自宅に帰ったエリスは己の部屋の扉を開けてふっと息を吐き出した。
人を感知して自動的に玄関から廊下への照明が点く。
その柔らかな暖色の色に目を細めながら奥へと向かう。
手には大きな紙袋が幾つか抱えられており、それらをダイニングテーブルの上に乗せて中身を漁る。
一ヶ月もの長期休暇は嬉しいがほとんど中身のない冷蔵庫のために色々と必要な食料品などを買い込んでいたら随分時間がかかってしまった。
全くもって面倒臭い事この上ない。
これなら仕事をしている方がマシである。仕事中は食事や普段の生活に必要な物は軍に揃っているため、楽だったのに。
今頃病室のベッドで眠っているだろう少女を思い出して尊敬とも感心ともつかぬ感情が胸の内に湧いた。
あの歳で一人暮らしが出来るなんて凄いものだ。
己も料理は出来ないこともないが面倒臭くてつい冷凍モノなどの簡単な物ばかりに偏ってしまう。
一度健康診断で医師に若干白い目を向けられたこともあった。
栄養はあっても体にあまり良くない物ばかり食べていた時期の話だが、然程進歩したようにも思えない。
別の紙袋からビールを取り出すと一本、プルタブを押し開けて口を開く。
プシュッという軽い音と独特の香りが部屋に広がる。
それを飲みながら冷蔵庫に買ってきた食料品とビールを詰め込んだ。
夕食に何を食べようか悩み、買ってきたばかりのパスタが目についた。…茹でるくらいは構わないか。
一瞬頭を過ぎった面倒だという考えに気付かないフリをしてエリスはキッチンに入り、水を張った鍋をコンロにかける。
小さく頭上から聞こえて来たのは自動で動く換気扇。
パスタにかけるものは瓶タイプのもので、手軽そうだったため一緒に買っておいてたが正解だ。
片手にビール、片手で器用に袋を開けて沸騰した湯の中に麺を綺麗に広げていく。
必要最低限の道具しか置いていないキッチンは改めて見てみると殺風景で生活感があまりない。
元々普段から使わないだけに調味料なども無い。
…これは明日も買出しだな。
欲しい調味料を頭の中でリストアップしつつも菜箸で麺を解して硬い部分の麺を湯に沈めた。
麺が茹で上がる頃には缶の中身は空になってしまい、それを手で潰すと缶用のごみ箱に突っ込み、麺が入った鍋をシンクまで持って行きザルの上でひっくり返す。
軽く振って湯切りした後に皿に盛ってから瓶詰めされたドレッシングのようなそれをかける。
フォークで軽く混ぜ、冷蔵庫からもう一本ビールを取り出してからパスタに口をつけた。
少しだけ麺が硬かった。
茹で時間が足りなかったかと頭の片隅で考えながらも気にせず食を進める。
半ばビールで流し込むように食べ終えるとシンクの下についた食洗機に突っ込んで、エリスはソファーに腰掛けた。
リモコンでテレビをつける。
流れてくるニュースをぼんやりと眺めて時間を潰してみたものの、そのうちに同じ内容しか聞こえなくなってしまったニュースチャンネルを変えた。
が、やはりどのチャンネルを見ても面白くない。
久しぶりの休暇だと言うのに、今までが忙し過ぎて暇な時間を潰す方法をエリスは持っていなかった。
残念なことに趣味もないし、ディスコやクラブに行くほど異性に飢えてもいない。
むしろそれらはエリスにとって煩わしいものでしかない。
仕方なく一度立ち上がって中身がだいぶ減った缶をテーブルに置き、寝室へ向かう。
壁に備え付けられていた本棚の中には今までに時折買って溜めていた本がギッシリ詰まっていた。
その中の半分近くは目を通していないものだ。
せっかくだからこの一月はこれらの本を読んでゆっくりと過ごすか。
どうせ本を読むか体を鍛えるかしか己にはやる事はないのだから。
戻ってソファーに深く沈み込みながら適当に見繕ってきた数冊の本をテーブルに置き、一番上に積まれていたものを手に取って開く。
シェイクスピアのヴェニスの商人だった。
他の作品は読んだ事があったが、それだけは読んだ事がなかったため買ったはずのものである。
ふとテレビから聞こえて来る音がクラシックに変わり、顔を上げると読み始めてから二時間ほどが経過していた。丁度読み終えたところだ。
本を置いてキッチンに行くと食洗機から食器を取り出して棚に戻す。
一人分の食器しかない棚は見た目よりも広く見える。
またソファーで次の本を手に取って開く。
たまに飲み物を取りに立ち上がる程度で、エリスは読書に没頭した。
テーブルの上に重ねられていた本を全て読み終える頃には窓の外に見える空は薄明るくなってしまっていた。
それに気付いたのは最後の本をテーブルに戻した時である。
「…まぁ、良いか。」
寝不足気味で重い瞼を軽く押さえてから本を持って寝室に戻る。
本棚に戻し、靴を脱いでベッドへ寝転ぶと腕時計を午前九時にセットし、目を閉じた。
職業柄睡眠時間が短くとも活動に支障が無い事を知っているエリスは目を閉じてほんの三〜四時間の眠りに意識を手放した。Prev Novel top Next