ダイニングテーブルでコーヒーを飲みながらエリスはキッチンに視線を投げかけた。
食洗機の前で食器片手に難しい顔をする少女がキッチンの向こうにいる。
適当に入れてしまえば良いのに、少女は綺麗に入れたいらしく皿などを丁寧に食洗機の中へ並べていく。
仕舞い終えると表情がパッと明るくなった。
ご機嫌な様子で戻って来て、目が合うと慌てて恥ずかしそうに視線が逸らされる。
「ありがとう、片付けてくれて。」
「…これくらい何でもありませんよ。」
困ったように眉を下げる少女。
彼女の祖国特有の文化とも言える謙虚さは相変わらず無くならない。
これでは何時まで経っても変わらないままだ。
ダイニングテーブルを指で叩いて椅子に座るよう促せば、不思議そうな顔でエリスの正面に腰掛ける。
「前から常々思っていたんだが、私に敬語を使う必要はない。」
「え?」
「何時までも堅苦しいし、それでは疲れるだろう?」
気も利く、礼儀正しい、常に敬語。それらは確かに美徳だが親しい者同士の間でまで、細かく気を遣う必要などない。
と言うのは建前で正直な話、エリスは少女がずっと敬語を使い続けていることが不満でもあった。
「いえ、リーヴィスさんは年上の方ですし、何かとご迷惑をおかけしていますし…」
「迷惑なんて欠片も感じてない。……それとも君にとって私は敬語を使わないといけないくらい、おじさんなのか?」
だとしたらヘコむ。
冗談混じりに問うと、少女は身を乗り出して否定した。
「違います!」
「なら敬語は無しで、呼び方もエリスで良い。リーヴィスでは呼びづらいだろうしな。」
「でも、それとこれとは――…」
「君は何時まで経っても敬語で呼び方もファミリーネームのままだ。敬語も要らないし、せめてファーストネームで呼んでもらえた方が私は嬉しい。」
少女の言葉を遮るように言う。
最後の辺りはややおどけた感じにして少女へ視線を向ける。
身を乗り出していた少女はエリスとの距離が近いことに気付いたのか、慌てて身を引いた。
謙虚で控えめ、淑やかな大和撫子には少し押しが強いくらいでないと駄目だろう。
特にこの少女は謙虚さの中にも頑固さがあるので、それが発揮されるまえに畳み掛けてしまうべきだと自身の思考が告げる。
「――…駄目か?」
お返しとばかりに今度はエリスが身を乗り出して少女の顔を覗き込む。
淡い黄色味をした肌が耳まで朱く色付いていた。
「す、少しずつなら…。」
「あぁ、それで構わない。よろしく、ユイ。」
「…………が、がんばってみます……エリスさん。」
照れて俯き加減のまま眉を下げて微笑する少女にエリスも満足げに笑い返す。
顔を隠すように前髪を押さえる姿がいじらしい。
冷め切ったコーヒーを喉へ流し込む。久しぶりに長々と話したせいか妙な達成感がドッと肩にかかった気がした。
もう一杯飲むために立ち上がり、ついでに未だ落ち着かない様子でソワソワする少女に甘いカフェオレを作る。
それを差し出せば両手で受け取り、熱いカップに息を吹きかけて、恐る恐る口を付けた。
温度を確かめるように少しずつ飲み始める。
エリスはその様子を確認して、小さな頭を軽く撫でてからリビングのソファーへコーヒー片手に向かった。
読みかけの本達をそのままにしていたので、実は気になっていたのだ。
午前中同様にソファーに腰掛けて本を開く。
暫くしてマグカップを持った少女もソファーに座り、本に手を伸ばす。
置きっぱなしになっていた毛布は少女が綺麗に畳んでソファーの背にかけた。
そして少女も読書をし始めた。
チラリと横を見たエリスは午前中との違いに気付く。
人一人分は余裕に開いていた少女との距離が、今は半分程に狭まっていた。
少女の横顔を見ても照れたり恥ずかしがったりしている様子はない。…無意識なのだろうか?
横にある気配に穏やかな気持ちになりながらページを捲る。
また沈黙が広がったが、やはり嫌な感じはしない。
本の中身を頭に入れつつ、それは一重に少女の雰囲気のお陰だろうと見当をつけた。
柔らかな雰囲気を纏う少女がいると部屋の空気も柔らかくなる。
殺伐とした本職の現場が悲惨なだけに、とても癒される。
…このまま此処に居てくれたら良いのに。
そう思ってしまうくらい少女の雰囲気は居心地が良い。
平和な国で生まれた少女の、穏やかで何者をも許容してしまいそうな優しい空気はエリスにとって非常に魅力的だった。
少女と共に居れば居る程、想いは強くなる。
自分同様に、少なからず少女も何かしら感じてくれていると良いんだが…。
細い指がページを捲る様子を横目に見て小さく息を吐き出した。
それが聞こえてしまったのか少女が顔を上げてエリスを見る。
「リーヴィスさん?どうかしましたか?」
ファミリーネーム呼びに戻ってしまっている。指摘すると慌てて「エリスさん、」と言い直した。
その頬は慣れない呼び方をしているせいで少し赤い。
「何でも無い。少し眠くなっただけだ。」
「今日はいいお天気ですか…だから、仕方ありませ……ないですよ。」
「そうだな。」
敬語ではあるものの、出来るだけ堅苦しくなり過ぎないように言葉を選んだつもりらしい。
笑いを噛み殺しつつ返事をするが、少女はやや不満そうだ。
拗ねたように唇を少し突き出してムッとした表情をする。
が、すぐに立ち上がってベランダに向かい、干してある洗濯物に触れた。
小さく「やっぱり。もう乾いてる。」どこか嬉しそうに呟いて洗濯物を取り込み出した。
大した量もないそれを持って戻ってきて、少女はソファーで衣類を畳み出す。
一枚一枚を丁寧に畳み、エリスのものと自分のものとで分けてテーブルに置く。
本片手にエリスはそれを見ていた。
誰かが一日中家に居て、このように洗濯物を畳む姿を見るのは何年振りだろうか。
ずっと幼い頃に見た母親もこんな風に毎日、父親や自分が汚した衣類を文句一つ言わずに畳んでいた気がする。
「はい、エリスさんの分です。」
ポンと膝の上に置かれた衣類に感慨深い思いをしながら、それを持って自室に仕舞いに行く。
少女も服を仕舞うためかエリスの後ろをついて来た。Prev Novel top Next