用意された淡いベージュ色の椅子に腰掛けるとフェミリアが部屋のコーヒーメーカーから、コーヒーを注いで持ってきた。
少女は礼を述べて紙コップを両手で包み、湯気の立つコーヒーにそっと口をつける。
熱かったのかすぐに顔を離した。それから何度か息を吹きかけてもう一度そっと飲む。
だが今度は眉がへにょりと下がって気落ちした様子で手の中のコーヒーを見下ろした。
何も言わなくても‘コーヒーが苦くて飲めません’と全身で語っている。
黙ってそれを眺めていたフェミリアが唐突に笑い出した。少女には悪いが此方も少し笑ってしまう。
嘘が下手なタイプだ。きっと今まで生きていく上で嘘を吐く必要がなかったのだろう。
素直と言えば良いのか、純粋と言えば良いのか。
見られていた事にやっと気付いた少女は愉快そうに笑う此方に不満げに唇を尖らせ、それを隠すように紙コップの中身を再度口に含む。
それでも苦いものは苦いようで少しの間を置いて飲み込んだ。正確には‘何とか飲み込んだ’という体だった。
何時までも笑っていては少女に失礼だと笑みを引っ込め、少女にスティックシュガーとミルクを勧める。それぞれの山から一つずつ取って紙カップに入れると細い使い捨ての小さなスプーンでよく掻き混ぜた。
無意識なのだろうが一口飲んだ少女は微笑を浮べる。
「さてと、早速だけどお仕事の話しても良いかしら?」
「あ、はい。」
「貴方も一応保護者みたいなものだし、説明は聞くわよね?」
「勿論だ。」
説明を聞いて理解しておけば何かあった時の対処もし易い。
フェミリアは幾つかのパッチテスト・ユニットを取り出した。一つに五つ程のパッチがついている。
一つ一つ、それがどの薬品でどんな効能のものなのかを説明していく。
主にアレルギーの有無について調べるものだがパッチテストでは分からないアレルギーもある。とりあえず、まずはこれでアレルギーを調べてみるようだ。
初回から注射を打つ事もなくて内心で胸を撫で下ろす。
パッチテストでも多少くらいは分かる事もあるだろう。
あまり医学分野に詳しくないので断定は出来ないが。
背中か上腕で試すのだと言われ、少女は上腕を選んだ。邪魔なようなら部屋を出ていようかと思ったが少女に縋るような目を向けられて椅子に座り直す。
初めてで緊張しているのは明らかだ。
自分がいる事で少しでも少女の不安が減るのならばと上着を脱いでワンピースの袖を捲くり出した少女と、準備を進めるフェミリアの様子を眺める。
差し出された腕は相変らず細く、しかし淡く黄色味を帯びて柔らかそうだ。
フェミリアはそこへパッチを慣れた手付きで貼っていく。
あっと言う間に少女の腕はパッチで埋まってしまう。
貼った後に暫く自分の腕を眺めてから少女は袖を戻す。フェミリアが言うには二日ほどつけておかねばならないらしい。
その間の注意を受けた後に少女が「エレキバンみたい…」と呟いていたが、一体なんの事だろうか?
あまり痛くなったり、くしゃみが出るようならばすぐに連絡するようにともフェミリアは言っていた。パッチテストでも過敏に反応を起してしまう場合もあるらしい。
冷めてしまったコーヒーを飲み干す頃には今日の仕事は終わってしまった。時間にして一時間あるかないかという程度だ。
思ったよりも随分早く解放され、思わず疑念のこもった視線を向けたもののフェミリアに研究室から追い出されてしまう。
呼び出した癖に用事が終わったら追い出すのか。
研究室内には機密扱いにされている薬品や実験などもあるので長居しない方が得策なのだが、何やら納得がいかない。
「あの、お買い物…行きますか?」
横から控えめにかけられた声に頷き返す。
「そうしよう。もし途中で体調が悪くなったら遠慮無く言ってくれ。」
「はい。」
歩き出した後ろについてくる少女を気にしつつ、元来た道を戻る。
歩幅を縮めて普段よりもゆっくり歩かなければ少女を置き去りにしてしまうからだ。
此方の二歩が向こうの三歩と少しくらい。本当に色々と違う。
玄関口に出た頃、不意に少女が「何度かここに来たことがあるんですか?」と問いかけてきた。それに「初めてだ」と答えれば驚いた顔で此方を見上げてくる。
「じゃあ研究室までの道は行く時に覚えたんですか?!」
「あぁ。あれくらい、一度通れば覚えられるだろう。」
「……私、記憶力が悪いんでしょうか…?」
どうやら少女は覚えられなかったらしい。
軍人である自分は任務先の地形や地理は一通り覚えなければならないし、一々行った先で迷っていては責務を真っ当出来ない。方向感覚なんかはそういった実践で培われたものだ。
職業柄だと言えば納得した様子で少女が数度頷く。そしてどうすれば覚えられるのかと思案している様子だった。
例え体を鍛えたとしても、少女は軍人にはなれなさそうだなと内心微笑ましく思う。
隙だらけの少女を促して停めておいた車の助手席に乗せると、エリスは買い物をするためにエンジンをかけた。Prev Novel top Next