「――…で、ユイちゃんに風邪引かせちゃった訳?」
呆れを多分に含んだ眼差しと声音にエリスは視線を逸らせた。
足の間に座る少女は居心地悪そうに首を竦めている。
薄着のままベランダで日の入りを眺めていたせいで、翌日少女は風邪を引いてしまった。
熱のせいかぼんやりとしている少女は普段なら絶対に恥ずかしがって嫌がるであろう格好にも反応がない。
されるがまま状態だ。
市販薬を与えても良いのか分からず、エリスはフェミリアの下へ少女を連れて来て、そして冒頭の台詞に至った。
少女に風邪を引かせてしまったのはかなりの大失態である。
フェミリアが相変わらず可愛らしい小さな紙袋を寄越してきた。
「はい、風邪薬と解熱剤。…あぁ、飲んで貰ってた薬の方は服用を中止して頂戴。こっちの薬とは併用しちゃダメよ?」
「分かった。」
少女に紙袋を渡すと、抱えるように大事そうに持った。
同じ時間外に出ていたが、日々体を鍛えている軍人のエリスは訳が違う。
これからはそういった側面にも、気を付けなければならないだろう。
呆れた顔をするフェミリアに軽く礼を述べて立ち上がった。
少女を片腕に座らせるように抱き上げる。首に控えめに回された腕に思わず和んでしまいそうになった。
「そう言えば、あのこと貴方に教えてたかしら?」
思い出したようにフェミリアが振り返る。
まだ何かあるのかと向ければ、そこにはもう何時も通りのニヤニヤ笑いを浮かべた顔があった。
「……何がだ。」
「麻酔弾でユイちゃんみたいに重度のアナフィラキシー・ショックを起こす割合って1/10000000の確率なのよー?」
それはまた随分な確率だ。
しかし何故、今その話を持ち出すのかエリスには意味が解らなかった。
「だから何だって言うんだ。」
早く帰って少女を休ませてやりたいと言うのに。
そんなくだらない話ならば切り上げてしまおうと、素気なく返す。
フェミリアはニヤニヤと嫌な笑みで言った。
「それだけ貴方とユイちゃんの出会いは凄い確率って話よ。羨ましいわ〜。」
全然羨ましそうに見えない、むしろ人をからかうのが愉しくて堪らないと言いたげなフェミリアにエリスは鼻を鳴らした。
「邪魔したな。」
「あら、お持ち帰り?病人なんだから襲っちゃ駄目よ?」
「………。」
「はいはい、そう睨まないで。ちょっとした冗談じゃない。」
肩を竦めて笑うフェミリアを一瞥して、エリスは少女を抱えて研究室を後にした。
風邪を引かせてしまった自分へなのか。それとも笑えない冗談を言うフェミリアへなのか。
腹立たしい気持ちのまま廊下を歩く。
しかし少女に振動が伝わらないよう、静かで滑らかな足取りである。
ふっと息を零せば首に回る細い腕に弱々しいながらも力がこもった。
「……ごめんなさい、」
ともすれば聞き逃しそうなほど微かな呟きが耳に届く。
横目に少女の顔を覗き見てみると申し訳なさそうに眉が下がっていた。
「何がだ?」
フェミリアの時と全く同じ返事であったが、エリスの口から出た問い掛けはそれとは比べられないくらい優しい声音だった。
「かぜ…引いて、」
「気付かなかった私も悪い。気にするな。」
「でも…」
まだ言い募る少女を抱え直し、正面から顔を見合わせる。
熱で赤い顔は泣きそうになっていた。
……あぁ、泣かないでくれ。
内心で慌てつつエリスは少女の額に自分の額を軽く合わせる。
「なら体を休めて、早く治そう。体調が戻ったら水族館に付き合ってくれ。」
「水族館、ですか…?」
「あぁ。一緒にイルカでも見に行こう。」
そう言うと少女は嬉しそうに頷いた。
また抱え直して、止まってしまっていた足を動かす。
と、不意に少女が腕の中で動いて耳元へ顔を寄せてきた。
「すごい確率でしたね。」
一瞬何の事かと思い、先程フェミリアがニヤニヤ笑いで告げてきた麻酔弾の話だと理解した。
クスクスと少女は笑っている。
「1/10000000って、たしか、宝くじの一等賞と…同じなんですよ。」
知ってましたか?と内緒話をするように聞いてくる少女に首を振る。
「いや、知らなかった。でも、それなら私は幸運だな。」
「?」
「君を引き当てたんだ。最高に運が良い。」
だが一人の人間が、別の一人の人間に出会う確率はもっと凄い。
その確率については元気になってから教えてやろうと、風邪以外の理由で頬を赤く染めた少女のこめかみにキスをしながらエリスは研究所の玄関扉を蹴り開けた。Fin...
【後書き】
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
私自身の予想よりも早く、そしてエリスがかなり唯を溺愛する形で幕を閉じましたが無事完結して良かったです。
もしかしたら今までお付き合いしてくださった皆様には物足りない終わり方だったかもしれませんが…。
楽しんで貰えたのなら嬉しいです。
ちなみに一人の男性と一人の女性が出会う確率は約5023650000000000000000000000分の1なのだとか。
物凄い桁ですね( ̄▽ ̄;)
エリスと唯だけでなく、世界中で今この瞬間にも様々な出会いを多くの人々がしているのかと思うと、恋愛って奇跡の積み重ねなのかなぁなんて考えてしまいます。
それでは短い後書きではありましたが、読破してくださり本当にありがとうございました。早瀬黒絵より、読者の皆様へPrev Novel top