どこかで見たことのある金槌のグリップを握り込む。
先端の槌の部分がずっしりと重い。
それを持ったまま声だけで冬木に問う。
「冬木さん、この二人を助けてもらえませんか」
形だけの懇願に低い声が背に降りかかる。
「そりゃあ無理な相談だ。女は売りに出すにはトウが立ち過ぎてるし、男一人内臓売っても四百万には足りねぇからなぁ。両方仲良く仏サンになってもらうか」
「それを聞いて安心しました」
これで先ほどした口約束は果たした格好になる。
紗枝が一歩近付くと女が嫌々と首を振った。
もう一歩近付くと今度は許して、なんて叫び声を上げた。
それを無視して金槌を振り上げた。
一回、肘掛けに縛られた手の上に叩き付ける。
二回、今度はその手首に振り下ろす。
三回、四回と肘へ向かって金槌を振った。
隣の男が真っ青な顔で声もなくこちらを凝視しているが、女の叫び声が響く度にビクリと体を竦ませ、それでも恐ろしさからか顔を逸らせずに涙している。
左腕が血だらけになる頃には痛みのせいか開けっ放しの口から涎が垂れていた。
一旦止めると気を失ったのか失禁し出す始末である。
慣れない荒事に肩で息をしながら紗枝は工具を手離した。
全力で握り締め、振り回した手が震えていて、そのせいで重たい金槌を取り落としたといった方が正しいかもしれない。
また両手で顔を覆うと、今度は泣いていた。
「…こんなことなら、わたしも生まれたくなかった…」
無関心な戸籍上の父、腫れ物に触るような義母、何も知らないだろう義兄、生んだ張本人の癖に事実を知らない実母、どこかで生きているだろう実母の兄である紗枝の実の父親だろう伯父。
何もかもが嫌になる事実に涙が零れ落ちる。
閉じたままだった左目を開ければ目の前には焼け爛れた二つの死体が視える。
「…もういいです」
ぐすっと鼻をすすらせた紗枝が冬木の下へ戻る。
この二人は死ぬんだ。いい気味だ。
「本当(マジ)で良いのか?殺っちまうぞ?」
「はい、もうおかあさんもおとうさんも要りません」
「そうか」
ぽんぽん頭を軽く叩かれ、冬木が脱いだスーツを紗枝の肩にかける。
スーツの下はワイシャツとサスペンダーという格好の冬木は袖を捲くり、床に落ちていた金槌を片手で悠々と拾った。
その顔には何の表情も浮かんでいない。
振り上げた金槌が女の右手に埋まると獣のような咆哮が上がった。
金槌の下の手は血だらけで潰れている。紗枝がするよりももっとずっと痛そうで、骨も砕けているかもしれないくらい勢いがあった。
それを気怠るそうな動作で冬木が繰り返す。
左手と同じく肘近くまで叩き潰された腕はもう使い物にならないだろう。
満足いったのか藤堂に金槌を渡すと今度は男の頬を拳で殴り付けた。
「待たせたなぁ、オイ。散々逃げてくれた礼はきっちり返してやるよ」
顔は見えなかったけれど、何となく嗤っているだろう気配はする。
紗枝の左目には焼死体が暴れている光景が見えた。
これから続くだろう暴行を思い、二人の男女の結末を視て呟く。
こんなひとたち、しんじゃえばいいんだ。
その場で声を殺して泣く紗枝に新見がハンカチを差し出した。
受け取ったそれで顔を拭うと滲んだ赤が付着する。
工具で殴っている間に飛び散ったものらしい。
顔を上げれば松田と藤堂も混ざって二人の男女に暴行を加える冬木が目に入った。
あんな事実を知った後でもスーツやハンカチを貸してくれる冬木と新見の変わらない態度が純粋に嬉しかった。悲しいほどにただ嬉しかったのだ。
ハンカチを握り締めて紗枝は目の前の出来事を黙って見つめ続ける。
それは男女の手足が潰されるまで終わらなかった。
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