眠りに落ちてから数時間後、設定しておいた腕時計のアラームである小さなデジタル音にエリスは目を覚ました。
鳴り響くアラームを止め、頭を軽く振って残る眠気を払うとベッドから起き上がり、シャワーを浴びるために僅かに重い体を動かす。
腕時計を外しテーブルに置いた。
皴の寄ってしまった服を脱ぎ捨てて熱めの湯を頭から被れば一気に眠気は吹き飛んだ。
何気なく視線を投げた先にあった鏡に思わず目を細める。無駄な筋肉を省いた体躯は幾つもの古い傷痕で飾られているが、それらが何時頃出来たのか実はあまり覚えていない。
それら一つ一つがまるで過去の失敗を暗に示しているように思えてエリスは視線を逸らした。
さっさと寝汗を流して浴室を出ると、下着と細身のカーゴパンツ姿でリビングに戻る。
髪から滴る雫を大雑把に拭いながら煙草に火を点けた。肺一杯に紫煙を吸い込む。
テーブルに置き去りにされていた腕時計で時刻を確認すれば、そろそろ見舞いに支障の無い時間だった。
吐き出した紫煙が空気に消えていくのを心行くまで堪能した後に、襟周りの広く開いたカットソーを着込む。カーゴパンツもカットソーも黒一色だが不思議と地味さは感じられない。
昨夜と同様に食事を作り、腹に収めたエリスは上着を羽織る。
病棟からの帰り道に買う物のリストを思い出しつつ玄関の鍵を閉めた。
エレベーターで階下に下りて地下駐車場のバイクへ歩み寄る。
ヘルメットを被って何度か吹かしてエンジンを温めてから走り出す。地下駐車場を出れば肌を撫でる僅かな寒さを感じたが、無視して車両の通りが少ない道路を駆け抜けた。
半ば習慣のように病棟へ向かい、駐車場にバイクを置く。人影も疎らなロビーに足を踏み入れた時、不意に聞こえてきた柔らかな声に振り返った。
「――あの、すみません」
今しがた出入口を通ってきただろう男女が立っていた。
どちらも三十代後半くらいの、雰囲気からして恐らく夫婦であると思われる二人はゆっくりとエリスを見た。
「ナースステーションの場所はどちらでしょうか?」
おっとりとした女性が困ったように頬に手を添えながら聞いてくる。
「あちらの角を曲がって直ぐです……失礼ですがどなたかの親族の方で?」
失礼に当たらない程度に問うた。
見舞いに混じって入院中の犯罪者の脱走を手引きしたり、抜け出してしまう者がたまにいる。
職業柄ついつい詮索してしまうのは悪い癖だと思うが、夫婦達は嫌な顔一つせずに頷いた。
「先日大学立て篭もり事件でお世話になり、こちらに入院した雨宮唯の母で…こちらは私の夫です。」
「娘が入院したと聞いて慌てて来たんですが、二日も掛かってしまいまして。」
やや心配した様子で、けれどバツが悪そうに頭に手を当てながら男性が苦笑する。
まさか少女の両親だなどとは思っていなかっただけに、エリスは一瞬硬直してしまった。
しかし直ぐに気を取り直すと事の経緯を一から話し、夫婦に頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。国民を守るべき立場の我々が、お嬢さんを危険な目に合わせてしまった事…深く反省しています。」
少女は気にしていないと言ってはいたが、それとこれでは話が別だ。
話を聞き、謝罪を受けた夫婦は顔を見合わせた後、頭を下げ続けているエリスの肩にそっと手を置いた。
顔を上げるよう促し、柔らかな笑みを浮かべる。
「娘は何か言っていましたか?」
「…気にしないで欲しい、助けてくれたのだから…と。」
「ふふ、あの子らしいわ。」
「そうだね。」
穏やかに笑い出す夫婦をエリスはマジマジと見る。
「娘が許しているのなら、私達は貴方を責めようとは思いません。」
「子供の大事にすぐに駆け付けてあげられない親が、あれこれと言える事ではありませんものね。」
この親にして、この子あり。
そんな言葉を思い出しながらエリスは少女の性格にどこか納得していた。
親にそっくりである。
何時までもロビーにいては邪魔である事に気付き、エリスは夫婦を彼らの娘の病室に案内した。
扉をノックすると少女の「どうぞ」という声が返ってくる。
夫婦を先に入室させれば驚いた表情で少女が此方を見た。
「お母さん!お父さんも?!」
「大丈夫かい?」
「唯ちゃんが入院なんて何時ぶりかしら。」
驚く少女とは対照的に彼女の両親はのんびりとしていた。
椅子を勧めると夫婦は礼を述べて座る。
困惑したような顔で少女は自身の両親を見ていた。
親子の邪魔をしてはと部屋を出る。
閉まった扉から離れて待合室で時間を潰すために足を踏み出した。
「あれ?隊長、どうしたんスか?」
かけられた声に振り向くと部下が一人立っていた。
その手には小さな封筒が握られている。
「何がだ。」
「なんか疲れた顔してるっスよ。 あ、入っちゃマズいっスか?」
少女の病室を指差して聞いてくる部下に頷き返した。
彼女の両親が来ている事を告げると納得した様子で何度か頷く。
それから歩き出したエリスについて来た。Prev Novel top Next