「あの…?」
「君は――…いや、何でも無い。洗濯を済ませてくれてありがとう。助かる。」
「いえ、お世話になっているのにこんなことくらいしか出来ませんから。」
全く気にしていない少女に内心でエリスは肩を落とした。
図太いと言うか、鈍感な彼女に言っても仕方がない。本人が特に何も感じていないのに此方から蒸し返すのも微妙な話である。
最後の一枚を干し終えた少女と共に室内に戻り、カゴを手から攫う。触れたそれは冷え切っていた。
少女をダイニングへ連れて行き、椅子に座らせる。冷蔵庫からミルクを出して電子レンジで温め、それを飲むように言い置いてからカゴを脱衣所へ片付ける。
戻ると素直にホットミルクを飲んでいた。
猫舌の少女はカップに口をつけるのも恐る恐るの体だ。
エリスもインスタントたがコーヒーを作り、正面の椅子に座って飲む。
酸味の強い苦みが眠気の残っていた頭を起こしてくれる。
完全に眠気がなくなってからエリスは朝食に取り掛かった。
昨日買ったパンにハムやレタスを挟んだ簡単なサンドウィッチと、付け合わせにサラダを用意する。
手伝いたくて仕方ない様子で落ち着かずにいるであろう少女の視線と気配を感じながら、エリスは用意した朝食をテーブルへ並べた。
「簡単な物で悪いな。」
「いえ、そんな…!とっても美味しそうです!」
ぶんぶん首を振る少女に笑いかけて席につく。
サンドウィッチにかぶりつき、まぁ悪くない味だろうと咀嚼して飲み込む。
少女も一度エリスを見て「美味しいです」と言って食事を進めた。
あっという間に自分の分を食べ終えたエリスはまたコーヒーを飲み直しつつ、少女を眺める。
しっかりよく噛んで食べているからか食事のスピードはあまり早くない。
それに、少女には量が多かったらしい。
二つ目のサンドウィッチはなかなか減らなかった。
何も言わないところを見るに少女は食べ残さないようにしているらしかったが、口に入れるスピードは段々と遅くなっていく。
「…ユイ。」
「えっ?あ…!」
今まで呼ばれなかった名前に驚いた隙をついて残っていたサンドウィッチを奪う。
少女が何かを言う前に口をつけてしまえば、ポカンと呆けた顔で此方を見た。
「食べ切れないなら無理しなくて良い。」
そう言えば小さく謝罪の言葉が返ってきた。
食器を食洗機に入れ、ミネラルウォーターと薬の入った紙袋を手渡してやる。
素直に薬を飲んだ少女は肩を落としたままだ。
その落ち込み様に何となく形の良い頭を撫でてみれば、見開いてこぼれ落ちそうな黒い瞳が見上げてくる。
すぐに照れ笑いを浮かべる少女を抱き締めたい衝動に駆られたが、それを抑えて頭から手を離した。
特に予定も無く、のんびりと読書をしてエリスは過ごす事にした。
何か少女に予定があるのなら付き合うつもりだったが少女もエリスと同じだったらしく、視界の端で掃除を始める。
窓を開け、棚やテレビの埃を落としたり拭いたり。フローリングの床も箒で掃いた後に掃除機をかけ、きっちり絞った雑巾で水拭きまでし出した。
そこまでしなくて良いと言いたかったが本人は随分楽しそうだったし、何やら生き生きとした様子で掃除をする姿を見てしまっては止められなかった。
自分の部屋にだけは入らないように言い聞かせてエリスは読書に専念する。
見られて困る物はないが、少女が触るには危険な物が幾つか部屋に置いてある。
そう簡単には見付けられないとは思うが、念のためだった。
「リーヴィスさん、読書中すみません。」
声をかけられ顔を上げてる。
「新聞紙ってありますか?」
「いや、新聞は取っていないから無いが…何に使うんだ?」
「窓を綺麗にするのに使います。私の国ではわりと一般的なんですよ。」
知らなかった知識にへぇ、と言葉が漏れる。
新聞紙で窓が綺麗になるとは。だが残念ながら必要な新聞紙は無い。
少女も予想していたのか落胆した風もなく窓掃除を断念した。
する事がなくなったのか少女は手持ち無沙汰に部屋を見回す。
「本でも読むか?」
持っていた本を軽く上げて示せば頷きが返ってくる。
ソファーから立ち上がり自室へ向かった。
本棚を上から下まで見つめ、その中で少女に読ませても問題が無さそうな、かつ無難そうな純文学を何冊か取り出す。
リビングに戻ると少女はソファーの隅に腰掛けていた。
持って来た本を渡す。中を軽く見て、ニッコリ笑顔を浮かべた少女がソファーに座り直し、活字に視線を落とした。
その隣りに人一人分の間を置いてエリスも座る。
静かな部屋の中には時折ページを捲る乾いた音だけが溶けていく。
一時間、二時間と穏やかに時が流れる。どちらも読書をしており言葉を交わす事は無いけれど沈黙は苦しくなどない。
やがてか細く息を吐き出しながら少女が本を閉じた。
目を閉じ、余韻を楽しむように本の表紙を指先で撫でる。
それから丁寧に本をテーブルに置くと次の本へ手を伸ばした。
…もう一冊読み終えてしまったのか。
文庫本とは言えど中身は一ページ二段構成でかなり字も細かいはずだった。
どうやら彼女もなかなかの読書家らしい。
活字を追いかける少女の目が忙しなくページの上を滑っていく。
エリスは微かに笑いにも似た息を吐いてから、自身の手元に目を戻した。Prev Novel top Next