっ」
「いえいえ、紗枝さんは読書好きなんですね」
「……はい」
撮影中は読むふりに留めようと誓った紗枝であった。
(NG03シーン TAKE3)
フルネームを呼ばれて一瞬息が詰まった。
顔を上げた先には申し訳なさそうに眉を下げた、いかにも穏和そうな男が、紗枝が席を立つのを待っている。
高校と名前、外見を知られてしまえば住所を探し当てるのも時間の問題だろう。
小さく溜め息を零し、鞄に本を仕舞うと肩へそれをかけて立ち上がった。
男は手早く会計を済ませると雑居ビルを出て斜向かいのコインパーキングへ行き、一台の車に乗って出て来る。
漆黒のジャガーはフルスモーク仕様の窓になっており、運転席から降りてきた男が後部席のドアを開ける。
覚悟を決めて乗り込めばドアが閉められた。
運転席に男が乗ると全てのドアにロックがかかる音がした。
シートベルトをして走り出した車は流れるように道路を滑る。
すぐに大通りに出て駅の方へは行かずにしばらく走り続けると高級店の立ち並ぶ場所へ出て、そのうちの一つの地下駐車場へ乗り入れる。他にも高そうな店があったけれど、ここは一等敷居が高い店であることは周りに並んでいる車達をして明白だった。
「どうぞ」
開けられた後部席のドアから降りる。
ごん、と音が響いた。
「痛っ?!」
出入り口の上部に頭をぶつけた紗枝は悲鳴と共に蹲る。
あんまりにも良い音がしたので新見は思わず目の前の頭に触れた。
「大丈夫ですか?…こぶはないようですね」
「うう…痛い…」
「ちょっと冷やしてもらいましょうか」
心配そうな新見の向こうで冬木が声もなく爆笑している。
紗枝はそちらを睨んだが冬木を逆に笑いの渦に落とすだけだった。
(NG03シーン TAKE4)
‘五代目岡止組 若中 冬木東吾’
裏返すと住所と携帯のものらしき電話番号が手書きで記されている。
岡止(おかと)組といえばこの近辺に本部を置く大きな暴力団の名前だ。時折ニュースで挙がることもあれば、地元住民の間でも結構有名で、警察からマークされているとも聞く。
名刺と冬木の顔を思わず交互に見て、また新しいことに気付いた。
今まで隠れていた顎に近い左頬から耳と首の付け根辺りまでケロイド状の火傷跡があった。元が白いだけに赤黒く引き攣れたそこは整った顔と同じくらい人目を引くだろう。見る者によっては宝石についた瑕(きず)と思うかもしれない。
だが紗枝はそれを右目で一瞥すると興味を失くした様子で視線を顔に戻す。
時には事故や火事に遭って死ぬスプラッター顔負けの人間を左目で視ることのある紗枝からしたら、ケロイドの一つや二つで動じるほど柔い精神は持ち合わせていなかった。
「一応聞きますけど、これ偽物じゃないですよね?」
「ああ?本物に決まってんだろうが」
「すみません、疑り深いもので(これ売ったらいくらになるんだろう)」
ヤクザの上部、それもこんな美形の連絡先なら欲しがる人は結構いそうだ。
ついレストランの煌びやかな明かりに名刺をかざして矯めつ眇めつしてしまう。
「テメェ今良からぬこと考えただろ」
「えっ?(何でバレた?!)」
「顔に書いてあるっつーの」
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