岡止組白藤会(しらふじかい)事務所。
傍目には普通の雑居ビルの二階には岡止組の象徴である桔梗の代紋が描かれた幕が堂々と飾られている。
その前に置かれたデスクで書類を両手に持ち、肩と耳で携帯を挟んで電話をしているのは岡止組最年少の若中・冬木東吾という三十代半ばの男だった。
本来は岡止組組長の子分ではあるが、まだ年若いことと経験を積ませるという名目で組長の兄弟分で二次団体の白藤会に数年前より籍を置いている。
青みがかった黒髪をオールバックにし、端整な素顔と色白な肌をした男はスラリと長い足を組んだまま苛立たしげに眉を顰めて書類を睨む。覗き込めば青みがかっているようにも見えるダークグレーの瞳は抜き身のナイフにも似た冷たさを孕んでいた。
日本人離れしたその顔立ちは今は亡き祖母譲りのものである。
「ふざけてんのか? 期限はとっくに過ぎてんだよ」
色気のあるハスキーボイスは今までどれほどの女達を酔わせて来ただろうか。
しかしながら現在は冷たい怒りの滲むそれに聞き惚れる者はいない。
「そんなモン知るか! 内臓(ナカ)売ってでも女沈めても払わせろ!! 足りねぇ分はテメェの指でも詰めるかぁ? オイ!!」
鋭く舌打ちを零すと冬木は一方的に通話を切った。
手にしていた書類を封筒へ入れると八つ当たり気味にデスクの引き出しへ突っ込む。
あまりに派手な音に隣の給湯室から新見が顔を覗かせ、困った風に眉を下げる。
今使っているデスクは元々あった物だが、冬木がそこへ座るようになってからは幾度となく引き出しの修理が施されている代物だ。
細身で組の中でも体格だけ見れば小柄な部類に入る冬木だが、外見通りの新見とは比べるべくもなく怪力で、ああ見えてもスチール缶を眉一つ動かさずに握り潰すことが出来る。
それが災いして過去に情婦や部下を何人も骨折させた前科もあった。
「お疲れ様です」
淹れたばかりのコーヒーを出すと一つ頷いて冬木はそれを口に運ぶ。
苦味は平気でも酸味はやや苦手な上司に合わせた味加減は今日も問題ないらしく、テレビを点けると黙々とコーヒー片手に冬木はニュース番組を眺め出した。
冬木の沸点はヤクザ基準の中ではかなり高い。
不機嫌になることはあっても、ちょっとやそっとの事では怒らないし、意外にも怒りを継続させる性質でもない。爆発すれば後はすぐに収まる。
予想通りしばらくすれば先ほどの怒りはどこへやら、ニュースへ意識を向けている。
だが決して温厚などではない。その証拠に組長から親子盃を受ける話が持ち上がった途端、自身の左顎から頭部の付け根にかけてケロイド状に広がっている火傷をつくった実の両親を殺し、組長を‘親父’と慕うようになったくらいだ。
そうしてその背に吉祥天と桔梗の刺青を両腕の肘より先まで背負い、死んでもカタギには戻らぬと常日頃から宣言しているような男だ。
ふとそんな冬木の携帯がメールの着信を告げる。
画面を見たダークグレーの瞳が緩く細められ、へえと感心した声が笑い混じりに漏れる。
「見てみろ」
放られた携帯を受け取り画面を見遣れば、制服姿の三人の女子高生が写っていた。一人は建前とは言えど先日冬木の情婦になった柳川紗枝で、残りの二人は見知らぬ少女達であるが、写真の様子から見て紗枝の友人なのだろう。
三人ともテストの答案用紙を手に笑っている。
それぞれ科目は違うようだが高得点を取っていた。
特に紗枝が持つ古典と書かれた用紙には赤で100の数字、オマケに得意そうにピースサインまでしてアピールする姿に思わず笑みが零れた。
荒れた裏社会にはない穏やかな光景だ。
写真の下には‘満点取りました。ご褒美に画集を買ってください。’とおねだりの文句が続いている。今時の女子高生らしくない文字のみのシンプルな文面である。
「画集ですか」
洋服やバッグ、装飾品でないところが面白い。
しかし年頃の少女にしては些か地味だ。
「幾らするんだろうなぁ」
買ったこともない物の値段に冬木は首を廻らせた。
新見もその手の価格は知らぬものの、本であることを考えれば万単位はないだろうと当たりをつける。
「さすがに高くても四、五千円くらいだと思いますよ」
それでも本として見るなら十分高い部類だろう。
だが冬木は目を瞬かせて気が抜けた様子で頬杖をつく。
「何だ、そんな安いのか」
「これでも女子高生には高価な物なのでしょうね」
桁が一つ二つ違ぇなと笑った冬木は、新見から受け取った携帯で電話をかける。
相手は勿論メールを送った紗枝である。
すぐに出たのか冬木が携帯越しに画集の作者と値段を聞き出し、手近にあった用紙にメモを取っている。途中、新見にも聞こえるくらい大きな声がした。あの落ち着いた少女らしくないそれに、どれだけ欲しがっている物か分かる。
通話を切って差し出された紙には画集の作者の名前と値段が書かれていた。
聞き慣れない海外の作者だが、値段は五千円で十分釣りが来る額だ。
「後二冊欲しいけど、今回満点は一科目しか取れなかったから次に持ち越すだとさ」
全部ねだれば良いものを紗枝は自ら一冊で良いと言ったのか。
今まで冬木の情婦だった女達はブランドモノの高価なバッグや服、アクセサリーを湯水の如くねだってはすぐに飽きて何度も新しい物を要求した。
それなりに惚れていた女達だったけれど、会う度に何十万もする物をあれやこれやと買わされていればさすがに呆れて冷めるというもので、紗枝の庶民的な金銭感覚を冬木は逆に新鮮に感じた。
かく言う新見も同意見である。
「それはまた慎ましいことで」
「全く、他の女共に聞かせてやりてぇモンだ」
新見が冬木の指示で近くの書店へ届くよう注文を入れれば、二日後には届くとのことだった。
それをメールにて伝えるとすぐさま返って来る。
‘ありがとうございます。絶対その日は行きます。’にピンクのハートがいくつも点滅した文面から、紗枝の心情を如実に読み取った冬木は小さく噴き出した。Prev Novel top Next